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今日は何の日

血液銀行開業記念日 (2月26日)

1951年(昭和26年)のこの日、日本初の血液銀行・株式会社日本ブラッドバンクが大阪で開業した。血液銀行は、献血等により提供者から採取した血液を保存管理して輸血に必要な血液を確保し、必要に応じて供給する機関で、GHQの指示により設置された。翌1952年(昭和27年)には、日本赤十字社も血液銀行を設立した。

1960年(昭和35年)8月、東京都にて「第8回国際輸血学会」が開催され、この学会にて「保存血の多量使用は肝炎の多発要因になる」との指摘があり、無理な売血による提供者の貧血問題、日本の保存血の大半が売血によって行われていることを、スイス・オランダの学者から取り上げられ、血液銀行の在り方が強く批判された。この批判によりマスコミの注目を浴び、金銭を得るために過度の売血を繰り返していた人たちの血液「黄色い血」への関心が高まった。1964年(昭和39年)8月、閣議決定により、厚生省(現:厚生労働省)は「保存血」は「日赤(日本赤十字社)」と「地方自治体」のみが取り扱う旨を全医療機関へ通知した。

一方、日本ブラッドバンクは、業績の42%を血液銀行部門に頼っていたが、行政指導により血液銀行部門を廃止し、医薬品部門の拡大に特化した「株式会社ミドリ十字」に社名を変えたが、1986(昭和61)年、薬害エイズ事件(ミドリ十字ルート)が発覚し、裁判で有罪となったことから、吉富製薬と合併し、法人格が消滅する。なお、吉富製薬はその後、社名変更や合併などを繰り返し、現在の田辺三菱製薬株式会社となる。

「黄色い血」とライシャワー事件について

現在、日本では血液を売る「売血」が禁止されているが、かつては低所得の肉体労働者が生活費目当てに、赤血球が回復しないまま頻繁に売血を繰り返したことや、当時は法規制のなかった覚せい剤を使用する労働者が多かったことで、血液が黄色くなる「黄色い血」が問題になった。また、覚せい剤を射つ注射針によって肝炎ウイルスに感染した血液も多く見られた。そうした中、1964(昭和39)年にライシャワー駐日米国大使が暴漢に刺される事件が発生した。一命を取り留めたものの、手術の際の輸血によって肝炎を発症たことで、売血制度が見直されて献血運動が広がることになった。

[引用:雑学ネタ帳]



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