忘れられない言葉
誰にでも、きっとあるはず「忘れられない言葉」。そんな、みなさまの忘れられない言葉を集めてみました。それぞれの項目をクリックしていただいて、それぞれの言葉をクリックしていただくと、その時の状況が読むことができます。
言えなかった言葉
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「ありがとう大好き」
たった2年しか付き合っていなかった親友が今年の9月に病気で死んだ時に今思えば励ませずに何もしてあげれなかったな
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先生好き
先生とは初恋の相手、あの時本気で好きだった…教師と生徒…そんなの分かってた、でも伝えたかった…伝えないよりマシって今は思う…後悔してるから、言えば良かったって心から思ってる。先生好きだったよ。可愛いって言ってくれてありがと
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アナタを産んで良かった。
2年前、2回目の中絶をしました。1度目のとき、次こそは絶対産むって誓って、2度目のとき、その誓いを守ることが出来なかった。命の尊さをどうすれば私はわかるのだろう。アナタを産んであげられなくて本当にごめんなさい。
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私わこの子を産みたい!!
去年の7月妊娠していた事がわかった…でもまだ若くて経済力がない私達わ一つの命を無駄にしてしまった。初めて出来た自分の子供の命を無駄にした罪わ凄く重い辛くて辛くて胸が痛んで呼吸すら苦しくて…今もし若い子がお腹に子供居るとしたらお金が無かったとしても子供だけわうんであげてほしい中絶だけわ止めてほしい
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傷ついてなんかいない。彼女がいたからこそ、君がいま生きているんでしょ?
一年前に彼女を病気で亡くした元彼に伝えたかった言葉です。親友に戻ろうと別れを告げられ、「死んだ彼女の話をすると○○が傷つくと思ってる。○○が思っていなくても、俺がそう思ってるんだ」と言いました。確かに最初はイヤでしたが、あの時の悲しみを乗り越えたから、今の君がいるんでしょ。言いたくても口に出す事ができませんでした。ごめんなさい、委員長。
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お誕生日おめでとう♪
高校生の時にお付き合いした人へ言えなかった言葉です。嫌いになって別れた訳じゃないのにな…。って今でも思います。去年のお誕生日にどうしてもおめでとうが言いたくて電話をしたら家の電話が使われてない状態になってて異変に気付きました。人づてに調べてもらったら時既に遅し。彼はこの世を去った後でした。私と別れた後は誰ともお付き合いする事もなく最後まで独身だったそうです。先日彼が住んでいた家を見に行ったら取り壊された後で何も残っていませんでした。今でも彼の笑顔が忘れられません。6月30日…彼の誕生日です。
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返事書けやんで、ごめんな。ありがとう、かなりうれしかった。
自分が小1~2まで入院してた時があって、入院中に好きだった女の子から手紙もらった。すぐに返事書いたらよかったのに、書けなかった。退院してから何回か会ったのに何もお礼が言えなかった。どうこうしてるうちに、その子は転校してしまって結局、言えなかった。今言えなかった事をすごく後悔してるし、悔しかった。
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ホントは別れたくなかった。今でも好きだよ!ずっとずっと側にいてほしい。
付き合って約半年になる彼女と別れました。どんなにつらくてもどんなに悲しくてもいつも俺を励ましてくれた人なのに俺は振ってしまった。今さら「やり直そう」など言ってもきっと断られるだろう。もう彼女には他に”彼氏”がいたんだから…。俺の他に彼氏がいるのは知っていた…けど信じたくなかった。あの笑顔がウソだと思いたくなかった。彼女はきっと俺だけを見てくれているのだと信じたかった。だけど彼女は俺と付き合っているにもかかわらず他の男と飲みに行ったり、俺とのデートの約束も忘れて男と遊んでいた。彼女の俺に対する気持ちがその時やっとわかった。俺は遊ばれてただけなんだと…その日に俺は彼女を振りもう後悔はしないと思っていた。だけど…よく考えたら俺も悪い所がたくさんあったな、ウソつきだし・馬鹿だし・めんどくさがりだし・おまけにそんなカッコよくもなかったしそしてなにより君に対して俺は愛情がたりなかったな。君と別れて君との日々がこの人生の中で一番楽しかったと気付いた。だけどもう遅すぎたな、あなたはもう他の男の所にいっちゃったし俺はまた一人で平凡に暮らすよ。でも君と一緒に過ごした日々は忘れないよ。この想いが君に届けばいいな。バイバイもう会えない恋人へ。
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好き。一緒にいたい。
中学の時、仲のよかった彼に告白されたのに彼のことを好きだった友達に遠慮して断ってしまった。その後、気まずくて友達にも戻れず苦しくなってそこで初めて自分も好きだったことに気づいた。卒業で離れ離れになって、高校に入ってからも想い続けて勇気を出して友達に戻りたいと伝えたけど彼女がいるから、とそれも叶わなかった。そしてあれから10年。友達以上恋人未満の関係になった。すれ違いだった私たち。3度目の正直かと思ったけどやっぱりお別れすることになって…いつでも素直に気持ちを伝えていれば、今も一緒にいれたかな。ありがとう、あなたは一生わたしの特別な忘れられない人です。
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こんなヤツ好きになってくれてありがとう。貴方に辛い思いばかりさせてごめんなさい。
別れた後も今でもひきずっているこの想い。あたしは精神的に病んでて貴方はずっとあたしの相談をのってくれて、だけど、貴方だって部活やクラスや色々な事が辛かったはずなのにあたしの相談ばかりのってくれて、貴方は本当に優しい人でした。この、言葉が別れた直後に言いたかったけど、まだまだ言えません。
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私も大好きやった。世界一の親友やった。これからもずっと一緒や。ずっと一緒や。
わたしの親友が、病気で死んでしまったとき、いえなかった言葉です。彼女の顔をみてると、言えませんでした。
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嫌い…
今は分かれてし合ったけど、付き合っていてた当時けんかするのが怖くて何も言わなかった。別れるときも無言だった。きちんと嫌いといえればもう少し引きずらなかったのかも…。
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いつもあなたの後ろ姿だけを見てた…いつも頑張って勉強してるトコロとか…頑張って走ってるトコロとか…友達と笑っているトコロとか…そんな姿を見て、好きになったんだよ。
今現在、片思いしている相手に言えない言葉です。クラスが2年間一緒だったのですが…去年は彼のコトを全然知らなくて、今好きなのが不思議なくらいです。いつか言えるといいなあ~と思っているのですが、もうすぐ卒業しなくちゃいけなくて…彼とは進路も全然違うので、きっと…もう、言えないと思います。
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ごめん、まだ愛してる。ただそれだけでよかった。
別れを決めた日。ベッドの上で、私があなたに言えたのは「たまにでもいい、またこうして会って欲しい。」あなたから、最低と言われるのは当然だった。本当は素直にこう言えばよかった。「私に気持ちがもうないのは十分わかった。ごめん、私まだあなたを愛してる。」今ならわかる。私が彼にできる最大限のことは、もう会わないってことだったと。別れてから7年、結婚もしたけれど、今でもたまに胸が痛みます。本当にありがとう。あなたのおかげで私は人を愛することを知りました。
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先生ごめん…
高校の志望校に落ちた時に先生に言いたいかったけど言い出したら涙が出そうで言い出せなかった言葉。その先生には中二の時から面倒を見てもらっていて迷惑ばっかり掛けて志望校選ぶ時も一緒にメッチャ考えてくれていい点取った時とか、内申が上がった時とか誰よりも喜んでくれた。ほんまにその時は嬉しかった。その先生は自分を志望校に入れてあげたいって自分以上に思ってくれてたかもしれへん。そんな先生に最後くらい恩返しがしたかったでもそれができひんかった。しかもその先生はなんも悪くないのに自分に向かって「ごめん、申し訳ない。俺の力不足やった」って言わしてしまった。メッチャいい先生やったし最高の先生やったのにそんな責任を感じさせる形で終わらせてしまってほんまは心の中でメッチャ思ってて最後くらい言いたかった「先生ごめん」って
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ウチずっとスキだった。
スキな人にずっと伝えたかったのに、相手のスキな人を知ってしまって言えなかった。あの時思い切って言えばよかったな…。
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「他の誰かじゃなくて貴方の一番になりたかった」
別れて、もうすぐで一年目になる彼に向けて届かぬ想いを残します。別れたくなかった。もっと、ずっと一緒に居たかったよ…。
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俺はずっと待っていた
中学時代、いっぱい悪い事をしていた私に転勤する際に、中学2年の担任の先生が残していった言葉。「俺は、○○が悪い事しても、いつか俺の所に来て「先生ごめんなさい。」といってくれる日をずっと待っていた。でも、その日が来なかったのが残念だった。」
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じいちゃん、ごめんなさい。
17になると、私は髪を染めた。ピアスを開けた。刺青を彫った。当時はじいちゃんが私を世話してくれた。じいちゃんは毎晩遊びに出る私に、説教1つせず「行ってらっしゃい、早めに帰って来るんだよ。」と言ってくれた。2011年の3月。じいちゃんを殴ってしまった。理由は覚えていない。私はじいちゃんを残して家を出た。そして11日、地震が石巻を襲った。2週間後、私は冷たくなったじいちゃんに会った。じいちゃん、ごめんね。
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ありがとう。
私が辛かったとき、悲しかったとき、嬉しかったとき、楽しかったとき…どんなときも何時も側に居てくれた。辛いときや、悲しいときはいつもそっと抱いてくれて、嬉しいときは一緒に喜んでくれて、楽しいときは一緒に楽しんでくれて…。どんなときも側に居てくれたコトのお礼をずっと言いたかった…。なのに…言う前に亡くなってしまって…。凄く後悔した…。なんで、側に居てくれたとき、毎回、毎回お礼を言わなかったんだろうって…。もう、二度とお礼なんて言えなくなっちゃった…。
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パパ、ごめん…大好きやで。
これはお父さんが東京で倒れた時の事です。私とお姉ちゃんの為にとても高いミッキーの時計を買おうと無理したため病気になってしまいました。その時お見舞いに行くとお父さんの顔が…まるで、意識がなくなったように無表情で私を見つめてきたので思わず泣いてしまいました。とても前のお父さんとは、顔とかも、全部が違って怖くて悲しかった…。でもその時心の中で、「私のため頑張ってくれて、ありがとう」と言おうと思ったけど、その時は見てるだけで精一杯でした。あれから8年…。私は中学生になり、いつもその言葉を心にひめてお父さんの看病をしています。
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先生みたいな人と結婚する!
中学2年のとき体育の先生が好きだった。でも奥さんも子供もいて、とてもじゃないけど好きとは言えなかった。3年になってすぐ先生が違う学校に行くことになった。さよならする前に、一言気持ち伝えたかった。先生元気してるかな。
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逢いたいと伝えたい
階段をのぼる時にいつもわくわくしてた。あの靴があることをいつも願っていた。いつもいつもそれだけの楽しみを今日も昨日も一昨日も叶えてくれない。言えばいいじゃない。でもどうしても言葉にすることができない。一度逢うととまらないことも分かってる。逢えることがあたりまえに感じてきて逢えないとやっぱりさみしい。どうしても逢いたくなる。あの4時間の中の30分でも15分でも10秒でもいいから逢いたくてたまらない。仕事があるから仕方ない。そう、いつも思うけど、たまにはそのことを忘れたみたいに逢いたいと言いたい
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ごめんね…
あなたの気持ちしっていたのに勝手にやきもちやいて思ってもいないこと言って傷つけた。優しいあなたは最後まで私を信じてくれたのに私はあなたを信じることができなかった。あの時に私は何も言うことができなかった。あなたも友達も大好きだったから。最後にあなたが言った。そんな人だったんだ。かなりひびいたよ。一方的に私が悪いのにごめんねの一言が言えなかった。6年たったいまでも言えてない。あの頃は素直になれなかった。本当は好きなんだよずっとずっとすきなんだよ。ごめんね。
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幸せになってね。ありがとう。」「約束守るから…。
私には好きな人がいました。でも、怖くて「好き」とは言えなかった。遠距離で1ヶ月に一回は会って、飲みに行ったり、カラオケ行ったり…、遠いのに関西まで来てくれてた。一緒にいてる時は、楽しくて時間経つのも早くて、でも、新幹線のホームに行くと涙止まらなかった。でも好きとは言えないまま…、付き合ってもなかった。1年過ぎたぐらいにその人からの電話……。初めに言った一言は「結婚する事になった」…。言葉もでなくて…涙しかでなくて…その人は結婚式に来てほしいって…すごく複雑で…切なくて…でもね、行く事にしたんです…結婚式に……。ちゃんと心から「おめでとう」って言いたかったから…その人からたくさん勇気…元気もらったから…無事結婚式が終わりその人と二人で話す事ができたんで、今だと思って…そしたら…その人…「ちゃんと○○も幸せにあらなあかんで!!」「約束やで、ごめんな」「○○の結婚式行くから。笑ってような」って…すごく切なくて…とうとう言えなかった。最後の言葉…今は心から言えるよ。「おめでとう…幸せに…」「約束必ず守るから」と……。
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愛してるよ
3歳で亡くなった姪っ子。おませな彼女と大人の私。亡くなる前日に大ゲンカ。「私、ゆずちゃんの事、大キライ」それが姪っこの最後の言葉。翌日会った姪っこは、もう呼吸が止まっていました。心の底から愛してると伝えたかったです。私の事も大好きでいてくれたこと、ちゃんと分ってるよ。
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ダイスキだからに決まってんじゃん。
好きだった人に「どうしてそんなに親切にしてくれるの?」って聞かれて…。それで私が言えなかった言葉です。そのとき言っていたらどうなっていたんだろう…。ってよく思います。
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今まで迷惑かけてごめんね。貴方の事、考えてなくてごめんね。
もう、別れて3ヶ月にもなるけど、未だに忘れられません。こんなに、人を愛したのは初めてです。だけど、あたしがわがままで、迷惑かけてばっかりだったから彼はいなくなってしまいました。あたしは、それでも彼が悪いと思ってて、あたしは、ほんとに最悪な人です。だけど、気づいたんです。やっとですけど、その言葉を彼に伝えたい。
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大好きでした。
私は高校2年の時に、体育祭である先輩に一目ぼれしました。それから先輩が卒業するまでの半年間、先輩のことが大好きでした。先輩を見るたび幸せな気持ちになれたし、学校が本当に楽しかった…。時にはいやなうわさ聞いて悲しくて、三日三晩泣いた日もあった…。そして卒業式。この日が来ることはずっと前から分かってたのに涙は止まらなかった。初めてこんなに好きになったのに何もいえなくて…。でも、「これで終わりにしよう」って思って、ボタンと写真を撮ってもらいに行った…。「ありがとうございました」。でもこの言葉だけは、出てこなかった…。でも、きっと先輩は運命の相手だから…そう信じてるから、次に再会するときまでとっておきます。初めてあんなに好きになった人だもん。運命だよね…「先輩、大好きでした」これを言える日がいつか来たらいいな。
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お幸せに…。
嫌いで別れたわけでもない、嫌われたわけでもない、そんな別れ方をしました。今でも自分では納得していません。でも、あの人の幸せを考えると何もいえません。行きたくなかった結婚式に参加して、正直辛かった。でも、大好きなあなたを最後に一目見ておきたかった…。あなたは今、幸せですか?
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ありがとう。私も好き。
今年の2月にクラスの男子に告白されました。日ごろから喋るし、私も好きでした。「いきなりでごめん。気まずくなるけど言います。好きやけん、付き合ってくれん?」すごく嬉しかったんだけど、その時私が言ったのは「好きだけど、良い友達のままでいたい」本当は付き合いたかった。でも私の親は厳しく、4月から受験生なのでこんなことを言ってしまった。好きって言えばよかったなー。
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人って、みんないつか死んじゃうんだ…。
私は去年の4月頃こんなことを考えました。「命があるものはいつか死ぬんだ。」それは前から分かっていたことでした。なのに、なぜかとても辛い気持ちになって、涙が込み上げてきました。その時、私は家族の前で泣いたので、もちろん家族が、なぜ泣いているのか聞いてきました。私は、正直、言って励ましてもらいたかったのです。でも言おうとすると、また涙が込み上げてきました。それがなぜなのかは、まだ分かりませんが私が大人になった時くらいに分かるのかも知れません。
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ごめんなにもできなくて…。
これは、小学生の時死んだ友達に言いたい言葉。この子とは、4年生くらいの時に、病気になって入院した、自分はボーイスカウトって、いうのやってるけど、それに入ろうなって約束した。それからしばらくたって、彼が病院からでてきて学校に来た、その時なんでだろう、うざいと思ってしまった。自分がこういう感情を抱いた事に、今ではいやけがさす。しばらくたって入院してる、彼のもとに、お見舞いにいった、なにかしてやろうと思って絵をかいてわたした。でも、彼はそんな状況じゃなかった。いろいろな、機械に囲まれて、すごい事になってて、近ずくくこともできなかった。またしばらくたって、彼は死んでしまいました、その話を聞いてすぐに彼の家に行きました。でも、そこにはもう普段の彼はいませんでした。できればもっといろいろ喋りたかった、今になって思う。
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いい子じゃなくてごめんなさい。いつもあなたが私の支えでした。
周りから頭が良く頼りになるというレッテルをはられ、成績や進路に期待をされていた。しかし人間関係がうまくいかずそれが成績に影響し始めたころ、親は私のことを叱り、私は反抗。当然殴られ喧嘩。あんたには一番期待してたのに…と口癖のようにいわれてたころ自傷行為も当たり前だった。そんななか大好きだった祖父はいつも私のことをがんばったな!とほめ結果がでなくても一番に期待してくれて応援してくれていた。そんな祖父の笑顔が見たくてがんばった。でも祖父はある日他界した。私が社会に出て活躍するのを楽しみにしていたのにその前にガンで…ありがとうと伝えたかった。あなたのおかげで今の私がいるって伝えたかった。大好きです。今もまだ。あなたは私の憧れでありヒーローなんです。ありがとう天国の祖父へ
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ありがとう。
私が辛い時に、優しい言葉をくれたあなた。でも、その時の私は意地っ張りで、たった一言の「ありがとう」が言えなかった。あなたがいなくなって初めて気付いた。こんな私を許してくれるなら、改めて天国のあなたに「ありがとう」と伝えたい…。
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愛してるよ、大好きだよ
つい先日、まだ付き合ってはないけど大好きな彼に、友達としてにしか見えない、と言われました。大好きで大好きで、彼から送られてくるメールに書いてあった大好き、や抱きしめてくれた暖かさや、キスの優しさが今も忘れられません…恵くん、大好きだよ、多分これからも
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ごめんね
一回目の中絶の時、もう二度と命を無駄にしないと決めたのに、また今回も中絶をしようとしている。産んであげれなくて本当にごめんなさい。これからどうやって罪をつぐなっていけばいいのか…
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大好きです
私の大好きだった人に告白しようとしたけど、言えなかった言葉です。言えなかった時、すごく辛かった。あなたを好きになったことを後悔した。だけど、やっぱり2ヶ月経った今でも、思いだす。心の中で思い続けてる。もうあなたの邪魔はしないからね…
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彼の事が好きなんでしょ。
彼女、最近変わってきたなって思ってた時ちょっとしたことで、その彼女と行き違いがあり色々話したことがありました。変わった原因は彼にあると薄々は感じていました。彼女はきっと彼の事が好きになってるって…でも、言えませんでした。というより聞けませんでした。なぜなら、私も彼の事が好きになっていたのです。
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一緒に行きたい…。
昔むかしのお話……当時私は高校3年生で彼は大学4年生でした。二人とも卒業で彼は就職、私は進学か就職か迷ってました。彼は北海道の出身でしたが就職は東京ですると言っていました。卒業したら一緒に住もうって約束してました。「一緒に住んで1年経っても二人の気持ちが変わらなかったらちゃんと結婚しようね。」って約束してましたが、彼の実家の都合で彼は卒業したら北海道に帰らなくてはならなくなって……彼は私に「まだ18のお前に遠い北海道に来いなんて俺にはいえない……お前もこっちを離れるのは辛いだろう?」と言いました。その時私は何も言えなかった。一言「一緒に行きたい」と言っていたなら……とあれからもう10年以上も経つのにまだこの言葉は私の中に残ったままです。多分、一生この言葉を心に残して生きるのだろうな…と思います。
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遠くに行かないで!!ずっと私のそばにいて
もうずっとずっと前のこと…。彼とは、付き合っていなかったけど、仕事が終ると、毎日会ってたの…。いつのまにか彼をすきになっちゃって…毎日が楽しかった…もしかしたら、恋人同士になれるのかなあ…なんて、あまいこと考えてたの。しばらくして、彼は突然転勤になっちゃって、悲しくて悲しくて最後まで言えないまま遠くに行っちゃいました。いいたいことが言えないまま「さよなら」なんて言っちゃって…大人ぶって、しばらくは泣いて過ごしました。今でも時々思い出します…。
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私は貴女の子供です。お母さんの子供でよかった…。産んでくれてありがとう。
私の家族は水商売の一家です。母親は私のお父さんの事も教えてくれませんでした…お母さんは京都の祇園で店をしていて、そこのお客さんとの間にできたのが私だそうです…。そういう過去もあり母親とあまりいい関係ではなかったのかもしれないです。母親に対して怒りなのか、同じ女としての執着心かなにか判らない感情があった為16歳で私も水商売にはいりました。でも19の時に本気で惚れた男性ができ、その男性の子供を身ごもりました。その男性との仲はもう終わってしまいましたが、自分の都合上、実家に帰って生活をしていたある日、お母さんが仕事から帰ってくる時間がたっていても帰ってこなくて、またどこかの男と…。等と考えていたとき一本の電話が鳴りました…。お母さんは帰り道、事故に巻き込まれ、即死してしまいました…。私には、その時理解が出来なくて、お葬式等もあっと言う間に終わってしまい、呆然と毎日を過ごしていたある日、お婆ちゃんから呼び出され息子をつれて会いにいったら、お母さんの過去を話されました…。真実の過去を…。お母さんも私と同じで10代の頃に家を出て私を身ごもり実家に帰ってきていたそうです…。私のお父さんは、地位も権力もある人でその人と真剣に恋に落ちたそうです。でも彼は妻子のある人だった為、お母さんはお父さんに内緒で私を生んだそうです…。私が幼い時、お母さんは私をあやしながら、生まれてくれてありがとう。っていつも言っていたそうです。そんな色々な過去をお婆ちゃんに聞かされて、私は泣き崩れました…。今、私はお母さんの店を引き継ぎママとしてやっています。お母さんの分まで生きて抜きたいから。もしも、お母さんに会えるのならこの言葉を伝えたいです。
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何も出来なくてゴメン、今までありがとう
ペットのウサギが昨日死にました。病気で苦しみながら死にました、俺が辛いときにいつも擦り寄ってきて俺の心を暖かくしてくれたあいつが病気で苦しんでるのに俺はうろたえるだけでモコに何も出来なかった。冷たくなってるモコを見て涙さえ流せなかった。何も出来なくてごめん、今までありがとう。
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すっとそばにいるからね。大好き。
大喧嘩して仲直りした元彼氏に言いたい言葉です。あのときね、一番謝りたかった言葉をいえなかった。ひどい事を言ったこと、暴言を吐いたこと。本当に悪いと思っていたよ。でもそれ以上に優しくできなかったこと、かわいくできなかったことを謝りたかった…。状況も状況だったし、仕方ないですませられるかもしれない。でも、私すごく強がってた。あなたのことを信じてあげられなかった。ごめんね。もう一回あなたを抱きしめたい。ぎゅっと…そしていいたいよ。「いいんだよ。ずっとこうしててあげるからね。ずっとそばにいてあげごめんね、本当にごめんね。いつか、もしどこかで会えたら伝えるからね。しっかり目を見て、しっかり笑って…。あいたいよ。会いたい…。るからね。大好き」って。そんな言葉をかけてあげてたら、今笑いあって私がいたのかな…。
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ごめん。
これは私の言葉でなく、ある友人のコトなんですが…。その友人(以下Nちゃん)は、ある日友達と喧嘩をしたそうです。当時、幼稚園ぐらいと聞きました。そしてNちゃんは、謝りにその子の家に行ったそうです。だけど、その子の家が火事で燃え、結局Nちゃんが「ごめん。」と言う前に、その子は逝ってしまったそうです。これを聞いたとき、泣きたいような、でも何か言ってあげたくて…だけど私には物心ついてから大切な人を亡くした事がない…。なんて役不足なんだろう…と思いました。Nちゃんとは今、すごく仲が良いのですが、でもたとえ喧嘩になっても、Nちゃんから謝る、という事の方が少ないです。もしかして、これが原因かなって思いました。ごめんね。ごめんね。酷い言葉しか、見つけることが出来なくて…辛いはずなのに、すごく元気で、でも少し傲慢で…。ありがとう。ありがとう。
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どうして別れちゃうんだろう。
別れの理由も聞かないで「もう別れよう。」なんて言われた。手紙だった。いったい、どうすればいいんだろう。何も悪いことは、してないよね?何がいけなかった?本当に辛かったけど、別れることを認めてしまった。なんであの時せめて理由だけでも聞いとけばよかった。後悔ばかり…。あなたは「私より自分のほうが私を愛してる。」って言ったのに。ほんとは逆だったんだ。別れて、1年以上。好きになって、2年がたとうとしてる。あの頃には戻れない………どうして、別れてしまったんだろう……。
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今のままでもいい。これ以上を望まないから。そばにいてほしい。好きとか言わない。今以上を求めないから…。ずっとつながっていたい…。
仲のいい男友達を好きになってしまい、気持ちを伝えれば疎遠になってしまいそうで、そんなことを思っているうちに彼とはたまにメールをするだけの仲に…今も言えない言葉です。
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自分は病気じゃない。
1年程前から、精神科に通っています。けど、本当に病気なのか、自分でも分かりません。なんか、周りから病気だ、病気だと言われて、自分でもそう思いこむようになったように感じます。しんどいとき、何でも病気のせいにしてしまう自分がいます。自分は大丈夫だ。と言い聞かせていても、どこかで病気のせいにしてしまっているのです。そんな自分が嫌で、もう薬を飲むのを止めました。これからは、普通の自分なんだ。そう思うことにします。でも、それを人に言えない。だって、それを否定されるのが怖いから…。それを否定された時、それに打ち勝てる自信がないから…。
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中2になってカラずっと好きでした…。付き合いたい。。
すごく私に優しくしてくれてすごくカッコよくてすごく好きだった…でもその人は他に好きな人がいて…でもあきらめられない…でもこの言葉がいえない…。
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あたしも大好きだよ。
その時付き合っていた人がいて、その人はあたしにとって、今迄で一番大好きな人でした。その人は自分の気持ちを素直に言ってくれる人、で「好きだよ」とかいっぱい言ってくれる人でした。でも、あたしは恥ずかしくて自分の気持ちを相手に言えなかったんです。それを今でも後悔しています。もうその人とは別れてしまったんですが、あたしはまだその人のことが大好きです。
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ずっと、これからも大好きだよ。
恋人みたいな人(友達)がいて、その人はめっちゃ「好き」とか言ってくれたのに、私は自分の気持ちをちゃんと伝えることができなかった。今ではその人に彼氏がいるけど、私はまだその人が大好きです。ホントに、大好きです。
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私は貴方の子供に生まれたことを誇りに思う、貴方が母親で本当に良かった。最期まで待っていてくれてアリガトウ。
最近母が病気で亡くなった。最期は虚ろなまま、意識が戻ることはなかった。それでも、家族や親戚が病院に着くのを待つようにして心臓が止まった時は待っていてくれたんだと思う。父と別れ、子供二人を育てていくのはどれほど大変だったろう。それでも父の暴力から守って、私たちを育て抜いてくれた母にお礼を云いたい。
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うん。一緒になろう。
あんなに何度も言ってもらったのに、どうして頷けなかったのだろう。あんなに一緒に居たかったのに、どうして動けなかったのだろう。全ての事情を変えるには、私はあまりにも臆病すぎて、どこか遠くばかり見ていて。気が付いた時には遅すぎたね…。本当は一度でもいいから言いたかった。ずっと一緒に生きていきたいって。大切な言葉だったから、大切な想いだったから、いつになるか分からなかったけど、その時まで取っておきたくて。そのときが来たら思い切り頷こうって。なのにしまい込んだまま、一度も言えぬまま。何も…誰も…待ってはくれなかった。貴方と一緒になりたかった。結婚、したかった。今までの沢山の幸せをありがとう。
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好きです。逢いたい。
言えなかったというより現在も続いてます。一年会ってません。ずっと好意を持っててくれたのに、私が自分の気持ちに気づくの遅すぎた。顔見るだけでいいから一目でいいから逢いたい…。好きって言いたい。でも、今更そんなこと思われてるなんて知ったら迷惑だろうなあ…(泣)
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ごめんなさい。
いつもいつも馬鹿で無神経な私を見捨てずにいてくれた友人に、私がつらいときはいつも慰めてくれたのに、あなたがつらいとき、私はいつもあなたにもらったものを返せない。なさけない…でも口にできない。そんな言葉です。
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帰ってきてね。
友達のHPが閉鎖した時、私は言えなかったというか言ってはいけない気がしたんです。「帰ってきてね。」と。ほんとは言いたかった。いなくなっちゃうのが怖かった。だって友達が少なくなっちゃったから…。でもそれはその子が決めることだから、私はこう言った。「忘れないからね!」とそんな一言だけど、私にとってはがんばって言ったことだったのです。
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一瞬でもいいから好きだった時はありますか
大好きだった彼がいた、彼のためなら死ねるくらい、短い間だったけど、幸せな日々送れたよ、あなたは…別れたすぐに、他の人と付き合って、遊びだったと確信し、お先真っ暗泣きわめき、立ち直ったその日から、まだ好きで仕方なく、隣にはもう居ないけど、絶対戻って来ないけど、伝えたいこの言葉
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まだあなたの事が大好きです。
あなたと一度だけデートしましたね、あの日のあなたの笑顔がとても輝いていてとても素敵で可愛くて、そんなあなたに惹かれてしまった僕はメールで告白したけど、年上の人は無理だと断られてから2ヶ月たちましたがまだ、あなたの笑顔を頭から消す事が出来ずにいます、まだあなたの事が大好きです。
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君が何も言わずにいてくれないからだよ。
相手のことが嫌いだったわけではないけれど、どうしても連絡を取りたくない、という時があって、「気持ちの整理をしたいからしばらく待っていて」と言ったことがありました。だけど、相手には「待っている」ことが苦痛だったのでしょうか。「どうして連絡してくれないの?」という言葉が頻々とメールや電話で届けられて、こっちは心の底からうんざりしてしまいました。何も言わずにいてくれればいつかちゃんと連絡を取れるようになれたと思うのに。言葉をかけなければ通じないということは多いですが、言葉をかけたからこそ壊れていくものもあるのだと、言ってやりたかったものです。
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ごめんなさい、アタシが悪かったの。
チャットで知り合った彼との話、ワタシは携帯を持っていなかったからいつもパソコンでメールのやりとり。最初の2週間は暇があれば直メールボックスを開くのが日課。だけどワタシは返信しなかった調子に乗ってたから。だから幸せすぎてたアタシだったから何も考えない馬鹿なアタシだったのに「別れよう」の、前のメール2件「愛してる」だった。調子に乗ってアタシは「別れよう」という言葉に同意したけど日日がどんどん変わっていくにつれて彼がワタシの彼氏じゃないと気づいた瞬間から8ヶ月のある日、彼に久しぶりにメールをしてみた。彼はゲイになっていたワタシは、それでも、思いを伝えた。「それでも、今貴方を男の子として、大好き。」ってねそしたら「ありがとう^^」って返信が来た。もうワタシには異性としてみてくれないんだってそのとき、気づいた。
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待ってくれ。ずっと一緒にいよう…。
彼女は自分のやりたいことのために、遠くに行ってしまいました。最後に会った時になぜこの言葉を言わなかったのだろうと思います。好きだけではどうにもならないことがあるのだと、その時実感しました。
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好きになってくれなくてもいい。迷惑かけないようにするから、もう少しだけそばにいさせて…。
同じクラスで、一番仲が良かった彼。9コも上だったから、私の事はかわいい妹にしかみえなかったんだよね。でも私は、本当にあなたの事が好きだったんだよ。だけど、あなたが離れていくのが怖くて言えなかった。「お前とは、ほんまにいい友達になれるわ。」と言ってくれたこと、嬉しかったけど、ちょっとだけ切なかったよ。だけど、そばにいられるなら友達でもいい。それでもいいから、一緒にいさせて下さい…。
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たくさんの浅い付き合いの友達より、1人の親友でいいの。
わたしがいつも思っている事。たとえ世界中の人を敵に回しても、私だけを最期まで信じてくれる大親友が1人いればいい。生きていける。そう思うのは…わたしだけかな。でも、大親友の彼女には言えなかった。
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誰も簡単だとは言わなかったけど、一度もこんなに辛いとは言われたこともなかったで。
私が色々とあって、辛い時、当時なかなか会えなかった彼氏に酷いことをたくさんいって別れてしまいました。理由もちゃんと言ってあげれなくて、本当は「今必要やねん。だから話を聞いて」って言いたかったのに全然違うことばっかり言ってしまいました。楽しい思い出をたくさんくれた初恋の人でした。
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ありがとう。
去年亡くなってしまった親戚のおばあちゃん…。遠い親戚だったけど、小さい頃からよく遊んでくれていました。本当のおばあちゃんみたいな存在。そのおばあちゃんにいえなかった言葉です。火葬場で、最後の挨拶と言い火葬場の人が顔の部分だけ開けてくれました。その時、今までお世話になって来た人だったので、ありがとうを絶対言おうと決めてました。だけど結局泣きじゃくるだけで何も言えずにおばあちゃんは灰になってしまいました。
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助けて下さい。
いつも強がってた。今も強がってる。きっと誰より助けを求めてるのに自分のことより他人のことばかり気にして。自己嫌悪に陥って、誰かに殺して欲しいとまで思って、でも自分なんかが人に助けを求めちゃいけないと思った。自分みたいな被害妄想の塊は、誰かに相談できる身分ですらないと思った。きっと私が話しかけたらみんな私を嫌いになる。そう思ってた。今も思ってる。
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好きです…。
高校を卒業してすぐ友達になった。けど、自分に自信がなかったから、言えなかった。初めての一目惚れだった。たった一ヶ月しか遊べなかったけど、ずっと心に残っている。もしも時間が戻るのなら……。
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ママが一番かわいい。うちの自慢のお母さんぢょ。
私のおかんはこの前、急にあっちの世界に。いつも急に私の部屋に入ってきて「ママ可愛いだろ?」って何回もきいてくる。「ピンクすきぃ~」とかいって抱きついてくる甘えん坊ママ。そんなんされても私は恥ずかしいから「可愛いっていうか普通。」「あっちいってぇ~。」そんなかんじだった。さみしかったのかな…。小さいときからの自慢のおかん。いまもずっと心の中にいます。
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ほんとは大好きだよ、別れたくないんだ
付き合って一年たつ彼氏がいました。彼は頭がよくてそしてシャイボーイでした。私は負けず嫌いで男の子っぽい性格だったので女々しい彼にだんだん嫌気がさしてきました。ある日些細な事で喧嘩し、私たちは一度別れました。その一ヶ月後、彼からよりを戻したいと言われよりを戻したのですが、頭のいい彼は大学受験の事ですごく悩んでいました。私は就職する方向だったので彼の大学の悩みをきいていてだんだん嫌になってきました。私は本当は大学に行きたかったのですが家庭の問題で行くことができなかったので腹が立ってきて、就職試験が近い私は彼の悩みを聞いてる暇じゃないと思いバカらしくなりメールの返信もそっけなくなってしまいました。そしたら彼もそっけなくなってきてだんだん気まずくなりついに私は彼に、勉強に集中した方がいいよ。だから別れよう。と言ってしまいました。私は心のどこかで彼と別れることはないと確信していました。だから彼に、お前が別れたいなら別れるよ。さようなら。ってメールがきたときはショックでした。私は涙なんかめったに流さないのに涙が出てきました。素直になれない自分に、へんな期待を持っていた自分に…取り返しのつかないことをしてしまった私…。そして自分の気持ちを伝えられない私…別れてから何度も後悔した。その度にもう一度やり直したいと思うのにそれを伝える勇気がでない上に友人にも強がってあいつなんかもういい。って言ってしまう自分がとても無力です。でも、今でも好きです…本当に彼のことが忘れることができません。
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ヒロくんと出逢えて本当によかった。一緒いた時間は私にいろいろなコトを与えてくれました。いままで本当にありがとう。
2ヶ月前、1年ちょっと付き合った彼と別れました。解決できない難しい問題があり、お互いの将来を考え、話し合って別れることにしました。大好きな人と離れるのは本当に辛かったです。別れたその日には何にも言えなかったのです。まだ普通に戻るには時間がかかるけど、あの時別れたコトを後悔しないように幸せになります。
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ごめん…。
小学校の6年生の頃祖母の容態が急に悪くなって亡くなってしまったんです。亡くなる前にお見舞いに行ったんだけど照れくさくて顔を見せずに帰ってしまいました。けど祖母が亡くなったときに初めて「会えばよかった…。」と後悔しました。けどもう祖母は帰ってこない…その時祖母も僕の顔が見たかったらしくて「顔を見せておくれ。」と言ったらしいです。今になって言うのはなんですが…ばあちゃん…顔見せてあげられなくてごめんね…。
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気づけなくてごめんね。
今年の01月、私のお父さんわ自ら命を絶ちました。辛かったのに何も気づけなくてごめんなさい。今でもお父さんが居ないなんて信じたくない。なんで私たち家族を置いて行ったの?って言いたいけどそれほど辛かったんだよね。53年間お疲れさま。16年間育ててくれてありがとう。ずっとずっとお父さんは私のお父さんです。
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ごめんなさい。ありがとう…それから、大好きだよ。
去年の夏、私なんかを好きだと言ってくれていた人のお話です。彼は私に1度も告白してくれようとしてくれなかったのですが、友達といつも私の事を話していました。そんな彼をずっと見てきた私でしたが、残酷にも卒業式を迎えてしまい、以来、彼とは会っていません。でも、卒業して会えなくなってから、彼への本当の自分の気持ちに気付いたんです。最初から彼の気持ちを知っていながら、どうして自分は何もしなかったのだろうと後悔しています。またもう1度会えたら、謝って…御礼言って、それから今の自分の気持ちをハッキリ伝えたいと思っています。今はただ…偶然という奇跡を信じて…。
信じている言葉
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自分で自分の生きる道を決める。それが生きること。
この言葉は学生の時、部活の先輩が何かあったら、毎回のように言っていた言葉です。キザで不器用な先輩で、この言葉もあまり真剣に受け止めてなかったけど…。今は、俺の人生の合言葉みたいなものです。この言葉は、先輩が言っていた言葉の中で特に印象強かった部分で、全文を書いておきます。「運命…それは自分の生きる道。いわば雲みたいなもの。その流れを選ぶのは自分。その流れを変えるのも自分。自分で自分の生きる道を決める。それが生きること。だから僕は自分を信じ続けたい。そして仲間も信じ続けたい。それが自分の生きる道となるから…。」先輩、アンタは最後まで、不器用な人間だったけど…一応尊敬してるよ。
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人は地位や名誉だけでは幸せにはなれない。大切なことは、人を愛すること…。
僕は何をやるにも下手くそでした。そして、もう自分自身が嫌いになっていきました…。そんな僕を見ていたある友達がこの言葉を掛けてくれました。本当に嬉しかったです。そのおかげで、自分を、少しづつだけど信じられるようになりました。僕はこの言葉を胸にいつまでも人を愛していきたいです。
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信じれば、夢は叶う。あきらめなければ、夢は叶う。
この時の夢とは、大きな夢ではなく、心の病を持っているため、心が壊れてしまった時に信じていた言葉、そして今も、これからも信じています。ただ、毎日、笑ったり、泣いたり、うれしかったり、悲しかったりしたい、それが私の夢でした。それが私にとって最高の夢でした。そして今でもこのことが一番自分にとって大切です。
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GetYourDream.
忙しくてなかなか会えない片思いをしてる人が言っている言葉です。それまでのあたしは、夢もなく日々暮らしていた様な気がします。でもこの言葉を聞いて、あたしには夢を持つ事が出来ました。それは…「あなたに会えますように…」と言う夢。叶いますように。
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俺達がこうしてこのメンバーでいられることは、何億、何兆、それ以上分の1の確率なんだと思う。
この言葉は私の塾の先生が、中1の最後の授業で言ってくれた言葉です。私がいたクラスは、学年で1番上のクラスで、男子8人、女子6人の、他と比べ少人数のクラスでした。男女で話し合ったことはないけれど、みんな仲が良くて、1番上なのに雑談ばかりする先生の話がすごく楽しかった。先生を含め16人、もうこのメンバーで授業をする事はない。あの、幸せだと思うほど楽しかった時間は、一生戻らない。でも、私にとって16人の出会いが、素晴らしい物だと感じられたから。奇跡だと信じられるほど、私はみんなと居られて変われた気がしたから。だからこの言葉を聞いて、奇跡だって、もっと思えました。私と出会ってくれて、ありがとうございました。
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オレ凄いダメ人間だけど頑張って又まさみと笑って楽しく話せるように頑張るからね。まじで頑張るから。
別れた日に連絡しばらくとらないって約束したのに、次の日に来てた言葉。
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相手に何かしてあげたいって最初は思うねん。でもそれが次第に相手にこうして欲しい。って思うようになったら、それはやばいときやで。
私が、当時つき合っていた彼氏にもっと私の気持ちを考えて行この言葉があるから今の彼氏には、その教訓を生かしてこうして欲しい。って言う強い理想を抱かないようにしています。結構うまくいっています。動して欲しい。とか、こうあって欲しいって言う理想が膨れ上がってしんどかったときに友達がゆってくれた言葉です。
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”Wherethereisawill,thereisaway.”精神一到何事かあらざらん(意志のあるところに道がある)
中学の2年生の時、英語の助動詞を勉強しているときに、Willという言葉をオールカラーの英和辞典から引いて、はたと目についた言葉でした。英語が(少しだけ)好きだった僕にとっていつまでも記憶に残ってます。実は、あと1ヶ月もないうちに、20代が最後になります。丁度、会社で苦境に立たされ、3度目の転職活動をすることになりそうです。いつもこの言葉を信じて頑張ろうと思っているつもりですが…、そう願いたいですね。「意志があれば、そこに道が開ける…」。
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遠くにいても、近くにいても、大事なことは一緒だよ。
遠距離恋愛中の彼が、付き合い始めた頃、私に言ってくれた言葉です。遠距離恋愛って、やっぱり何かと続かないとか、うまくいかないとか言われてるし、辛いことのほうが多いじゃないですか。私もすごくすごく不安で不安で、そんな不安で辛いという思いを話したら、彼が私にこの言葉を言ってくれたんです。あれからもうおよそ半年。5つ上の彼はお仕事が忙しいみたいで、なかなか連絡が来ず、二人の心を結ぶための大切な言葉をほとんど言ってくれなくなってしまってます。世間話はたまにするんですけどね。ちょっとそっけないっていうのかなあ…。でも、私の心の中に、初めてちゃんと入ってきてくれた人でもあり、私が初めて心の底から愛した人なので、今でもこの言葉を信じています(^^)。
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運命なんて道の上のちっぽけなレールだ。だから、運命に惑わされずに自分の生きたいように生きろ。それがお前の一番大切な宝物になるから…。
進路を決めるときに、僕は行きたい高校があるけど偏差値が足りず、どうしても決められませんでした。そんな悩んでいる僕に、ある友達がこの言葉を言ってくれました。この言葉にとても勇気づけられました。僕はそれから、とにかく猛勉強しました。自分が生きたいように生きるために…。その結果その高校に決めることができました。そして今も、受験にむけてさらに勉強しています。これは、彼のこの言葉を信じて、取り組んだからだと思います。
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若い時にかっこ悪い経験を多く積んだ人ほど、かっこいい大人になる。
大学受験に失敗し、浪人が決まって落ち込んでいる時に、ふと目に入った言葉。この言葉を信じて1年間勉強を頑張りました。
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最後までしたいことをしてみようか
これはAAAの「Hide&Seek」の歌詞です。受験生なのにクラス替えで大好きな友人と離れてしまってすごくつらかったときに、立ち直るきっかけになりました。今はこの言葉を信じて友人と行きたい高校目指して諦めずに向かっています。
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先生はほかの人には嘘で、おまえのこと嫌いっていうけど、ずっと好きだからしんじてな…。
先生とは高校時代から3年付き合いました。生徒、ほかの教師、校長、親からかなりの、ブーイングをうけました。今も悩んでいます。私は精神的な病気をもっていました。そんな私をかえてくれた、パワーを分けてくれたのは先生でした。辛い恋愛だったけど、ちゃんと恋人のようなこともしました。幸せでした。2人が思いあってるのが自分にもわかるほどでした。そんな先生が校長に呼ばれたとき、私にいってくれた言葉です…。先生、今も好きだけど、もうわすれるよ…。
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あの時二人をつないだ糸は本当に切れやすいものだったよね。でもそんなもろい糸を大切に大切につむいでいるうちに決して切れることのない強くて太い糸になったね。そして今糸は赤に彩られた。…もう切れることはない。
付き合ったばかりの頃ケンカばかりで、いつ別れてもおかしくないカップルだったけどそれで良かったんだね。
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何かあったらドンと来い!心の中にイヤなものをためないように。
大好きな先生から言われた言葉。その先生、冗談好きでこんな事めったに言わない。だから信じたい。
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止まってもいい、戻ってもいい…。ただ、前を見失うな。どんなときでも、希望を捨てるな。
中学の部活で、野球の試合をする前日に僕はある友達に、相談しました。どうせ勝てない試合をなんでやらなきゃいけないんだと…。そうしたら、友達は怒ってこの言葉をかけてくれました。正直、はっとしました。友達のおかげで僕はあきらめない事の大切さを感じることができました。本当に感謝しています。これからは、絶対にあきらめずに生きていこうと思います。
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女の人って年をとると意地悪くなっちゃうみたいだから注意してるの。
友達のお姉さんが大変感じのよい優しい人で、「こんな風になりたいな」といつも会うたびに思っていました。彼女に「○○さんっていつも感じがよくて一緒にいて楽しい。」と言ったらこの言葉が返ってきました。今でも意地悪いことを考えたり、言っちゃいそうになったとき思い出して自重してます。
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あなたに会う為に生まれてきました。
遠距離恋愛時代に、恋人がくれたメッセージです。今はもう同棲しているけどずっと私の宝物です。実はつづきがあるんです。私の長い道のりはたくさんの人とたくさんの出会いでした。今はもう自分の最高を求めて歩んでいこうとしています。その横には誰を望むのか…私は知っていました。心の中にいつも貴方の…。
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願わなければ叶わない。
よく、人の悩み相談を受けて来ました。その結果、セラピストという人生を選びました(今生の目的でもあるから)。その時に、みんな、こうなりたい…ああなりたい…と言います。願いを叶えていと思うならば…「願わなければ叶わない」と話してあげます。みんな、あたりまえな事なのに「ああ…そうだね!」と答えます。現実に夢を夢のままで終わらせないようにそう話します。
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運命ならまた会えるよ。
最後に会ったときに彼が言った言葉です。事情があって今はいっしょにいられない相手ですが、いつか同じ時を過ごせるように…。そう想っています。彼に会えてよかった。そう思います。
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諦めるな何があっても諦めるな諦めたらそこで全部終わるんで。諦めるな逃げるな負けるな
好きな人に言われた言葉。何事も諦めずに頑張っていますこの言葉を信じて…でも彼はもう居ない…
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自分は自分、他人は他人。たとえ全てが同じになったからってそれは変わらないだろ。だったらもっと自分を信じてみろよ。
中学校のとき、俺は一人クラスで孤立していました。どうしてもほかの人の中途半端な考え方についていくことができなかったんです。ひたすら自分だけががんばって…それなのに報われることもない。ならもう俺だってやらなくていいじゃないか、と思っていたときに先生から上の言葉を言われました。先生にとっては何気ない一言だったんだろうけど、俺はその言葉で自分から背負っていた無意味な重みが、一気に消えてなくなったような気がしたんです。その日から再び俺は自分であることを誇りにして他人に無理やり自分を合わせようとするのをやめました。もちろん、中学校の間はほとんどの人から無視されていたことに変わりはありませんでしたが、その代わりに絶対に信頼できる仲間を手に入れることができました。今は同じ中学校にいた生徒がいない高校に通っていますが、上の言葉を忘れたことは決してありません。
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人生、結果が全て。」(失敗は過程だよ。成功という結果にたどり着けば過程は消える。そして過程は必ず結果に繋がっている。)
この言葉が、いつの間にかこんな解釈で自分の中にありました。
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笑顔をたやさず一歩前進。
重度知的障害の息子を育てる中で沢山の人に助けてもらってきました。よく人から「はまちよさんはいつもにこにこしていて幸せそうだね。苦労なんてないんでしょう。」と言われていました。暗い顔をしていても誰も助けてくれません。常に明るく前向きに頑張っていれば、必ず助けてくれる人が現れるのです。この言葉との出会いは、息子が養護学校の中学2年生の時のことです。この頃が一番私にとって大変な時期でした。この言葉を目にしたとき、まさに自分のことを言っているように感じました。この言葉どおりに生きてきたから今の自分があると思っています。2000年の3月に、世の中には暖かい手を差延べてくれる人が沢山いることを知って欲しくて自分史を出版しました。タイトルはもちろん「笑顔をたやさず一歩前進」です。
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早く彼女のもとへ行ってあげて。あなたは彼女を悲しませれない。あなたを待ってる人がひるんだから、行ってあげてうちは一生待つよ
それから13年後、待っててくれたこいつにプロポーズしました。結婚していまはこいつ以外、愛せません。
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俺はイチゴと離れたくないし、イチゴが最後の人だって自分で決めてるから。はっきり言って、イチゴと別れることなんて、これっぽっちも考えてない。むしろ一生一緒だって俺は考えてるから。
ちょうど出会い系サイトにちょっと火がついた頃。その頃、私は別の彼(年下)と遠距離恋愛にあった。でもある日、私がなんとなく気になる名前のチャットがあって、入ってみるとそこに今の彼(年上)がいた。その頃は、年下の彼が好きだったし、年上に興味がなかったからただのメルトモ
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人生に挫折はつきものだ。道がなければきりひれけばいい。レールにのる人生なんていうのは絶対するな。自分らしく生きて見せろ。これはお前の人生なんだから。
私が夢をあきらめた時に先輩が言ってくれた言葉です。私はこの言葉を信じて今も夢に向かって頑張ってます。
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成せば成る。何でも試してごらん。
小学校6年の頃の担任の先生によく言われていた言葉です。今、スイミングでバイトをしていて子供たちに水泳を教える立場にあります。そうなって初めて、担任の先生はいかに自分たち子供の可能性を信じていたか、身に染みて感じています。とても厳しい先生でしたが、今では心から尊敬しています。
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俺らはずっと、友達のままっしょ。
大好きにだった人に言われた言葉。彼はその後事故で亡くなった。あの言葉、今でも忘れられない。永遠に友達でいてくれるかな。
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真っ先に会いに行くからね。
実は今、大好きな恋人が刑務所に居ます。色々な葛藤があり、やっと今冷静さを取り戻せました。彼が弁護士に伝えてくれといった言葉です。今はその言葉を信じて毎日を過ごしています。
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愛することとは、大切な誰かの為に何かをしてあげて、その誰かが幸せになること。そして、それによって自分も幸せになること。
この言葉は、昔TVのインタビューである神父さんが言ってた言葉です。恋愛に燃え「好き」では物足りないと思い始めた頃、「愛するって何?」とずっと思ってました。多少のナルシズムと大人の恋愛への憧れ、いつか言いたい言葉「愛している」を言う為には何が必要なのだろう…なんて。この言葉を聞いてから素直に「愛している」言えるようになりました。そして愛の意味も…。
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君は○○(自分の名前)という物語の主人公なんだよ、主人公がそんなことで諦めたらその物語はつまらない。
先輩から言われた言葉。受験のとき成績が上がらなくて浪人を辞めようと思ったときに言われました。誰が読むわけでもないその物語をぼくらは、ただひたすらに紡いでいくしかないのだ。そしてその物語を最高の物語にしたい。
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弱くなったんじゃなくて、大事なものが増えたっていうことだと思うよ。
彼と付き合い始めた頃、「付き合ったらあなたを心のよりどころにしてしまって、逆に自分が弱くなってしまう気がする。」と私が言ったことがありました。すると彼がこのように言ってれ、私は本当にハッとしました。付き合うことは弱くなることではなく、大事なものが増える、幸せなことなんだ、と素直に思うことができました。今でもとても心に残っている言葉です。
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おやすみ。
1999年12月17日。部活(バレーボール)でサーブの練習をしていました。いつも上手くいかなかったのにこの日に限っては絶好調!「どうしちゃったんだろう」って思うくらい調子がよかったんです。そんな最高の部活を終え帰宅。家には可愛いハムスターがいたんです。(名前:バナナ)最近野菜をあげていなかったのでキャベツを持ってケージの側ヘ。ケージを叩いても起きないので家をたたいてみました。だけど反応なし。「熟睡しているのかなあ?」って思いつつも家をあけてみたんです。そしたらもう天国に行ってしまっていました。病気をもっていたハムちゃんだったから楽になれてよかったなあって思いたかったけどやっぱり寂しくて…とても複雑でした。涙が止まりませんでした。前日は元気に走りまわって水も飲んでいました。私は自分のバナナへの接し方が最近悪かったなあって反省しました。自分の都合で世話をちゃんとしてあげられなかったんです。ハムスターも生き物です。頭の中ではわかっていても結局はわからなかったと同じなのかなととても自分がいやになってしまいました。「おやすみ」という言葉は私の想像ですがバナナが天国へ登ったと言うことを「サーブの絶好調」と言う形で知らせてくれたのだと思っています。もしかしたらありがとうだったのかもしれません。バナナはとても優しいこだったから…。こんな私にでも言ってくれるのならとっても嬉しいけど、私は最後までバナナにちゃんと接してあげられませんでした。そんな自分が恥ずかしくて「ありがとう」をうまくうけとることができません。けど私が言います。「バナナごめんね。そして、”ありがとう”」
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栄光に近道なし!!
これは授業中に友人が言った言葉なんですけど、栄光を掴みたければ近道なんて探してないで常に頑張ることだよ!って言い聞かされた言葉です。
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まいちゃんは私のすべてやで。まいちゃんがいない世界なんてありえへんねんで。ずっと、支えててな。まいちゃんなしじゃ無理やから…信じてな。
うれしかった…。ビックリして…なんか、かなり筈カッタ。でも、こんなこと言ってもらえる私ってすごい幸せや。
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これから、この時計と一緒に最低50年は時を刻むんだよ。
「目を閉じたら、もうそのまま目が覚めないかもしれない…。」毎晩、こんな事を考えてしまって眠る事もできず…。以前投稿した言葉(運命をかえた言葉No.2)の相手に僕が時計をプレゼントした時の言葉です。自分が言った言葉ですが、あの人がその時計と一緒に頑張っている事を…今でも信じています。
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仕事ができない奴はクズだ。だが、仲間を見捨てる奴はクズ以下だ。
私はある会社の社員です。入社当時は、とくかく上を目指すことしか頭になく、上司の機嫌と仕事しか見えてませんでした。そんなある日、私の同期が大きな失敗をしてしまいました。そいつは部下のために、大事な仕事をほったらかして、部下を助けにいっていたんです。私は心底、その同期に呆れました。そんなの見捨てれば部下のミスで済んだのに…とても大事なプロジェクトをほったらかしたんです。当然クビだと思いました。でもその同期は1週間の雑用ですんだんです。そしてその後、部長がその同期に言ったのがこの言葉です。その日から私は変わりました。会社は大きなグループです。助け合っていくべきだと思いました。
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この世は不平等だな…才能というものは…ただひとつ平等なことは、みんなに無限の可能性があること、努力をすれば自分の望む未来が手に入ることか…。
僕は中学のとき本当に落ちこぼれていました。自分は誰よりも努力した…けど、自分より努力してないやつのほうが上だったりする…。もういやになっていた、努力は意味がないと思った。そしていたら、僕に友達がこの言葉をかけてくれました。そのときはこの言葉を信じていなかった。けど、努力をして自分の成長を感じたとき、この言葉が思い出されてきました。僕にはこれからもっと広い未来がある。僕はそこから自分の望む未来を勝ち取っていきたい。
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お前の運命はお前のもんだ。お前の生きたいように生きろ。絶対に運命は変えられるんだから、自分が進みたい道を精一杯歩んでくれ。
中学の卒業式の時に友達がこの言葉を言ってくれました。僕はよく彼に進路について相談していました…。そんな弱気な僕を彼は助けてくれようとしたんだと思います。だから僕は、絶対に自分の望んだ道を生きていきたいです。自分の為に、そして大切な仲間の為に…。
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努力して負けることはあっても努力なしで勝つことはない
中学時代に先生が言ったことばです人生、仕事全てにおいてこの言葉を信じて努力して頑張っています
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自分を言葉で傷つけることは出来ない。
これは、小さい頃、今は死んでしまった祖父から聞かされた言葉です。その時、祖父は話していました。「言葉というものは本当に傷つきやすいものだ。だけど、言葉で体に傷をつけることはできない。自分さえ強ければ、言葉なんかでは傷つかない。傷つけられない。そういう強い人間になりたい。」と。それから長い月日が経ちましたが、いまだにこの言葉を実践することができません。だから、これからも信じていきます。この言葉を実践できるように…。
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まあ、いー事あるさ…。
私の友達がいつも口癖のように言う言葉です。その友達は、決して平凡な人生を歩んできたわけではなく、話を聴いただけじゃ分からない色々な苦労をしてきたんだと思います。私がいつものように私生活とかの不満を愚痴っていたら、ふといつものように「まあ、いー事あるさ…。」と友達が言いました。励ましの裏に隠れた寂しさと刹那さが凄く胸を痛めます。でもわたしは、この言葉をずっと今もこれからも信じていきたい。色々な辛い経験をしてきたその人が言うからこそ言葉に重みがあるし、信頼できる。私が悩んでる時も、不安な時も、落ち込んでる時も、この言葉を何気なく吐いた友達ですが、この言葉はほんとに魔法の言葉です!生きてれば、いー事あるんです!
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全力でぶちあたれ!たとえ手に入ったものがなかったとしても「これでよかったんだ」といえる明日があるから。確実に自分の中が変わるから。
これはうちがいろいろな事で悩んでいる時に先輩がうちに言ってくれた言葉です。うちはこの言葉を聞いて少し強くなれたきがします。自信もつきました。先輩にはとっても感謝してます。この言葉を信じてこれからも頑張っていこうと思います。…ありがとう…先輩…。
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いちばん具体的な優しさは、ムカついてる時の「ふざけんな!」を「ごめんね・ありがとう」に変えること。すごい難しいし、勇気いるんだけどね。
これは松岡充さんの言葉です。あることがあってある人に最悪に傷つけられてすごくムカついた時、私は「シカト」にはしりました。私の友達はみんな「シカトして当然だよ。あいつが悪すぎるんだから。」と言っていて、私もそう思っていました。でもだんだんシカトが重たくなっていた時、この言葉に出会いました。どんなに傷つけられようと、受け入れていくのも優しさなんだ…と思い、感動しました。
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もう一度自分の夢を思い出して。
彼に別れる時にいわれた言葉。夢を追いたいから別れようといった彼。嫌だと泣いた私にいった言葉です。この言葉で夢を信じて決して泣かないで頑張ろうって…。そう思えました。ありがとう。
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俺はメグのそばから消えたりしない。だから安心して。
私の両親は離婚し母が出て行きました。とっても大好きな母だったので当時10歳だった私にはかなりショックな出来事でした。そのためいつまでたってもその時の悲しみは消えず大切な人を失うのが怖くて、一時深い人間関係をつくることが出来ませんでした。その後中学に上がり2年生になって初めて出来た彼氏に「私の前から消えたりしないでね。」と言ったら、彼は私の家の事情を知っていたのもありその言葉を優しく私に言ってくれました。ほんの些細な一言ですが私には安心感を与えられた、とても大きな言葉です。
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自分を信じること、信じられる自分でいること。
受験期に「自分を信じろ」とか言われても、世の中で一番信じられないのは自分なのに…と思ってました。けど、違ったんですよ。心臓外科の先生の言葉を聞いて、気が付きました。他人からも信じてもらえるには、信頼を得られるように、やるべきことはやらないと。なのに、自分からは無条件で信じてもらえると思ってた。自分で自分が少しでも信じられるように生きていきたい。
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前進」「探求者
きっかけは、ほんのつまらない事から得ました。自分は要領が悪いせいか、何をやってもうまく行かず、諦めかけていた事ばかりだったのですが、その事で自殺もしたほうがいいかな、とか、色々な事になげやりになっていました。けれども死んでしまっては自分が負けになってしまう、という言葉を思い出してもいました。でも、自分は生きている限り、何かができる限り、色々な事を知り、前に向かって進みたいという気持ちから、「前進する探求者」になろう、という意味を持ち、そう信じて前に進む事にしました。
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今を頑張っていれば、いつかいい結果が返ってくるよ。
大好きで大好きで…けど、届かないくらい大きくてかっこよくて素敵な先輩。卒業式の日「お世話になりました」って挨拶したら、この言葉がメールで返ってきました。唯一の学校へ行く楽しみだった…先輩に会えるだけでよかった。先輩がいなくなって寂しいし辛いけど、残してくれたたくさんんの思い出と、幸せな時間とこの言葉を支えにこれからも、私らしく頑張っていきたいな…。またいつか先輩会えるって信じて…。
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批判する事なかれ、比較する事なかれ、疑う事なかれ、そこからは不安と恐れしか生まれない。
30代に入った頃、自分の中でいろいろと暗中模索しておりました。不安と恐れに苛まれ…。いろいろな本を読んだり、人にあったり、映画を見たり…。その中で生まれた言葉です。
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あなたに出会えて幸せ。
彼女が飾ることなく言ってくれた言葉です。その彼女はもうこの世にはいません。事故で天国に逝ってしまいました。それから16ヶ月が経ちました。僕がこうして生きているのは彼女のこの言葉のおかげです。本当は逝けるものなら今すぐにでも逝きたいですけど。僕も彼女に言います。「あなただけを愛し続けます。」
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ふう~ん。おまえなら何とかなるんじゃねえの。
きっと無理だろうなあと思ったことを友達に相談した時に言われた言葉です。自分では無理だろうなあと思ってたけど、この一言で頑張ろうという気持ちになりました。信じています。
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「心・技・体」のうち奇跡を起こしてくれるのは「心」だけです。
中学校生活最後の大会、九回4点差で負けているときに監督が僕たちに言ってくれた言葉です。その試合は1点差まで詰め寄ったものの惜しくも負けてしまいましたが、その言葉は今の高校生活のかてになっています。
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人生は,至る所に罠が仕掛けられており錯覚に満ちている。
この言葉は、ドイツの哲学者ショーペン・ハウエルの言葉で、この言葉でどうにか毎日をのりきっています。大学を辞めてドヤ街で、その日暮をしていたのを抜け出して、どうにか暮らそうと思うようになったのはこの言葉の存在が大きいです。正直言って、あまりにポジティブなのとか正論は信じられないので…。世間の価値観から外れてしまったり、失敗すると敗北感を味わい恐怖や不安を感じてしまうんですけど、この言葉でとりあえず人生がどうであろうと納得して向き合えることが出来るのです。
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Actthepart
書店で立ち読みした英文エッセイ集の中の、一つのタイトルだったと思います。非常に短い文で内容は忘れました。ただこの「言葉」自体、非常にインパクトのあるものなので自分流に解釈して”座右の銘”にしています。「役割を演じろ」の、自己流解釈はこうです。人間は長ずるに従い、様々な集団に同時進行の形で所属していきます。そして、それぞれのコミュニティ内で「期待される役割」があるのだと思います。当然すべてにパーフェクトに応えることは物理的に不可能でしょう。優先順位はつけざるをえません。そしてメイン集団の中では、自分に求められる役割を、がんばって”演じる”べきだと思います。原始母集団である家族の一員としての役割。学生として、学ぶ立場の自分としての役割。(社会人なら仕事でしょう。)友人間の役割。メインはこの3つでしょう。サブ集団は山ほどあります。任意チョイスの集団です。もちろん、”任意だからこそ”所属している限りは、役割にベストを尽くします。トランプのババ抜きやっていて、「どうでもいいや」のプレーヤーが1人でもいたら、参加者全部の時間をつぶしてしまいます。「スタイルはイメージのリフレイン」という言葉がありますよね。自分の信ずる役割を演じ続ける過程でスタイルは出来ていくものだと思います。
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泣いたら負けだ。でも泣きたい時は思いっきり泣け。
失恋したとき先輩に肩をポンっと叩かれてこの言葉を言われました。その時涙がピタリと止まって、泣きそうな時はいつもこの言葉を思い出しています。
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永遠なんて本当はないんだよ。でも、永遠を願えば、その時は永遠なんだ
尊敬しているアーティストのラジオで聞いた言葉です。以前録音してあったテープを何気なく聞いたときにでてきた言葉でした。その時は確か中学を卒業する前で、いろいろと揺れていた時期だったと思います。新しい環境は待ち遠しいけれど、その前に卒業を控えた私は、親友と呼べる友達と違う高校に進学することになりました。人付き合いの苦手な私を受け入れてくれた友人と離れるのが辛くて、もしこのままでいられたらどんなにいいだろう…という気持ちと、新しい生活に対する不安でいっぱいでした。でも、この言葉を聞いて、何だか気持ちが楽になるのを感じました。多分、私の記憶の中では、その友人とは永遠に親友と呼べる存在だと思ったから…。独りよがりかもしれないけれど、友人としての付き合いがはじまって10年たった今でも、お互いを親友を認めあえる仲のままです。
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強い人ってのはなあ、ただ力が強かったりする人のことを言うんじゃない。いつでも笑顔でいられる人が真の強い人なんだ。強い人になれ。
仕事を真面目にすればするほど、周囲からの批判が高まり、孤独や不安を抱えていた時、読んだある本に書かれていた言葉でした。適当で済ませば良いのかなと思った時、自分を救ってくれました。高い志を持つことは決して悪いことではないと思い直しました。完璧にできる人間はいないけど、できないからと初めから何もせずあきらめてしまってはいけない。理想と欲求に忠実に日々努力する…自身の信条です。
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笑っていれば、必ずいいことが返ってくるから。
僕は今大学1年生で、とても好きな人に恋をして付き合うことができました。しかし彼女にうまく気持ちや感情が伝えられないばかりで迷惑ばっかかけていました。そして1ヵ月後に別れてしまいました。でも、彼女のほうからまた話そうといってきてくれて今は普通に話せています。彼女の方は彼氏ができたみたいです。大事な人をも手放してしまう自分だけれど、彼氏にいえない悩み事や相談事があるならば全部話をきくし、体調とかなにかに困っていたら誰よりも心配しています。そしてなによりも本当にニコット笑った笑顔がかわいくて好きだったから、僕自身がんばって面白い事をしたり楽しい話をして笑わせたいと思った。彼女だけでなく、今まで知り合った友達、喧嘩をよくする親、バレーボールや弓道をおしえてくださった先輩達にも笑って楽しくできたらいいなと思います。だから…僕は笑うんだ。辛いときでも悲しい時でも笑うんだ。
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ばんびのおかげで私は強くなれました。これからもずっとばんびと親友であり続けたいです。
これは中学の卒業文集に書かれていた友達の言葉です。当時私はいじめられていて信じられる友達は彼女だけでした。迷惑をかけたので罪悪感があり申し訳なさでいっぱいでした。でも彼女は私のことを親友と思っていてくれました。私も一生彼女と親友であり続けたいです。
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お前は6番バッターだ。6番バッターの意味は「根性」だ。
中学のときのソフトボール部で、打順を説明してもらったときの先生のコメントです。私は1年の時6番バッターで、先生が「お前は根性だ。」と言ってくれた時、とても誇らしかったのを覚えています。頑張ろうと思える言葉で、高校になった今でも、私は根性なんだと信じてソフトボール頑張っています。
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自分を怒ってくれた人の数は、自分を愛してくれた人の数なんだよ。
私が悩んでいるとき、おばあちゃんに言われた言葉です。小さい頃だったのであまり理解出来なかったけれど、いま思えば心に残ったなあと思っています。
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お前がいるから俺が生きられる。だからおまえも生きてくれ。
彼が病気で入院しているときに言われた言葉。彼はこの言葉を残した後死んでしまいましたが、私は今も苦しいことや死にたいと思っていても、この言葉を残してくれた彼のために生きていこうと思っています。彼は私が精神的に弱いのをしっていて、残してくれた言葉だと私は信じています。
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「私が○○○を守ってあげる。私ぐらいしか相手出来るのいないんだから。」
前に付き合った彼女が言ってた。俺はこの言葉を忘れられずたまにふと思い出します。
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大好きだよ♪
私わ、ずっと好きだったYくんに告白されました。でも、みんなの前での告白だったので。「ごめんなさい」といってしまった。でも、今も大好きなのであの…「大好きだよ」と言う言葉今も信じています。
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自分の側から見ているだけでは物事の真理を見逃すぞ。相手を信じること。許すことは、自分を大事にすることでもあるんだぞ。
小5の時、私は家族から愛をもらえず、何も信じれなくなり心を閉ざしていました。それで、田舎のおじいちゃんの家に行き、休養することになりました。そこでの生活、おじいちゃんやおばあちゃんからの愛で私はどうにか立ち直ることができました。この言葉は田舎のおじいちゃんが言ってくれた言葉です。
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裏切らない人だっているんだよ。
この言葉は、つい最近言われた言葉です。3ヶ月くらい前かな…。私は小・中学生の頃、いわゆる「イジメ」にあっていて、登校拒否やそれに似たことをしていました。仲の良かった友達から無視されたり陰口を叩かれていたりして、人間不信に落ちていました。人を信じることを恐れたまま高校生になったのですが、心のどこかで人を疑う癖は直りきらず、楽しく話していても、この人だって本当は私のこと嫌ってるんだ、そう思っていました。私が人を信じる事や、生きる意味・死ぬことの答を捜し求めるようになったのは、ここからきているのかもしれません。この言葉を言ってくれた友人は、出逢ったばかりのネット友達でした。顔が見えないからか、色んなことを話せて、いつの間にか私の心のよりどころになっていたんです。そして、友人にいじめにあっていたことを話したとき、私はこう言いました。「人は簡単に裏切ってく。いくら仲良くしていたって、心の底では舌出してるんだ。」この私の言葉に、この言葉を返してくれたんです。ありきたりの言葉だけど、私には嬉しかった。真剣に悩んで、落ち込んで、死んでしまいたいと思ったことまであったのに、この言葉で目が覚めたのです。少なくともこの人は私を裏切ったりはしない。そう感じさせてくれる言葉でした。この言葉のおかげで、また人を信じることに挑戦してみたいと思います。
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努力は天才に勝る
この言葉は中学三年生のクラス担任が言っていた言葉です。努力していてもどうにもならないときはこの言葉を思い出して、頑張ろうと思います。先生に会いたいな。
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春先のホトトギスは「ホーホケキョ」と上手く鳴けない。誰だって練習して上手になるんだよ。
粘り強く頑張れば、道は必ず拓ける。人生は、頑張れるかどうかで決まる。
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負けたって良い、逃げたって良い。でも負け犬の敗北者にだけはなるな
卒業する前に言った学校の先生の言葉。世の中、努力してもどうにもならないことはあるし、諦めたくなくても諦めなければいけない事だって沢山ある。でも逃げた先に新しい道が見えることもあるかもしれない。心が死なない限り、負けたって逃げたって、頑張れると思いました。先生の言葉は今でも心の支えです。
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本当の愛は、相手が何をしてもたとえ浮気をして別れ戻ってきた時に、受け止めてやれる。何をしても受け止められる心だ。
俺が彼女と別れて好きで忘れられない時に父さんが言ってくれた言葉……その日は、彼女が隠していたことを全部言うといって、不安になってた時で、とても励みになりました。今でもその言葉信じて生きています。
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今チャーリーの周りにいる奴らはチャーリーが怪我してる足に塩をすりこむ奴らだよ。そんなの本当の友達じゃない。本当の友達ってのは、チャーリーの足にバンソコはってくれる人だよ。もしかしたらその人は消毒までしてくれるかもしれない。チャーリーが言いたい事ぶつけてもちゃんと受け止めてくれる友達がいるから…きっといるから…。
この言葉は私が小学校の時いじめにあったときに兄が言ってくれた言葉です。友達…人間と言うもが信じられなくなって味方が誰もいないときに家族が味方になってくれました。みんないろんな事言って来てくれて嬉しかった。その時兄の言葉が心に響きました。今ではもう乗り越えて逆にいじめにあって良かったと思います。なぜなら、このおかげでいろんな大切なモノが生まれたからです。兄の言葉は今でも信じています。
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本当の厳しさを知っている人が、本当の優しさを知っている人だ。
人間関係で自分が屈折してた時、ラジオで聞いて(誰が言ったのかは覚えてません)生きる強さを教えてくれた言葉でした。今、俺自身目指しています。いまだにこの言葉の人間に巡り会った事がないから…。
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もし誰かが誰かを傷つけるなら、お前は傷を癒す人間になればいい。
これは以前放送されていた、「愛犬ロシナンテの災難」のセリフです。ちょうどその頃私は、友達にイヤなこと言われてヘコんでいる時でした。どうして私ばかりこんな思いをしなくてはならないの!と思っていたのを覚えています。そしてこの言葉を聞き、それからというもの、我慢ができるようになりました。例え傷つけられても、私が癒してあげようと…。この言葉を思い出して、今頑張っています。
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うちらは大切な親友だよ
二年前の夏に交流に来たKちゃん仲良くなれるか不安だったけどこの学校に転校して寄宿舎に入って急に仲良くなれたねたくさん話してとても楽しすぎてあっという間に時が過ぎていくねメールをするときに「うちらは大切な親友だよ」って送ったね覚えてるかな?Kちゃんはいつもうちに慰めてくれたり相談してくれて……色々と迷惑掛けてしまったのにKちゃんはそのことを気にしないで支えてくれたねありがとうKちゃんは明るくて元気いっぱいなところが一番かっこいいよ!!この世にとってKちゃんに出会えてよかった親友になれてよかったおばあさんになってもうちらはいつまでも親友だよ!!これからもよろしくね
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僕たちは歩いている。時間軸を過去から未来へずっと歩いている。一人で歩いているわけじゃない。家族、友人、恋人、みんな一緒に歩いている。それは永遠に続くようで続かないこともある。足を止めてしまった人とは、もう一緒に歩くことはできない。だけど、その人は、いなくなったわけじゃない。そこに立っている。ずっとそこに立って、ずっとそこにいて、僕たちが歩くのを見ている。いなくなったわけじゃない。いつまでもそこにいるから、安心して僕たちは歩き続けよう。そう、いなくなった人なんていない。みんなそこにいて僕たちが歩くのを応援している。だから歩け。
この長い言葉は僕が大切な人をなくして悲しんでいた時に友達がこの言葉を言ってくれました。この言葉で僕は勇気がでた。いなくなったわけじゃない、立ち止まって僕たちを応援してくれてるんだ…。そう考えると涙がでます。だからしっかり、歩いていこうと思う。いなくなった人ってのは本当は、そんなのいない。
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不可能なんて単なる先入観に過ぎない。
受験、恋、部活など様々な場面で誰しもが無意識に踏みとどまろうとします。でもやってみたら案外うまくいったりするものです。大きな壁を乗り越えようと思うとき、この言葉を繰り返して言ってみてください。
救われた言葉
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寧々が居るから生きていよう、って思ったよ。
自分が生きている意味がないんじゃないか、って思っていたときに言われた言葉です。電話をしていて「死にたいって思っちゃったんだ…」って言ったら、「私も思ったコトあったよ…。でも…寧々が居るから生きていよう、って思ったよ。」って言ってくれました。その時、「私が居るから生きている、っていう人が居るなら、私はその人のために生きよう。」って思いました。生きるコトの意味をくれた一言でした。
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数え切れないほど無くしてまた拾い集めりゃいいさ。
ELLEGARDENってバンドの「ジターバグ」という曲の歌詞です。この言葉には泣かされました…。私はいつも一緒にいた三人の友達と喧嘩てしまい、見捨てられてしまいました。そもそも私が吹っかけたので、悪かったと思って謝リましたが…。皆の答えはそれでした。私は人一倍淋しがりやだから、かまって欲しかった。それだけだったのに…。無くしてしまった大事な友達。もう、戻れません。悲しいことだけど、私がいなくなって三人の絆が強くなったようです。それを見るのはほんとに、辛い…。そんなときにこの言葉に出会いました。…そうなんですよ。好きで好きでしょうがない仲間だったから、無くした事を認めたくなかったのでしょう。でも、もう終わり…。喧嘩してからいろいろなものを無くしてしまったけど、きっと大丈夫。また、少しずつでもいいから拾い集めればいい。それだけのことですよね。そしてその拾い集めたものを、今度はけして無くさないように…。悪い自分と戦って行こうと思います。皆。ごめんね。ありがとう。
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一番になればいいじゃん。
就職活動の時、僕がどうしても受けたい会社がありました。しかし、そこの定員は1名でした。まわりは、「やめなよ」「他のところはどうだ?」というばかりでした。自分でも「受からない」というのは、思っていたんですけど。僕にとって、その会社は憧れだから受けたい、という想いがありました。その時、卒業研究担当の教官だけが、あっさりと言ってくれました。「簡単なことだよ、一番になればいいじゃん」って。僕はその会社を何の迷いもなく受けることができました。落ちちゃいましたけど。ぜんぜん、救われました。
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ありのままの自分でいることが大事だよ。
仕事や家族のことですごく息詰まって精神的に参っていたとき、彼にそう言われました。その一言でホントに救われて気が楽になりました。周りに惑わされず、ありのままの自分でいこうと思いました。彼にはすごく感謝しています。他にも色んな言葉で救われてるので彼は私の精神安定剤だなって…。
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走るのに疲れたら歩けばいいじゃん。それでも前には進むんだからさ。
就活中に辛くて気が狂いそうだった時に彼女に言われて救われた言葉です。
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女の武器は涙じゃない、笑顔だよ。
私が告白されて、その人をふってしまったときに、申し訳なくて、どうしていいかわからなくて泣いていた時に、友達が言ってくれたセリフです。冗談みたいな口調だったけど、私はすっごく励まされました。感動して余計に泣いちゃったけど。この言葉、ずっと憶えておきます。
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あまり気にせず、いつもちょっとだけ気にしなさい。
仕事で大きな失敗をした時、直属の上司にものっすごい怒られて落ち込んでいた時、一番偉い上司に言われた言葉です。
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お前はお前のままでいい。背伸びなんかせんでいいんで。
友達の力になってあげられなくて、悩んでしまった時に先輩が言ってくれた言葉です。私は人に甘えてばかりで、自分は誰の役にも立ってあげられなかった、そんな自分が嫌で落ち込んでいると、先輩は私の異変に気づき、悩みは全部吐き出しなさいって言ってくれました。先輩にも甘えて、友達にも甘えて、何一つ満足にできない、こんな私に、お前はお前の良い所があるやん、人と比べてもめっちゃ優れたところもってるやん、お前は背伸びなんかしんでいい、そのままでいたらいいやん。って言ってくれました。お前はほっとけんのやから。って。本当に救われました。今もその先輩にはお世話になってます。いつか絶対恩返しがしたいと思ってます。
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アザミちゃんが考えるほど辛いことはないと思うよ。
不登校だった私が色んな事をマイナス思考に考えている頃、友達が言ってくれた言葉です。物事を甘く見すぎるのも駄目だけど、マイナスに考え過ぎるのもよくないと気付かされました。今ではあれこれ深く考えることはめったになくなり、元気に学校へ行ってます。
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自分の事をどう思おうと勝手だけど、お前がいないと凹む人間がここにいるのを忘れんな。
何もかもうまくいかなかった。あの頃。お前がいなかったら今の俺はいなかったと思う。こんな俺の言うこと、強く頷いてくれたのはいつだってお前だった。ありがとう。何もかも嫌になって逃げ出した俺を必死んなって追っかけてきてはブン殴って涙してくれたのもお前だった。ありがとう。本当にありがとう。今はもうお前に会うことはできなくなってしまったけど、俺、頑張るから。そんでいつかお前んとこに行っても胸張れるように頑張るから。だからお前はあっちの世界でも安心して俺を見ていてください。
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おまえの能力を信じてなければ、俺だってこんなこと言わないよ。
同業者の先輩であり友人である男から、こんなふうに言われたのが2年前。実は僕、本業とは別に、やってみたいことがあります。しかし、やってみたいと言うばかりで、日常の仕事の多忙さを理由に、なかなか行動できないでいます。業を煮やしたその友人が、「やりたい気持ちがあるならできるはず。結果なんか気にしないで、まずチャレンジすることが大事だろう」と説教。できる力があるくせにやらないのは罪でさえあると彼は言い、最後に上記の言葉を付け加えました。言葉としては非常にありふれているんですけれど……。仕事上でうまく行かないことが多く、自信喪失気味だった時だけに、たいへん救われました。けれど、いまだやりたいことは半歩も進んでません。ですから、友人に「申し訳なく思う言葉」でもあります。
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あなたがアナタだから好きです。
自分が嫌いでたまらなかった時、隣りに居てくれた一人の少女が言ってくれました。彼女のこの言葉がなかったら、僕は今こんな風に笑っていられなかったと思います。…有り難う。
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あのさあ、困ったり苦しんだりしたら俺たちを頼ってくれよ。確かに言いづらいこともあるだろうけど、みんな親友以上の親友だろ。
うつ病で入院生活から退院した時に、仲良しメンバーの一人が言ってくれた言葉です。「一人じゃない。みんながいるんだ」そう思いました。本当にありがとう。
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○○の笑顔見たら、みんなビックリするだろうね。俺と会ったらとっびきりの笑顔でお願いします。笑ってあげるから。
私はそのとき二年間付き合ってた彼氏と別れてぼろぼろになっていました。でも、立ち直ろうと思い「もうこれからは泣かないで笑顔でいるね。」といった時にある人が私に言ってくれた言葉です。凄く凄く嬉しかったです。今、無事に立ち直って楽しい生活をおくれているのはあの言葉のおかげです。ありがとう……。
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「大丈夫。お前の事をちゃんと見ていてくれる人は絶対にいるから。」
仕事や人間関係で中々上手くいかずに、悩んで人に嫌われてるんじゃないかとマイナス思考に考えていた時に、元彼が言ってくれた一言。無理して自分を変えなくてもいいんだと、勇気をもらいました。今でもこの言葉を思い出すと泣けてきます‥。
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いいんじゃねえの。
私が中学二年の時のことです。あることがきっかけで私は「自分が弱いこと」を痛いほど感じました。強がっても強がってもやっぱり弱い自分。「嫌だ。このままじゃダメだ。弱いままじゃダメだ。」そう思って必死になっていました。怖くない、痛くない、私は強いんだから…と。そんな時に友達がぽつりと言った言葉が「いいんじゃねえの。」です。弱い私でもいい、そう言ってくれたのが嬉しくて、今まで我慢していた涙が溢れました。やっぱり今でも強がってばかりで本当は弱い私です。でも、友達の一言でそれでもいいと思えるようになりました。彼は私の心を救ってくれた、大切な友達です。
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バカヤロー!おまえらしくねェぞ。男ならちょっとやそっとの困難ぐらい乗り越えて見せろ。もし、もしも一人じゃ上りきれない壁にぶちあたったら、そのときはオレがお前の土台になってやる。
中学の親友がいってくれた言葉です。そのころ、オレは事故で右腕にケガをして大好きな野球が満足にできない体になってしまいました。「もう、野球なんて…」とオレが退部届けをだそうとした時に親友がこの言葉をいってくれました。だから今は楽しく野球をやれています。
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自分のこと嫌いだなんて言わないで。nanaが自分のこと嫌いになればなるほど、私はその分nanaのこと大好きになるよ。
半年くらい前、私がサークルのなかで責任ある仕事を任されていたときのことです。私は自分の思っていることや、やりたいことをサークルのみんなに伝えられず、自分にはこの仕事無理だ…。責任ある立場なんて荷が重過ぎて…。周りの期待にこたえることのできない自分が嫌いで仕方ありませんでした。そんなとき、サークルで一番仲がいい友達に「こんな自分が大嫌い…」と弱音を吐いたら、この言葉が返ってきました。自分が大嫌いになっていて全てのことを投げ出してしまいたいと思っていましたが、この言葉によってもうちょっとがんばってみようかなという気持ちになりました。私は私でいいんだと思えたとたん、涙が止まりませんでした。
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たって歩け、前へ進め。お前には立派な足がついてるじゃないか。
僕は中学生の頃何をやっても空回り…物事がうまくいかず、やる気をなくしていました。やってもうまくいかないならやらないほうがいい…。そう思い毎日を過ごし、いつしか僕はその場に止まってしまいました。そしてほかの皆は手の届かない所にいってしまいました。そんな時、先生がこの言葉を言ってくださいました。それからは自分を信じ頑張り続けました。この言葉があって今の自分があるんです。
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「頑張るって言ってる奴に頑張れって言う必要はない」
私が部活をして、どうしようもなくだめな状態だった時。みんなが頑張れ、頑張れって言う中で、私はその言葉に疲れていました。それでも、一番信頼していた先輩だけはなぜか頑張れと言わなかったので、なぜ言わないのか聞いてみたところ、上記の一言を。それを聞いた瞬間に、自分のことを信頼し、信じてくれていることが十分すぎるほどに伝わったし、先輩がどれだけ私を見てくれているかがわかりました。このおかげで、すっと気持ちが楽になりました。今でも、大事な大事な一言です。
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死ぬんだったら日本きて僕にあってから僕の前で死んで僕も追いかけて死ぬかもよー?
あたしは今自分の夢のために海外にいて彼氏と遠距離なんですけど海外生活とか最近色んなことにストレスと負担でいっぱいで彼氏に゛今のあたしなら死ねって言われたらその人の前でその場で死ねるかもなあー゛って言ったら言われた言葉ですホント聞いた瞬間自分が情けなく思いました;;彼氏に申し訳ない気持ちでいっぱいにまりました;;
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お前がもしまた死ぬって言ったらお前の事殴りに行くからな
高校1年の頃部活が本当に辛くてやめたくてでもやめれない時に自傷行為をしようとして異性の友達にメールしたらいきなり電話がかかってきて泣くような子じゃないのに涙声でこう言ってくれて今私は生きてます。
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その病気は確実に治るんだってよ。だから先生は○○が治らないなんてこれっぽっちも思ってないよ。
私がある病気で悩んでいる時、こんなメールを送ってきてくれました。その病気は先生しか知りません。「二人で頑張ろう」と言ってくれました。ありがとうという言葉を何度言っても足りないくらいです。
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なあにまたやったの。ほらあ、風邪引くよ。傘もささないで…。
失敗をしてしまって落ち込んで、雨の中一人で帰っていたら、恋人がこの言葉をかけてくれた。そして、ひとつの傘のなかで二人で帰った。この言葉をかけられたとき、その落ち込みが勇気に変わった。
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男には男の生きる道があるのさ。
僕は物心ついた時からどこか雰囲気が女っぽくって、男らしさがないっていうのかな……。おまけに今、僕は中学2年生なんですけど、背もあまり伸びずクラスで一番低いです。(声は普通です)そんなこんなで僕は中学に入ってからよくイジメられるようになりました。そのたびに僕は思いました。(女に生まれてきたら、僕の人生も変わったんだろうなあ……女に生まれたかったな……)と。ある時、小学校からの付き合いでよくいっしょに遊ぶ友達にこの思っていることを話したら友達は少し空を見上げた後、この言葉を言いました。この時、僕の心の中の何かモヤモヤしたものが一気に晴れた気がしました。彼にとっては何気ない一言かもしれません。でも、僕はこの言葉でとても救われました。男に生まれたんだからせいいっぱい男として生きてみよう……そう思えるようになりました。
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自分の選んだ道が最高の選択だと思うこと。
わたしの場合…どちらかの道を選ばなければならない場合(分岐点に立った場合)、仮に、選んだ道で大きな壁にぶつかっても、違う道にすすんでいたら、もっともっと大きい壁にぶつかっていたことだろう…と。単に自分へのなぐさめかもしれないけど、これを聞いたときすごく救われました。
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俺はそのままのお前が好きや。
尊敬していた先輩にありもしない噂をたてられ、友達に泣きついても「○○君も噂のこと言ってたー。」と笑われ、どうしようもなく追いつめられたことがありました。そのころ、日記を書いて担任に提出するという習慣が、私のクラスにはあって、私が今の状況を書いたら、その日の晩に先生が電話してきてくれました。私が我慢したり、変らなくちゃいけないのかなあというようなことを言ったとき、先生は「俺はそのままのお前が好きや。」と言ってくれました。自分を肯定してくれた先生の言葉に思わず泣いてしまいました。先生、ありがとうございます。
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死ぬなよ!!
あたしが大好きな人にフラレたときあたしが友達に、「もう死んでもいいって思った。」って話したら、友達が別れ際に言ってくれた言葉。単純な一言だけど、あの頃のあたしはその言葉に救われました。
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30年間どうでしたか?楽しいことたくさんありましたか?きっとあなたのことだから悪い出来事に消されてしまったと錯覚してませんか?心から笑えてますか?優しい気持ちをなくしてませんか?何かに負けそうになったときこの手紙を読んで頑張れるように、そして笑顔が戻るように…。
結婚式を控えた1ヶ月前に大切な人から頂いた手紙の一文です。7年前にお付き合いをしていた男性です。偶然というか奇跡に近い状態で再会する事ができました。優しくてちょっぴり頼りない彼はとてもたくましく素敵な男性に変身していました。あの頃の優しさと面影をそのままに…。若さゆえがむしゃらにメチャクチャに突っ走る私に振り回されながら、いつも温かく見守り、許し、支えてくれた人でした。お互いのために別れを選択し、悲しくて苦しくて恨んだ時期もありました。でも今の私があるのはこの人のおかげです。道をはずさないように、背伸びをし過ぎないように、人を信じるように教えてくれたのが彼でした。「君を忘れたことはない、待っててくれとあの時言えなかったけど…。」待てなかった自分を責め悲しく思いました。他の人との結婚を決めた私に彼は「待っている。」と言いました。この先どんなに辛いことがあろうとも差し伸べられたこの暖かい手を握ってはいけない自分に言い聞かせ誓いました。大切な人であるからこそ…これから先一緒にいてあげられないからとこの手紙を手渡してくれました。心のこもった長い長い手紙でした。
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此処に決まってるんじゃないの。
周りのコトも自分のコトも自分の居るべき場所も全然分からなくなったときに友達に「私の居場所は何処?」と聞いたら「此処に決まってるんじゃないの。」って即答してくれた。それまで、ずっと悩んでて、いつも雲の上に居るような感覚だった。そのコトも言ったら「気づいてあげられなくてごめんね。」って言ってくれました。私はこの言葉のお陰で救われ、その友達を本当に信頼できるようになりました。
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ばんびがいたから私は頑張れた。ばんびが死んだら嫌だよ。
親の離婚、学校でのイジメに絶えられなかった私はリストカットをしてしまいました。気づいたら病院のベッドの上。そのときお見舞いに来てくれた友達の言葉です。
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信じるモノは救われる…大丈夫ホラ!!!
これは、大学受験の前日に風邪をひいて熱を出した私にずっと大好きな人に言われました。「もう、明日はダメだ!!!」って弱っていた時にメールで入ってきました。忙しい人なのに、その後に電話をして下さって「自分に大丈夫って思い込ませろ!」って言ってくださいました。思い込んだ成果か、治ると信じたからか熱は下がって試験を受けることが出来ました。あの方には本当に色々教えて頂きました。
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泣きたくなったらおいで。いつでも泣かせてあげるから…。
私は、友達を作るのが苦手で、いつも一人でした。そんなとき、先輩と出会って…。先輩は卒業してしまって、勇気を出して友達の輪の中に飛び込んでみたモノの、いつも嫌われないように一線引いてしまって…。「○○ちゃんって、何で敬語使うの?」って言われたとき、無意識に私はみんなの輪の中にとけ込めてないことに気づきました。頑張ってみんなのことを名前で呼ぶようにしても、習慣となった敬語をどうしても取り除く事が出来ませんでした。いつも笑顔を心がけている手前、学校でも家でも、どうしても泣くことが出来ず、「泣いてしまったらまた迷惑を掛けるのでは…。」と考えてしまい、結局一人で抱え込むことが多かったのです。そんなとき、電話で先輩と話したとき、「なんでそんなに我慢するの?泣きたいときは泣けばいいよ。人の前で泣きたくない?じゃあ、おいで。うちのまえなら平気でしょ。私は嫌わないってわかってるでしょ?泣きたくなったらおいで。いつでも泣かせてあげるから…。」と強く、優しい口調で励ましてくれたのです。その言葉を聞いたとき、私は電話口で泣きました。ずっと出なかったその涙を、先輩は言葉一つで出させてくれたのです。いまでは、少しだけみんなの輪の中にとけ込み始めています。泣いたことで、少し、心に余裕が出来たのでしょう。今でもこの言葉を胸に、泣きたくなったら先輩に電話しています。先輩も悩みがあるときは電話してきますし、持ちつ持たれつの仲です。
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「1回や2回なんて失敗はいいんだよ、どうにでもなるって。」
検定で自分だけ落ちてしまって、あまりのショックでお昼も取らないで一日が過ぎようとしていた晩、親にこう言われた。途端に涙があふれてきて部屋の外に出てから扉越しに「ありがとう」と涙を流しながらつぶやいた。この言葉にはとても救われました。
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誰にだって欠点はあるよ。このみの欠点は目立つから指摘する人が多いだけで目立たなくても欠点はみんなにある。
先生に、三者面談で私の欠点を大量に責められてがっくりしていて、友達に相談したらそう返ってきました。
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○○(私の友人)は女の子を大切にするけど、××(私のこと)は友達を大切にするよね。
○○は同じバイト先の友人で、あまり面識のない女の子とも率先して喋りますが、私は必要のない限りあまり喋らない性質でした。そういう性質の自分に引け目を感じていた時に、別の友人が酒の席で言ってくれた言葉です。
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これほどおびただしい試練を受けようと、私の魂の偉大さは、私にこう判断させる、すべてよし、と…。
カミュの「シーシュポスの神話」の中で「オイディプス」から引用されていた言葉。神から山頂に岩を持ち上げるという罰を与えられたシーシュポス。しかし、何度懸命に岩を持ち上げても、岩は山頂についた途端、ゴロゴロと転がり落ちていく。そんな無益で希望のない労働。しかもそれを永遠に繰り返す。こんな運命にあいながらもシーシュポスは自分の運命に絶望したり嘆いたりせず、自分の運命をしっかりと凝視し、オイディプス同様、「すべてよし」と判断し、また山頂へと岩を押し上げていく。大学受験で第一志望の大学に入れず、なんにも自分の思い通りにいかず、もうダメだなと思っていたときにこの本に出会い、救われたというより心が洗われたような気持ちになりました。
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そこにお前の幸せはないよ。今まで辛かったな。
10歳上の人と友達で私のことを好きでいてくれた人からの言葉。あたしはその時失恋で荒れていていろんな人と関係をもった。その彼とも友達だったけどした。その人はあたしを彼女にしたいといってくれたけど元彼が忘れられなかった。でもこの言葉をいって抱きしめてくれたときすごい嬉しくて一番私のことを思っていてくれたんだと思います。
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今が全てなんだから
過去にどんなに辛いことがあっても、今幸せならそれでいいじゃんて思えるようになりました。
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○○のこと嫌いになんて絶対ならないよ。
私は人に嫌われるのがものすごく怖くて、怖くてしょうがなくなってしまったとき相談した男友達にいわれた言葉です。「私のこと嫌いにならないで」ってメールでいったら、普通にこう返信が来て自分は嫌われてないんだとわかりました。この言葉が支えになって怖さは安心に変わりました。
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いつも悩みを溜め込むから辛くなるんだよ。どんな小さなことでも、言ってよ。いつでも話聞くから。俺はナナの力になりたいって思ってるんだから。
最近、私が色々なことで悩んで辛くて、大学も休みがちになっていたんです。その時、大学の男友達が私のこと心配して、送ってくれたメールです。普段は大学でもそんなに話さないし、メールもしないのに、こんな時にはちゃんとケアしてくれる友達の言葉にとても救われました。今もその友達は、いつも私の小さな悩みにも、真摯に耳を傾けてくれます。あの時、この言葉がなかったら、今でも辛い状況から抜け出せずにいたかもしれません…。
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一つの事で喜んだり、悲しんだり、笑ったり、怒ったり。とても素直で純粋な気持ちを持っている。その分とても傷つきやすい。そんなあなたが大好き。
仕事が忙しすぎて自分を見失い、生きることを拒否し始めていた時。「自分が嫌になって全て消してしまいたい」と言った私に友人がくれた言葉です。この言葉でそんな自分が実は自分も大好きだったことを思い出させてくれました。私に逢えて良かったと言う友人へ…私もあなたに逢えて良かったと心から思っています。
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負けるな。
精神を患って12年になります。「頑張れ。」って言葉が大嫌いになってしまいました。めげていた時、メル友である、年下の男の子が、「かりん、負けるな」といってくれました。心にズンってきました。頑張らない、だけど、負けない!そうやって思うようになりました。
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そのうち笑い話になるさ
もの凄くダメ人間な私。何をやっても駄目。人が思ってる程出来る人じゃない。こうやってマイナス思考。落ちるとこまでとことん落ちる人。良いところなんて1つも見つけられない。小さい頃からそんな感じで1人悩んでた。こんな役立たず死んでしまえとか迷惑かけるくらいなら消えたいと思ったりした。でも根性ないし恐くて死ねなくて苦しくて。でもその言葉を見て「この悩みもこのネガティブ思考もいつかは笑えるかなー」って。ちょっとだけ前を向けた気がする。
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やな奴じゃないんだからいいんじゃない?
友達に「ホントは違うのに、いろんな人にいい人だと勘違いされて申し訳ない気持ちになることがある」みたいなことを言ったときに、その友達がポツリと言ってくれた言葉です。とても安心しました。
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きっと意味のあることなんだよ。
住み慣れた土地から遠い土地へ転勤になり、いこうかいかまいか悩んでいた際に親友から言われた言葉。なにごとにもその理由は必ずあるという意味合いで言ってくれた言葉がうれしかった。
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僕は間違ってません。僕は間違ってなんかいません。
あるドラマの主人公のセリフなのですが、その当時私は、自分の行動に自信がなく、日々不安な毎日を過ごしていました。しかし、ドラマの中で普段自己主張をしない主人公のこのセリフを聞いて、「信念」というものがすごく伝わり、私に「信念」というものを呼び起こさせてくれました。今でも、迷いがあるときはこの言葉に救われています。
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お前の前には広い世界につながるドアがあるんだ。もう準備は整っている。そう、あとはお前の勇気だけだ。
高校生活行き詰って今何をしているのか…?今何をすればいいのか分からなくなった時、思い切って担任の先生に相談しました。そうしたらこの言葉を先生が言った。まァ歌じゃないですけど、明日への扉開く勇気がわいてきました。
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しぶとくないと生きていけないからな。
仲間の言葉です。私がいっぱいいっぱいの時に、ふと、そんなことを彼は言いました。何気ない一言だったと思います。きっと彼は、自分のことを言ったのだとも思います。だけど…。ああ、そうだよね。って。そう思えて。急に、心がふっと楽になりました。今も、自分に余裕がなくなると口ずさんだりして、励ましてる言葉です。
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完璧を求めるとは何様のつもりか。だが、完璧を求めようとしない者こそ何様のつもりか。
仕事を真面目にすればするほど、周囲からの批判が高まり、孤独や不安を抱えていた時、読んだある本に書かれていた言葉でした。適当で済ませば良いのかなと思った時、自分を救ってくれました。高い志を持つことは決して悪いことではないと思い直しました。完璧にできる人間はいないけど、できないからと初めから何もせずあきらめてしまってはいけない。理想と欲求に忠実に日々努力する…自身の信条です。
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「辛い」っていう字に「十」という字が合わさると「幸せ」っていう字になるんだよ。
深夜ラジオを聴きながら、苦しくて、辛くて、寂しくて泣いてた時にパーソナリティーのある歌手が言ってくれた言葉です。何もかもから、はぐれてしまってどうにも辛くてたまらなかった時、この言葉で耐える力をもらえたと思う。今でも忘れられない言葉の宝物。
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…泣いてやるよ。でも、死ぬなよ。
もう死にそうと友達に言った時に友達が言ってくれた言葉です。死んだら泣く~?と冗談で聞いた時にいってくれました。とっても嬉しくて、自分のために泣いてくれる人がいるなら死ねないなあと思わせてくれた一言でした。
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悩むのは…答えを導く材料が揃ってないから。だったら、その材料を探しに前にすすんでみたら?
自分が、とっても悩んで、何も手につかず落ち込んでいたとき(この一説を出会い)、自分が悩んでいる問題についてどうしたら良い方向に行くのか…まずは、目の前のできることから少しづつ、やってみようっと勇気を与えてくれます。
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お前が頑張ってるから俺も頑張れたんだよ
私は柔道をやっています。この言葉は私の5つ上の柔道の先輩が私に言ってくれた言葉です。先輩の大学受験を私の期末テストが重なりお互い励ましあってやってきた結果私は前回の期末のよりも100点も上がり先輩は見事大学に合格した時に「お前は気づいてないかもしんないけどな?俺はお前が一生懸命やってたから俺も頑張んなきゃって思ったんだ。辛いのは俺だけじゃない。苦しんでるのは俺がけじゃないんだって思えたんだ。ありがとな。」そんな言葉と一緒に私に言ってくれました。
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ふ~ん…。まあ、あんたは元々気持ち悪いから笑
友達にバイだと告白したときの言葉です。嫌われたらどうしようとか思いながら言ったら、この言葉を言われ、そのまま普通に会話をしてくれました。この言葉のおかげでふっ切れて、今では周りの人にちゃんとカミングアウトできて楽しい毎日を送ってます。
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○○高校絶対受かってこい。ガンバレ!
私が中学校3年、いわゆる受験生のときのこと。受ける高校に、自信が全く無かったんです。でも、いつも私に厳しかった男トモダチが、手紙にこの言葉を書いて渡してくれました。悩んでいた私は手紙に目をやった瞬間泣いてしまいました。このことばのおかげで私は今志望していた高校に通うことができています。
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他人を大切に出来るんなら、自然に自分も大切に出来てるんだよ。
私はずっと自分よりも友達と他人を優先して過ごしてた。それなのに先生に「自分を大切にしないヒトは他人を大切に出来ない」「あなたはもっと自分を大切にしなさい」と言われてしまい、今までの自分ってなんだったんだろう??今まで友達大切にしてなかったの?!じゃ、どうすればいいの?!と自暴自棄になっていた私に優しく話してくれた言葉。今までの自分を認めてくれて、大丈夫だよっと言われて気がした。本当に大切な私を救ってくれた言葉☆。
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春一が痛いと私が悲しい。
リスカしたとき、友達に言われた言葉。傷を見られたとき、正直軽蔑されると思った。なのに彼女は僕にそう言ってくれた。
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シアワセっていうのは砂でできたお城と同じなんだよ。くずれちゃうものなんだよ。
彼氏と別れて、私は絶望と失望でいっぱいでした。友達の声もロクに耳に入らず、ただ毎日がつまらなく過ぎていっていました。3ヶ月ほどしてやっと心が開けてきた私に友達が言ってくれたのがこの言葉です。その時、私は「ああ、私はきっとシアワセに甘えていたんだなあ。」と思い、なんとか立ち直れました。その友達は、この言葉につづいて、「くずれたのならまた作り直せばいいんじゃない?」と言ってくれました。また作り直したい。作り直してみます。
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人間はね、大事な人だけ幸せにしてあげられればそれで十分なの。
僕は回りというのをとても気にしていました。全くの他人でも見ていて、かわいそうだ…どうにかしてあげたと思う事がよくある。でも、皆に皆何かしてあげれるわけじゃない。僕は無力だと思った。それを姉に相談したらこの言葉を姉は言った。そう、目につく人全員に何かしてあげようなんて誰にもできるわけない。なら、せめて…せめて、大事な人だけでも幸せにしてあげたい。…と思った。
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誰の真似でもない、自分だけの自分でしかできない事をやれば良いんだよ。
僕が、好きだったはずの部活が、ある事をきっかけに嫌になってしまった時に顧問の先生から言われた言葉です。今まで、先輩の上に行くことばかりを気にしていた僕の忘れかけていた気持ちを思い出させてくれました。
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あたしがあなたを赦すのはあたりまえ。
高校一年のとき、自分の過去に囚われて現在を疎かにしていたわたしは、ぐるぐるまわる思考を止めることが出来なかった。すべての行動が否定されているようで、すべてのものが私を拒否しているようで、壊れそうにあがいていた。きっとずっと、誰かに存在を認めて欲しくて、ここにいるということを認めて欲しくて、救いが欲しくて。。。そんなときに彼女がこの言葉をくれた。私の存在を赦してくれた。あたりまえのことと笑って。。。今でも落ち込んだとき、苦しいとき、いちばんに会いたくなるのは彼女で、うれしいとき、きれいなものを見つけたとき、共有したくなるのは彼女で。大切ななにより大事な友達が出来た瞬間だった。この言葉に見合う人間になりたいと思った。いつか彼女の支えになれればいいのに。。。そんなことを思った。そんな言葉です。
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ネオン。
この言葉はある子がいきなり言った言葉です。この言葉はとくに何の意味もありませんが、この言葉を聴いてみんな大笑いしました。それにより今まで暗かったクラスが一気に明るくなり、たちまち楽しい雰囲気を作ることができました。やっぱり笑うのっていいことだなあと思った瞬間でもありました。
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お前が不幸?はははっ笑っちゃうね。お前なんかはまだいいよ。俺なんか見てみろよw自慢じゃないけどクラス中から虐められているぜ?俺よりお前はずっと幸福だよ。だから死ぬなんて考えるな!
自分が苦しくて苦しくて仕方ないとき一度だけ本気で死にたいと思った時があった。その時友達に言われた言葉。涙が止まらなかった。しばらく泣いていた。自分より辛いのに自分を励ましてくれるなんて。俺には出来なかった。何度感謝しても足りない。自分の最高の言葉。
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私にとって明日なんてどうでもいいだって生きることも変えることも出来るのは「今」だけだから
誰が言った言葉か思い出せないんですが、とても感銘を受けました。過去の失敗をくよくよしても未来の自分に不安を抱いても結局のところ変えられるものではないのだから、そのせいで今を粗末にすることは勿体無いと思えるようになりました。
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人は結局選んだ道がその人にとって一番よかった道を無意識に選んでる。
私が二つの選択で悩んで一つに決めた時、本当にこっちでよかったんだろうか?と話している時、友達が言ってくれた言葉。本当に嬉しかった。もう一つの道を同じ時代にやり直す事なんてできないから、比べ様もないんだけど、でもこれでよかったんだと思えた。
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「笑ってすごしても…泣いてすごしても…一日は一日…どうせなら、笑ってすごそうよ、俺は、お前が泣いてるときより、笑ってるときの方が、好き…だよ?」
学校で色々あって、不登校を本気で考たり、本気で死のうと思ったり、色々悩んでるときに異性の友達に相談し時に友が言ってくれた言葉です。その言葉があるから今の私がいます。ありがとう!
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強くなくては生きていけない。けれど、優しくなくては生きていく価値がない。
2年前、3年間本気で付き合った彼女にフラれた。その理由が、「飽きてきちゃった。優しすぎる。」と言われ、別れのショックと同時に、自分の存在を疑ってしまった。なかなか立ち直れず、何も考えられず、ひたすら一人干渉にひたって時間だけが過ぎてく毎日。そんな時、ある小説を読んだ。「強くなくては生きてゆけない。けれど優しくなくては生きていく価値がない。」その言葉が目にとまった時、自分の中の時間が止まってしまいそうになったのを今でも覚えている。その言葉にとても救われた気がする。と同時に、言葉の持つすごさに感動さえもした。自分の解釈では、「強いことは、人間が生きていくためには大事だ。けれど、それ以前に優しいってことが一番大事だ。優しいって事が強くなることともとれる。真意でした事は、相手が気づかなくとも、一方的であっても、自分を強くする(成長させる)糧になる。」と…。
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たまには何もせずに、ボ~としてみろ。そんなんじゃ、自分を傷つけるだけだ。
僕は、自分の夢を叶えるために大学に進学しようと考えています。だから、とにかく勉強を頑張っていきました。そのため、僕は友達との遊びも断り続け、勉強をひたすらやってきました。そんなある日、いつものように友達の遊びを断ったら、彼がこんな言葉を返してくれました。僕は、よく意味が分からなかったけど、彼の言う通りにボ~としました。そしたら、勉強以外の事を考えることができて、心に余裕みたいな物ができました。そのおかげで、いろんな物を冷静に見ることができ、勉強が充実してきました…。今考えると、彼のこの言葉がなかったら僕は、自分を見失っていたと思います。僕はこの言葉に、救われました、そして彼に感謝したいです。
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見てる人はちゃんと見てるから。
お客さんと飲みに行った時言われた言葉です。その時、仕事で人員を減らされ、どれだけ仕事をしても溜まってく一方で、接客では矢面に立つようになり、おまけに仕事は初めて直面する仕事も多く手探り状態、うまく行かない日が続き、自分に自信がもてず、心が折れてしまいそうになってました。そんな時、お客さんに言われた一言です。お客さんは私の心を見抜いていました。どんなほめ言葉よりも叱咤激励よりもうれしかった。評価とかではなく、見ていてくれている安心感から涙が出てきました。何度も救われました。一生忘れないと思います。これからもこの言葉を信じて頑張っていきます。
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俺に言っても助けてあげられない。何もしてやれない。はっきり言わしてもらうけど、一人でかっこつけんな。ちゃんと信じてやれ。楽になれ。
心も体も傷つけられた過去があって、付き合っている人にもその過去をずっと打ち明けられずにいた。捨てられそうで、とにかく全部が怖くて、ただ自分が傷つくのが怖くて言えずにいた。それでも毎日をなんとか今まで通りに生活しなきゃいけない、と思っていたある日、ある友達にその過去を打ち明けた。「まだ彼氏にもゆってないんだ」と言った時に言われた言葉です。かなり我に返りました。その友達の言葉に、今まで溜めてきた不安やモヤモヤとか、その友達の優しさが、一気に涙になって溢れ出てきました。彼氏にはまだ打ち明けてない過去だけれど、いつか落ち着いたら言おうと思ってます!
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焦らなくて良いんだよ…今は自分の出来ることから少しずつやる事が大事だよ
学校も辞めて夢もなくて焦って訳が解らなくなっていた時に言われ凄く救われた。いつか自分も誰かに言えるようになりたいって思ってる
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自分に乗り越えられない困難は降りかかってこんとよ。お前、今まで19年間生きて辛い事とか山ほどあったやろ?お前には辛い事を乗り越えられる力があるんやけん、絶対今回も乗り越えられる。
すごく辛いことがあったときにお兄ちゃんに言われたことです。
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永遠に一緒にいる、なんて言えないけど、この世からどっちかの存在が消えるまで、オレはお前の傍にいてあげるよ。
私が大切な人を亡くしてしまったときいとこのお兄ちゃんから言われた言葉です。この人だけは、傍にいてくれると想うとすごく安心しました。
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やめたければ、やめればいい。ゆっくり自分のやりたいこと探せばいい。
私が以前の会社で勤めていた時、上司がとても厳しい人で営業という自分には会わない職種もあって、毎日のように「辞めたい、辞めたい。」と思っていました。でも、短大卒業後すぐに就職もせずにバイトをしてやっと決まった仕事だった為、そんな簡単に辞めるというのもどうかと思い、又こんな就職難の中ですぐ次見つかるのかどうかという不安もあり、悩んでいた私に、両親が言ってくれた言葉でした。すごく気が楽になり、自分に合っているものをゆっくり探すことができました。あの時、変に追い詰められることなく、時間をくれた両親に感謝です。
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kanaと過ごせた時間、本当に楽しかったよ。たくさんの「幸せ」ありがとう。
お互い大好きだった。でも、スレ違いばかりが続き、二人とも耐えきれなかった。大好きだったけど、お別れする事に…。悲しい事が多すぎて、何も言えなかった。そんなkanaに彼は最後の最後に長い長いキスをしてくれた。そして「kanaと過ごせた時間、本当に楽しかったよ。たくさんの「幸せ」ありがとう」と笑顔を残して去っていった。あんなに悲しいことばかりだったのに、最後の最後に一緒に居た事を「楽しかった」と、「幸せ」だったと彼は言ってくれた。悲しいはずの思い出は彼が楽しい思い出に変えてくれた。彼といた時間を後悔せずにいられるのは彼の言葉があったから。今、元気で居られるのは彼の言葉のおかげ。ともくん、たくさんの「幸せ」ありがとう。大好きだったよ。
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失敗なんか何回やってもいい。失敗は次につながるから。
私は陸上をやっていて、タイムがなかなかでなくて悩んでました。自分ではどうしようもなくて、友達に相談したりしましたが全然ふっきれずリスカまでしました。リスカしても結局自分で解決できす中学の部活の顧問の先生に電話をかけました。そのとき言われた言葉です。1じかんも話ししちゃいました。電話終わった後大分気持ちの面が落ち着きました。最高の先生です。
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そんなに頑張らなくてもいいんだよ。
小学生の時に担任の先生にもらった言葉。委員長をしていたけど、担当の先生と何もかもが合わず、本当に不登校になってやろうかと馬鹿なことまで考えてました。そんな時、担任の先生は私にこの言葉をくれました。涙がぼろぼろ出てきて止まりませんでした。すべてを完璧にやろうとしていた私は、この言葉で変われました。今井先生、本当に本当にありがとう。
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人が誰を好きになろうと好きなんだから仕方ないじゃん
わたしが友達に7歳年上の人が好きだと言ったときに言ってくれた言葉です。別の友達に遠回しに言ったときに、気持ち悪いと言われてしまい、それからは誰にも言えずにいました。好きな人とうまくいかないとき、相談にのってくれ、年齢を聞かれました。引かない?っていってから告白。今は自信をもってその人が好き!
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前を見て歩こうよ。後ろなんか振り向かないでさ……。
ふられて「自分があの時こうだったらなあ…。」みたいなことを思ってた時、友人に言われた言葉です。後悔ばかりしていた自分に友人がこの言葉を言ってくれて過去のことなんか忘れて前を見て歩いていこうっていう勇気が出ました。
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ぼくらは恋愛の形より、長く繋がっている、そんな関係がいいのだと思うよ。そういう存在って大事だよね。
好きだった人が遠くに行く時に「待っている」と約束したのに私は精神的に参っていた時期に、今の彼に告白されて辛いことから逃げるように付き合ってしまいました。好きだった人とは付き合っていなかったけど、約束を守れなかった自分が嫌でした。そんな時に好きだった人が言ってくれた言葉です。今の彼に対する罪悪感も消えました。今では、付き合ってる彼の事が大好きで、その人とも言葉通りの関係が続いています。
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藍香は、しっかり、ひかってるよ。藍香と話すことで、ひかりを少し分けてもらう感じ。疲れたら即休んでね。目をそらしてね。そんな時でも充分知ってるから。もう、温かい人だってことは、みんな知ってるから。
ネットで出会った友達に、メールで送られた言葉です。私は、この頃ちょうどネットの人間関係で悩んでいて、その友達に相談したところ、こんなメールが返ってきました。友達のこの言葉でかなり救われました。自分のことを、こんな存在で見ててくれたことが、何より嬉しくて、私も、その友達を大切にしたいと強く思いました。
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大丈夫なんとかするまかせろ
ショックなことがあってパニック発作になりかけて電話ができない状況だったときメールしたら返ってきた言葉たった三行だけど逆にそれがすごい嬉しくて頼もしかった!
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あんま悩みすぎんなよ
私が悩みすぎてどん底のとき好きな人に言われた一言です。ほんとに救われました。
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そんなの逃げてるだけ。逃げてどうする?一生逃げるのか?そんな情けない人生送るな。胸をはれ。このバカ野郎。自殺ほど親不孝な罪はない。
世の中イヤで自殺しようと思った時に兄に言われました。
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そんなとこにボサッと突っ立てんでじゃねえ。
これは私が初めてファミレスでバイトをした日に、私を指導してくれることになった人(以後せんぱい)が言った言葉です。初めてということでとても緊張していた私は不安でいっぱいでした。失敗したらどうしよう…という言葉が頭中をかけめぐっていました。それに気づいたせんぱいが、私に一つ質問をしました。”お客様に飲み物をこぼしたら何て言う?”私は答えました。”え?…も、申し訳ありません!”せんぱいは言いました。”ちがーう!”そして、↑の言葉を続けて言いました。何かこのせんぱいを見ていたら不安とか全部吹っ飛びました。
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今日もじゃなくて、「今日だけ」頑張ればいいんだよ。
俺は頑張れ頑張れ今日も頑張れと自分に言い聞かせて生きてきましたが頑張れという言葉が皮肉にも頑張りたくないという気持ちのアンカーになってしまっていました。そんな時ある本に「今日も頑張るんじゃなくて今日だけ頑張ればいいんだ、と思考を転換するだけで楽にられる」という言葉を見つけました。その瞬間僕の中で何かが変わった気がしました。毎日頑張らなくてはいけないけど、頑張る事に疲れた人は「今日だけ頑張ればいいんだ」って自分に言い聞かせてみてください。不思議と気持ちが楽になります。
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悩んで悩んで悩み抜いてみろ!悔やんで、落ち込んで、泥にまみれろ!それでも死ぬ訳じゃねぇ!俺がお前を絶対に死なせねぇ!!!。
友人が物凄く落ち込んでて、愚痴もはけなくなるぐらいでなんとかしたいなとは思っていたのですが、なんにもできず、やけくそぎみに私が友人に対してはいた言葉です。私はこの一言の事など、とうに忘れ友人も立ち直り別段気にとめなかったのですが、私が今度は立ち直れないとまではいかなくとも落ち込んだ時にこの友人が今度は私に対してこの言葉を言ったのです。私がこの言葉を言ったのは、なかば「やけくそ」だったのですが、友人から出たこの言葉は私の胸に深く突き刺さり「一人って訳じゃ無いんだな。」と感じました。今はこの言葉の意味そのものより、この言葉に足る人間になってやるという気分です。
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努力してもどうすることもできない事がある。そういう事は受け入れていくしかない。
立場や環境でどうすることもできない壁にぶつかったとき、そう言ってくれた人がいました。これでずいぶん心が軽くなりました。いまでも、忘れられない言葉…。
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大丈夫だよ!私はここにいるから…。側にちゃんと居るから…。
一時期私は誰かに嫌われる恐怖感と、そんな自分に嫌悪感を抱き、何度も何度も自分を痛めつけていました。そのうちに幻聴なども聞こえ、本当に危ない時期がありました。そんなときに先輩がこの言葉を言って励ましてくれたのです。「ここにいる」は「離れない」という事らしく、先輩は自分から離れていかないと言う安堵感を抱き、私はその言葉に涙してしまいました。その後私は、少しずつではありますが、先輩のその言葉を信じて、今もその恐怖感と戦っています。誰か一人でも私の事を必要としてくれると、信じさせてくれた先輩の言葉が、私を救ってくれたのです。
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自分にプラスになるからやってるわけじゃない。愛子になら、ドンだけマイナスになってもいいと思ってるよ。
私が期末考査で赤点を取ってしまった時、理数系得意なカレが、教えてあげたいって言われて、断ったんです。向こうも今受験で大変な時だし、もうすぐ期末考査だから。その時こう言ってもらえて、言わなかったけど密かに感動してました。自分がずっと受験生の彼氏の重荷になってたんじゃないかと思ってて…(私は高2)。でもやっぱり負担かけたく無いから、頑張って追試勉強自力でやってます!!
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過去なんてどうでもいいじゃん。大切なのは現在(いま)なんだから。
絶対人に知られたくない過去がある人にバラされて同じ学校の人のほとんどに知られてしまい、「もうだめだ。」って思ってた時に親友が言ってくれた言葉です。
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生きていればきっといいことがあるよ。
喉頭がんになって、声を失った頃のことです。8回目の手術が終わり、季節は秋から冬、春になろうとしていました。生きる気力を失いかけていた頃、小学校の恩師から「厳しい寒さも少しづつ和らいで来て自然界も少しづつ息づいて来ました。生きていればきっといいことがあります。自分に負けないように!」という手紙を頂きました。その言葉に救われ、頑張って生きてみようと思いました。今は、食道発声法という方法で声を取り戻し何をしても楽しく、生きていて良かった~と思う毎日です。
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大丈夫!!自分なんて、、、自分なんて、、、何ていってる奴はろくな奴はいない一生懸命生きてりゃ自暴自棄にならんだろ!精一杯やりゃ己をホメテやりゃいい自分なんて、、、なんて云ってるからいつまでたっても経っても進めやしない
この言葉は私の好きなRook歌手が言った言葉です。私が夢を追っているとき本当にもうだめかもしれない。って思ってる時の言葉です。この言葉で私は救われています。この言葉を見たときに私はそんなことないですって云ってる人と努力しました!努力していいものができました!って言ってる人はそれだけ自信があるだけ努力したんだなと思います。私はこの言葉をきいたときに自分は何をしてるんだろう。恥ずかしくてたまりませんでした。もっともっと努力しようと思いました。これが私の救われた言葉です。
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誰かを好きになる事は、とても素敵な事だと思うよ
私はバイで、好きな女子がいました。仲のいい友達に、思い切って相談した時に言われた言葉です。性別なんかに縛られないで誰かを好きになれるなんて羨ましい…そんなふうに言ってくれた友達に、とても救われました。
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生きるのが仕事。
自分は、入社と同時に、あまり仕事のない部署に配属されました。もがきにもがいても、仕事がなく出勤拒否病になりました。それも治り、つまらない思いをしながら仕事に行き、仕事の無い日は、こうしてインターネットやメールで無駄な時間を過ごしました。会社に拘束されている以上、「おさぼり」というものに、自責の念を抱いてました。しかし、この言葉を聞いた途端、広義の意味でなんか、これでもいいんだと思うようになりました。病気で死んだら、意味がない。生きているからこそ、仕事なんだ。昔、言われた「会社に居るのが仕事。」という言葉より、はるかにすっきりした気持ちで一杯です。
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俺にとって直斗は命以上に大切な存在だから…直斗が居なくなったら何も出来なくなるよ。
ある日、なにもかもが嫌になって「死にたい」って思ったときに、親友が言ってくれたのが、「俺にとって直斗は命以上に大切な存在だから…直斗が居なくなったら何も出来なくなるよ?」って言ってくれました。その言葉を聞いて、「俺はなんで親友を裏切ろうとしてたんだろう…」って思いました。俺だって、そいつを失えば、何も出来なくなるのは解ってて、生きる気力さえ失うコトを知っていたのに、親友にそんな思いをさせようとしたなんて…もの凄く、自分が愚かに思えました。あの言葉を言われてから、何があっても「死にたい」と思わないコトを、親友に誓いました。それからは、どんなコトがあっても、何時でもそいつが居てくれたので乗り越えてくるコトができました。これからも、親友との誓いを守って、親友が側に居てくれる限り、精一杯生きていこうと思います。
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「今どうしようもなく辛いことや、悲しくて流した涙は全て肥料。今は辛いかもしれないけど、これからたくさん色んな経験をして行ったら必ずいつかきれいな花(幸せな未来)が咲く(待ってる)からね」
まだ私が16歳の頃に失恋して泣いてた時にタクシーの運転手さんに言われた言葉。昨日、私の弱さでせっかく来てくれた赤ちゃんを空に返してしまってどうしようもなく辛くて悲しくて涙が止まらなくなった時に思い出して救われました。今となっては言葉の重みが違います。きっと一生忘れません
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起きてしまった事はそのままでしかない。僕達はそのままの今を覚悟するしかない。僕達はそのままでいいんだ。
恋愛の悩みと職場のストレスで自殺未遂をしてしまった時、ある本の中で読んだ言葉です。こうあるべきという理想の自分を、必死に見つけ出そうとしてもがき苦しむ事で、結局自分を虐めていた私でした。が、この瞬間フッと何かが消え、安心するのと同時に涙が溢れてきました。自分を愛するという事を気付かせてくれた言葉です。
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もしかしたら、自分が思ってた道じゃないかもしれない。でも、回り道や寄り道をしてもゴールは同じだから。
放課後、高校受験に失敗した私を進路指導室に入れ、先生がかけてくれた言葉。友達の前では無理に明るく振る舞っていた私に、先生は気づいてました。我慢していた涙も、一気に流れ落ちました。でも先生は、「それでいいんだ」という風に全てを受け止めてくれました。私の「夢」を知っている先生は、真剣に向き合ってくれました。そして最後に、「いつか一緒に働く日を楽しみにしてる」と言いました。そう、先生は、私を立ち直らせてくれた先生であり、私に“夢”をくれた先生でもありました。先生に出会えて本当によかった。
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誰が愛してくれなんて言った?誰が俺の気持ちに答えてほしいなんて言った?お前を悩ませるために言ったんじゃない。そんなんなら、取り消すよ。好きって言ったの、取り消す!だって俺ら、親友じゃん。
幼なじみの親友に告白され、どう返事をして良いか迷ってた時にその親友から言われた言葉です。今の関係が温かくて大好きだったので壊したくなかったんです。そして親友を避けている私に親友が校内の人がたくさん居る所で叫んでくれた言葉です。その言葉をもらえて、本当に嬉しくて。気持ちが凄く沈んでいたのをいっきに救い上げてくれたんです。幼なじみだから、この関係を壊したくないから、ずっと一緒に居たいからと自分の気持ちを殺そうとしてた。それに気づいてくれてこんな言葉をくれた。それが嬉しくて、本当に絶望の淵に居たような気持ちが一気に幸せになって。愛されることは、幸せなんだとわかったんです。その時そこで返事をして今でも彼と付き合っています。結婚の約束も、してるんです。初めて付き合った彼で幼なじみ。なんだか運命と感じていて仕方がありません。もし彼がこの言葉をくれなかったら、私は今彼と居ないんだろうな。と思います。私を救ってくれて、愛してくれてありがとう。今でも思い出すと胸の奥が熱くなります。
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親友なんて一生見つからずに死んでいく人がほとんどなのよ
美輪さんの本に書いていました。その頃私は親友がほしくて仕方がなかった。でもこの言葉をきいてからは、気持ちが落ちつきました。
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人間、泣きたかったら泣いていいねん。オレの前で強がらんでいいから…。
初めて付き合った人がすごく最悪で別れてほしいって言った後、その人はわかった。とだけ言ってその場から去っていった。私は泣くのをこらえるのが精一杯だった。その日の帰り、彼は、「オレの前で強がらんでいいから。泣きたかったら泣き。オレがそばについてるから」いっきに涙があふれて、彼は何も言わず私の話を聞いてくれて、うなずいてくれた。ココロが軽くなって、今まで溜まっていたものが急に流れ出していき、彼に惹かれていきました。私はこの言葉でツライ想いを溜めてたココロが救われました。
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ちゃんと気持ち伝えられたの?
絶交した友達のことをずっと引きずっていて、どうしてこんなに苦しいんだろう?って自分でも分からなくなっていた時、いとこが言ってくれた言葉でした。すごく気持ちが軽くなって本当に本当に救われました。その時、涙が止まらなくて返事は出来なかったけど「今度伝えてみるよ」っていとこに言いたいです。
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ばか野郎、中学から一緒にいる仲間だろ、いつでも暇なとき電話しろ。俺達は大丈夫、精一杯彼女のこと守ってやれ
一年位前、親友達との飲み会で、これまでと違って、初めて出来た彼女を優先し、色んなしがらみから、なかなか会えなくなっている事など、様々な事を謝り、相談した時、言われた言葉です。彼女とは、今でも一緒にいます。仕事でも誰からも認められない、そう感じて行き詰まった時期でもあり、仲間の暖かさに、どれだけ救われたか…。お前らが行き詰まったり辛いとき、必ず力になるからな。あの時はありがとう。
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どんなに歳がいっても、あんたは私の子供だ。どこからでも、あんたの為なら駆けつけるのが親でしょ。あんたは1人じゃないんやで。
離婚がきっかけで鬱病になり、自宅で塞ぎこんだとき、連絡がとれない私に母親が遠方から駆けつけた時の言葉です。妻子がいない家で強烈な孤独感中、一人じゃないという言葉にどれだけ救われたことか。救われたと同時に親のあり方を考えさせられた言葉でもありました。
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泣かないで。上を見なよ、一人じゃないよ。みんないるよ。うちらが一緒にいるから、ららはずっと笑ってて。
私が失敗して、公園でうつむきながら一人で泣いていたとき、仲のよかった4人のこが現れて、言われた言葉です。
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俺はどんな時でもお前の味方だから
好きだった人が友達と付き合い始めたのを知った時男友達から言われた言葉です。。いざとなったらいつも助けてくれる人です、
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「銅」ていう字は、「金」と「同じ」って書くんだよ。
私が中学1年の頃、吹奏楽のコンテストで銅賞をとって悲しんでいるときに友達が言った言葉です。みんなで精一杯頑張った…金と同じくらいの価値があるんだって思いました。私はこの言葉に助けられました。忘れられません。
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夢よりも目標を大切にしな夢はホントに自分のやりたいことに近づけないけど目標は今自分が出来るトコから始めるから自分がホントにやりたいことに近づけるんだよ
これは、あたしがまだ夢を見つけてないとき先生達からも色んなプレッシャーがかかって早く自分の夢見つけきゃって一人焦ってたときに友達が言ってくれた言葉ですまだ自分の夢が決まってなくてプレッシャーのせいでめっちゃ悩んでたあたしにとってはこの言葉のおかげて焦らなくてもいいんだ…って夢はなくても目標があればいいんだって自信をもつことができましたホントこの友達には感謝してます
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和也には笑顔が一番似合うよ
高校に行くのが不安で不安で仕方なく笑えなくなっていました。その時彼女が言ってくれた言葉です。自然に笑ってしまいました。
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無理しなくていいよ
2年前、親父が死んだとき、僕は全く涙を流さなかった。元気なフリをしていた。そんな俺を知ってか知らずか、当時大好きだった部活の同期の女の子が言ってくれた一言。それまで葬式やら何やらで張り詰めていた自分、部活の幹部として仕事をしないといけないと無理していた自分を解放してくれました。なんであんないい女つかまえられなかったんだろうなあ。
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男とか女とか関係なく私があんたの味方になってあげる。だってあんたは悪い事してないもん。
バイト仲間で喧嘩になったとき女友達が言ってくれた彼女は他の女友達を敵に回しても味方になってくれた。今度はもし逆の立場になったら自分が味方になってあげたい。
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下を見るな、上を見ろ、上。
当時所属していた部活の練習が厳しくて思うように上手くプレイ出来なくて何度も辞めようかと思っていた時に同じ部の男子の先輩にこの言葉を言われてマイナスにしか考えられない自分に気づいて上を向いて頑張れば出来るって事を教えてもらった。
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他の人を好きになってもいいんよ。あんたはずっと頑張ってこらえてきたやんか。もうええんやよ。
前に”運命をかえた言葉”で、好きな人に死なれたって書きました。私はその人がかばってくれたおかげで生きてるんですが、私のせいでその人が死んだんだと思うと苦しくって悲しくってほかの人を好きになるなんて絶対できないって思ってたんです。彼を裏切るなんて…って、でもそんな時気になる人ができて好きって気持ちがどんどん大きくなって我慢できなくなっていたんです。そんな時先輩が言ってくれ言葉なんです。その言葉を言われた時今までこらえていた物があふれてきました。その言葉ですごく救われました。今は前向きに新しい恋をさがしています。
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いろんな人がおんねんで。何が正しいとかもないし、間違いとかもないと思う。その人にとってどうやったかってことなんやで。その行為をどうとかって考えるよりもそれによって何感じたかってことが大事さ。
私が落ち込んで誰にも言えないような悩みを抱えていたときのこと。私が唯一、心を許せる高校からの友達に、悩みを打ち明けたとき、こんな言葉をくれました。「何が正しいなんていうことはない。」という彼女の優しい言葉。あの頃から全然成長できていない私だけど、あのときの彼女の言葉が今も私を救っています。ずっとずっと、大切な友達。これからも、一生…。あのとき、あの言葉をくれてありがとうねっ。大好きだよ。
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他人は他人、自分は自分なんだから自分のペースで頑張りなさい。
専門学校時代、施設実習に行ったとき、コミュニケーションが取れなくて実習を続けられるのか不安だらけでしたがその言葉のお陰で最後までやり続けることが出来ました。決して忘れない言葉になりました。
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走るだけが陸上じゃない。休む事も陸上。走るのに勇気がいるように休む事にも勇気がいる。休む勇気の方が何倍も勇気が必要であってその勇気がだせた時には今まで以上のランナーになっている。
私がシンスプリントになって全治4ヶ月と診断された時に同じ部活で同じクラスの大好きな男の子に言われた言葉です。無理してでも走る私にかけてくれた言葉に私は考え直すチャンスを与えられました。これ以上大好きな男の子に心配をかけたくない。私の体をもっと大切にしたい。そう思い私は休む勇気に手を差し伸べました。大好きな男の子のおかげでじょじょに回復しつつある私の足は大会にまででれるほど回復しました。全治4ヶ月。それが休む勇気に手を差し伸べた結果1ヶ月で回復しつつあるのです。大好きな男の子に言われた一言は今でも私の心の支えとなっています。
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俺がついてるから。泣きたいときに泣かなかったら何時泣くんだよ?泣けよ。側に居てやるから…。
友達に裏切られ、虐めを受けていた私に彼氏が言ってくれた一言でした。とても安らげる言葉で、本当に泣いてしまい、信じることを教えてくれた言葉だったと思います。今はもう何処にいるのか分からない存在になってしまいましたが、本当に感謝しています。今でも泣きたい時はこの言葉を思い出してしまいます。
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頑張らなくて良いよ。
悩みが多すぎて精神的に疲れきっていた時に、すごく頼っていた相談相手に「無理に笑うと余計に疲れるよ。」って言われて、私は心配をかけない様に誤魔化そうとした時「そんなに頑張らなくて良い。」その言葉を聞いて涙が溢れ出て来ました。この言葉はずっと忘れない様に心の中にそっとしまってます。
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寂しい気持ちは我慢するものじゃない。だから、寂しくなったらいつでも私のところへおいで。
この言葉を言われた時、両親が離婚して彼氏もいなく、心からの友達と言う人もいなかった。寂しさにも慣れるしかなくて…。そんな中で1人の友達が私に言ってくれた言葉です。その言葉は私の悲しさ辛さ寂しさなどの気持ちすべてを暖かく包んでくれました。今も家庭環境は最悪ですが、彼氏ができて幸せです。
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自分の体に傷つけるくらいなら私を殴ればいい。いつでも頼って来なさい。いつでも受け止めるから
なにもかも嫌になった時、親友が言ってくれた言葉。今でも支えになってるよ。ありがとう!
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この世にいらない人間なんていない…。みんな必要だから生きているんだよ。
私が友達関係で悩んでて、いつも泣いていた時、私が「誰も私のこと必要としていない…。私なんて居なくてもいっしょだよ…。」と言ったとき、母が言ってくれた言葉です。心の底から救われました。
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お前は考えすぎんだよ。今考えることは、ちゃんと家に帰ること。それだけだ。
車の中で元彼に言われた言葉です。学校のことで友達のことで悩んで相談したとき彼がいってくれた言葉。この言葉ですごい救われたんだよ。
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あたしは味方だよ。
一時期仲の良かった子(Y)と仲が悪くなって、その子が私の後ろで大声で「マジむかつくう!」などと私の友達(T)にグチってました。やっぱりその時はすごくショックだったし、Tとはそんなには親しくはなかったのでYがTにグチっていたとき「きっとTもうちのこときらうんだらろうなあ…。」と思っていました。そしたらあとからTはわざわざうちのところまできてこの言葉を言ってくれました。今までの友達は「関わりたくないからどっちつかず」という感じの子ばっかりだったので、すごくうれしくて泣きそうになりました。
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幸せってずっとあったら幸せじゃないよ。辛いことがあって幸せって感じるんだから。
元彼に相談事で「全然幸せじゃないよ、今。幸せになりたい。」そう言った時、言われた言葉。その時友達関係で悩んでいたのでなんか心があったまりました。
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少し良くなったよ。
KANAは仕事が出来なくて、同期はどんどん成長している中、KANA一人だけが仕事の前と終わりに上司と振り返りをしていました。怒られて泣いて、「もう仕事やめたい」って思ったこともあったけど、やっと上司が認めてくれたんです。「少し良くなったよ」って。まだまだ改善点はいっぱいある私だけど、少しでも認められてうれしかった。泣きたいぐらい嬉しかった。頑張ればいつか成長するって思えたひとときでした。
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選ばれなかったなら、選びに行け。ただ一つの栄光。
これは「オンリーロンリーグローリー(バンプ・オブ・チキン)」の歌の歌詞の一部です。精神的に辛くなってて、何をやっても自身がなくて、「もう何もしたくない。何やっても駄目なんだ。」って落ち込んでた時にこの歌を聴いたんです。この詩を聞いたとき、「そうだ…。」って思いました。自分から諦めずに向かっていけば、必ず自分にとっての栄光が手に入りますもの。本当に頑張ろうと思いました。落ち込んだ時は必ず聴いている曲です。
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「かっこいい悩みなんてないよ」
自分の悩んでる内容を話したらきっとバカにされると思い「かっこいい悩みじゃないから言えない…」と言ったら、友が返してくれました。遠慮なしに受け止めてくれる器の大きさに救われた気持ちになり、とても嬉しかったです。
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泣いても良い、逃げたって良い。けど、振り向くな。たとえお前が立ち止まっても、この世界では何も変わらない。変わらない毎日が、ただ過ぎていくんだ。
これは私が「あること」で沈んだとき、担任だった先生に言われた言葉です。「泣かない」という自分の、誰にもやぶられなかった盾が、この言葉に初めて守備を解きました。泣くことをやめヘラヘラと笑って過ごし、ただ悲しみだけが蓄積していった私の心を見抜いたのは、この先生だけです。「泣かないことが強いんじゃない、本当の強さは、後ろを見ないで自分を信じること。」そう教えられました。この言葉を聞かなかったら、今の私はきっと居ません。…先生が担任で良かった、本当に思います。
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おまえ、つよくなったなー。
精神科に入院してたときの医学生と、飲んでました。今回入院してさ、なんか、ちょっと、患者がうざかった。そう言ったとき、「そう思えるってことは、お前が強くなった証拠!それでも、おまえは、将来カウンセラーになりたいんだもんな。」いままで、同情ばかりしかされなかった。でも、厳しい事いっぱい言われて、でも、それが、すごく嬉しかった。
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僕が今みんなに伝えたい事は、「今を大切に生きてほしい」という事です。
私のクラスには「チャレンジスピーチ」というのがあります。そのチャレンジスピーチでは何でも言っていいんですが、いきなりこういう事を言ったので、泣きそうになりました。友達の事や家族の事でいろいろと悩んで、自傷行為をしていた私を救った言葉でした。今から人生を大切に生きたいと思った。ありがとう。これを言ってくれたDくん。
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待て、そして希望せよ。
A.デュマ「モンテクリスト伯」。結構長い間、なかなか仕事に恵まれずに不遇を囲ってた時代があって、そのときの唯一自分を支えてくれた言葉がこれでした。小説のラストに出てくる言葉です。シンプルですけど、人生の知恵を言い得ていて妙だと思います。
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そんなこと得意じゃなくていい。
私は人に自分のことを話すのが得意ではありません。それ故に誤解をされたりすることが多かった。言葉は大切だとわかっていても、私は自分を話すのが得意ではなかった。それは今でも…。そしてまた、誤解を受けたその時、悔しくて、自分に悔しくて…悔しく…。いつも黙っていた私が、はじめて自分を話すのが得意じゃないと言えた。その時彼は、言葉を選ばず、こう言ってくれたのです。私は私のままでいいのだと、もう少しで自分を嫌いになりそうだった私が私を嫌いにならずにいられたのは彼のおかげなのです。
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忘れていく記憶やったら、今いっしょにいる瞬間だけでも楽しくしようよ。
父が痴呆症で何回も同じ事を言ってくるので、家族みんなが話し相手になるのに疲れてしまっていた。疲れたというか、治らない病気への諦めもあったと思う。「…どうせ何を言っても、どこへ遊びにいっても忘れてしまうのに…」と、言ってしまった時に娘が言った言葉。ハッと何かを気付かせてくれた。
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「あきちゃん、なんかあったら俺に言いな。助けてやっから。」
私もどうも年上の女の人に嫌われやすく、高校生の時のバイト先でも嫌がらせをうけていました。その時にバイト先でのお兄ちゃん的な存在だった人から言われた一言です。彼はいつも私のことを心配してくれていました。結局、耐え切れずにバイトは辞めてしまいましたが、今でも、道で会うたびに「元気?大学は楽しい?」と笑いながら話しかけてくれます。彼はいつも強がってしまっていた私に、1人で悩まなくていいんだ、甘えてもいいんだ、と教えてくれた人です。
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夢を追い続けることも勇気のいることだけど、諦めることも勇気のいることだと思うよ。
プライドがどうしても諦めさせてくれない夢を追い続けて疲れて、苦しかったとき、妹が言ってくれた言葉です。お陰で、本当に「今」やりたい事を見つけることができました。「諦めてはいけない」って言葉を聞いてやる気が出る時もあるけど、たまには諦める勇気って必要なんだなと思いました。
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場所は違うけど、○○も同じように成長してるんだから。
大好きだった部活がだんだん重くなり、苦悩の末、辞めることにしました。辞めてからも仲間とは仲良くやっていましたが、正直、「みんなはしんどい思いをしながら頑張っているのに私は辞めてよかったのか」という思いでみんなに会うととてもつらかった。そのことを先輩に話したら、「みんなは部活の中で成長しているけど、○○もまた別の場所で同じように成長しているんだから、比べて落ち込まなくてもいい、ちゃんと進んでるよ。」と言ってもらい、涙が出そうでした。辞めた私を否定せずに、自分を肯定してもらった気がして本当に救われました。今もくじけそうな時はこの言葉を思い出しています。今の私の支えです。
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男らしくなる必要なんて無い。自分らしくいられることが大切なんだよ。私は自分らしい君が好き。
当時、僕は自分の女々しさに悩んでいました。男らしくなることに一生懸命で、自分に対して無理していました。そんな僕に彼女がかけてくれた言葉です。僕はこの言葉に救われました。ありのままの自分の姿を見せていればそれでいい。性別関係なしに、自分は一人の人間として自分に誇りをもつべきだと気づきました。ちなみにこの彼女が今の妻です。
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年と共に痛い事とか、痛い場所って皆増えてくるんだよ。痛みに耐えて頑張る事だけが頑張りじゃない。少しでも自分が楽になれる方法見つける事も、頑張って生きてるって事だと思うよ。
ヘルニアの痛みに耐えながら、暮らしている時に、接骨院の先生に言われました。痛さを見せたくないし、仕事でも迷惑掛けたくないし、毎日が一杯一杯だった時に、さりげなくそう話してくれた先生の言葉に力が抜けて、治療に専念する時間を選択する事ができました。
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人は誰かに必要とされるために生まれてきたんじゃないんだよ?誰かがその人を必要としているから生まれてきたんだよ。
あたしは虐めを受けている時に…自分が誰にも必要とされていないと思って、友達に【死にたい】と言いました。それを聞いた友達は泣いているあたしを抱きしめて【人は誰かに必要とされるために生まれてきたんじゃないんだよ?誰かがその人を必要としているから生まれてきたんだよ。】といってくれました。そして一緒に泣いてくれました。そのあとに【あたしはあんたを必要としてる…】と言ってくれた。涙が出た。大好き。そしてありがとう。心からそういえる。
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誰に遠慮してんの?誰かに遠慮して自分のしたい事しないなんて超ダサイじゃん。
自分のしたいことがあるのに、友人のためだと言い聞かせ諦めていた事がありました。その時に親友がくれた言葉です。確かに、その友人は良いかもしれないけど、自分が惨めだなあ。と思い、救われました。それからは自分のしたい事優先に考えるようになったのですが、それで良いのかも。とこの言葉を思い出すたびに思います。
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人生、「必然」「必要」「ベスト」やで…。
バイト先で大きな失敗をして、お客さんから大変怒られた時、とても落ち込み、自信を無くして泣きじゃくる私に店長が書いてくれた手紙の中にあった言葉。初めは言葉の意味が理解出来なくて、何度も言葉の意味を辞書で引いては「こういうことなのかな?」と自分なりに解釈してました。だけど今になって考えてみると、今の私に振りかかる現象は全て自分にとって「必然」で「必要」で「ベスト」な事なんだなあ…っと。そう思うと、その時の店長の優しさがとても嬉しく、立ち直れたのも店長の手紙があったからこそなんだ、と感謝してます。本当にこの言葉の意味通りに人生あるのかな?と感じる今日この頃です。
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どんな道だって、春一自身が進む道が一番大切なんだよ。
公立高校に落ちてしまった僕。かなりのショックで自暴自棄になっていたときに同じ高校を受けて受かった友達に言われた言葉です。最初は嫌味としか思えなかったけど彼女は本当に僕を元気付けようとしていてくれたことに気がつき、とても救われた気持ちでした。今は違う学校だけれどよく一緒に遊んでいます。
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もしもお前が人を殺しても、悪いことしても俺はずっとお前の味方やからな。
お世話になった先生に言われた言葉です。このときの私は、人間不信になってリストカットをしてしまいその時に言われた言葉です。わたしは先生のことが好きだったので、きもちを伝えました。もちろん振られ、そのあと気まずくなり、話すこともなくなりましたがいまでもこの言葉を信じています。
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そんなにいつもガマンしなくてもええんとちゃう?いつも自分だけで解決しようとしてるのって、見ててつらくなる。少しでもいいから、話してな。
学生時代の友達に言われた一言です。私はどうも、回りに壁を作るタイプらしく、何か悩みや悲しいことがあっても絶対に人に漏らさないのです。それを察した友達が一言、言いました。今でもまだまだ、何でも1人で抱え込むクセは治ってないのですが、でも彼女の言葉で、どうしようもなくなった時に頼れる人がいるんだな~って思い、救われました。
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こんな日もあるよ。
塾で受験前大嫌いな数学の問題が解けなくて凄く落ち込みパニックになった時先生がこの言葉をくれました。
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「辛」いって字があるよね、でも、あと「一」つ、あと「一」歩で「幸」せになれるんだよ。
当時付き合っていた彼女の言葉です。仕事もうまくいかず、家族間の問題も重なり、その彼女も何もかも嫌になり、精神的にも疲れきっていたときに言われました。確かに「辛」に「一」を加えると「幸」になるように、振り返ると辛い事の後には何かしらいい事があるもんだなと前向きに考えることができました。その彼女とは、もうさよならしてしまったけど、この言葉を良く想い出し立ち直り、何度も励まされました。
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なんとかなるっしょ。
たくさんの悩みを抱えていた時があり、どうしようと思っていたときに友達がこの言葉をいってくれました。その友達は、普段は頼りないところがあるけど、最終的にはどんなことも成功させていた人だったからなんか心が楽になった。
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人事を尽くして天命を待つ
期末テスト前日、この言葉に救われました。自分なりに勉強は頑張ったはずなのに、何だか不安しかなくて、自信なんかもて無くて。そんなとき担任の先生に言われました。自分がやれることはやったのだから、安心して結果を待つしかない。だよね、先生。お陰で落ち着いてできたよ。ありがとうございました。
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○○(我が名)が誰かを必要としてるならきっとその人も同じように○○を必要としているはずだよ!!私は○○が必要だよ。恐がらずになんでも話せよ。私が全部受け止めてやる。○○はもう一人じゃない。
友達が私に言ってくれた言葉です。言われた瞬間「私はここにいるんだ」と胸が熱くなり、涙がこぼれました。自分の存在を必要としてくれている。とても救われました。今まで一人だった私にとって…。
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大丈夫だよ…まだ坂本博之、死んでないから!!
世界ライト級タイトルマッチ畑山VS坂本で、坂本が惨敗したにもかかわらず試合終了後、施設の子供に言った言葉。いつまでも応援しています。坂本選手!!
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よく言った。みんな待ってるから。
部活を休部していた私に顧問の先生が言ってくれた言葉です。試合前なのに人数が足りないような少数の部でした。「来るのか、来ないのか。」と聞かれ、私は迷いました。でも顧問の真剣な目を見て「行きます。」と答えました。その直後の言葉です。とにかく下手な私を励ましてくれました。結局、私は試合に出ることはなかったけれど、この言葉を言われた瞬間は涙がぼろぼろこぼれました。
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気持ちつたえた?自分の気持ち。もしいつかまた会えるときがきたら逃げないで、その子と向き合って話すべき。
あるホームページで悩み相談したときの返事の一部分です。とても追い込まれて、掲示板にカキコしたところレスが返ってきました。顔も知らない人の一言でもこんなにも心が軽くなりました。
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人生何が起こるが分からないから楽しいんだよ。
不倫をされ、慰謝料も貰えず、離婚をし、その直後に就職した会社の上司に言われた言葉です。落ち込んでいた私には気持ちが軽くなりました。
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過去は気にしなくていい。未来は気にしなくていい。自分が成長するとか、しないとかも同じ…気にすることは、「勇気」「清潔」のみだよ。
大学受験を控えて自分の進学や将来がつかめず、曖昧模糊とした気分でいた時に、高校の先生が書いてくれた受験生への励ましの投稿文で知った言葉です。今までの焦りや不安がどこかへ行き、落ち着いた気持ちを取り戻す事ができました。
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あした、学校でね。
これは、学生時代に私が先生と男子がグルになって、苛めにあって、授業中にずっと泣いていた時に、私が学校に行きたくないと思ってたんですが、その友達はすごく芯の強い子でいつも支えてくれてたんです。その子がただ、私に帰り際に言ってくれた一言です。私はその一言で、本当に救われました。
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笑っていれば何とかなるさ。
私は、この言葉に出会うまでは、嫌な事があったりしたとき、すぐ、落ち込んでしまうタイプだったのですが、この言葉に出会ってから私は変わりました!。どんなに嫌な事があったって、笑っていればきっと、どうにかなる。そんな気楽な気持ちでこれから生きていけばいいんだなあ。と、思ったのです。ちなみにこの言葉は、私の大好きな人からの言葉です。
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怒るのも簡単泣くのも簡単笑うのが一番難しい。
私がいろんな事で悩んでる時に友達から言われた一言です。
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人はね、翼を持って生まれてくるの。ただし、片方だけの翼。片翼じゃ空へ飛び立てないよね。だから人は、努力をすることで、もう片方の翼を手に入れれるの。
夢っていうのは、手の届かないところにある。そう、あの空にプカプカと浮いてるんだ。そんな夢を手に入れるためには翼が必要だ。でも人間に翼なんてない。それなのに、夢を叶えれた人と叶えられなかった人がいる。それで僕は思った。人は翼をもって生まれてくる人と、翼をもたず生まれてくる人がいる。翼をもって生まれてきた人は選ばれた人間で、夢を叶えることができる。……じゃあ俺はどっちなのだろう?そこから先を考えるのが怖くて、いつもそこで考えるのを終わらせていた。そんなとき、この言葉を聞いた。僕の考えとはまったく反対の考え方だった。要するに、誰にでも夢を叶えるチャンスはあるという事だ。まだ、頭の中でよく整理はついてないけど、僕も夢の形というのはこうあってほしいと思うし、なんだか救われた気分になれた。
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まあ…しょうがねえよ…。
新車で事故をし、親に怒られたあとに、普段あまり仲良くない兄が言ってくれた言葉です…。
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自分がそうしたいってことをすればいいんじゃないの?あなたのすることはだいたいがまちがってなんかいないんだから。
愚痴ってばっかりいた私に、冷静にやさしく教えてくれました。私の中のいろんなうろこがおちて、30年以上ももやもやしていたものがいっぱい剥がれ落ちました。人の目を気にしてピエロみたいになってしまう自分が大嫌いでした。八方美人の自分が大嫌いでした。でもどうすればいいのかわからなかった私に、一筋の道筋をおしえてくれました。人にどう見られるのかじゃなくて、自分がどうしたいのかが大切。。。不倫の関係だったけど、本当に本当に大事なひとでした。幸せに生きてください。それが私の望みです。(でも私はもっともっと幸せに生きていきます。)
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話してよ。考えてることはわかんないよ。助けになること言えないかもしれんけど一緒に悩もうよ。
私がずっとふさぎこんでて、そのことを誰にも話してなかったんです。それを友達が気づいて言ってくれた言葉です。それからはなせるようになって、ちゃんと解決もしました。その友達の言葉にすべてが救われました。
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変えようと努力しても、変わらない環境は自分で変えなきゃだめ。
一年前、自分を見失いかけていた私を救ってくれたあたたかい一言。悩んで悩んで、その場に足踏みしているうちは良かったけど、後ずさりして、自己否定しかけていたんだ。その時、そんな私の愚痴を聞いてくれた。「お前バカじゃないの?」後に続いたこの言葉。目が覚めたよ。ありがとう。おかげで新しい一歩を踏み出せました。とても感謝しているし、惚れました(笑)。素敵な歯医者になってね。
怒りがこみあげた言葉
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ぴったりじゃない?○○(妹)は表舞台、○○(私)は裏方。
ADとして内定が決まり、そんなとき妹がスカウトされてモデルになった。母は何も言わなかったが、祖母は私の内定よりも妹のことを褒め、「○○(妹)は美人だからねぇ、お姉ちゃんと並んでも全然違う。」そして続けてこの言葉を言った。その時は笑顔で聞いていたが、内心は怒りだったり悲しみだったり、とても辛かった。外見がコンプレックスだったし。一生忘れない。天狗になって周囲からバッシングを受け、今は荒れに荒れた妹。祖母もガッカリしているようだった。私は昇進して大きな仕事も任され、それなりに成功している。一生忘れないような辛いことがあっても、人生はプラマイゼロだ。私はこれからきっと、もっと幸せになる。辛いことがあっても、皆さん、そこまで落ち込んだりしなくていいと思うよ。きっといいことがある。いつかはわからないけど、その時を待ちましょう。
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時間が経って、冷静になったら、判ってくれると思ってた。だけど判ってくれなかった。
元恋人の言葉。判ってほしかった?何を?謝ればよかったの?私自身の非をあえて認知して、貴女達に謝ればよかったの?「判ってくれる」なんて曖昧な言葉で人の心を読めるほど、人は器用じゃないよ。ましてや自分のことを殆ど話さない人相手なら余計に。……気がついたら、友人に電話してました。その子も私と同じことを感じたって言ってた。―――――もう、触れるのはやめよう、と言い合った。
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人生はな、レールの上に乗って生きていかなきゃなんないんだよ。レールの上に乗れないヤツはクズだ。
高校三年の進路希望の時でした。ボクはその時、フリーのイラストレーターになる、と第一志望に書いたんです。第二、第三は、書きませんでした。妥協しない意思を示したつもりだったのですが、正式な面談の前に呼び出されて、「夢見がちなことを言ってんじゃない!お前が、フリーター同然のことをやるなんて事言ったら、両親はどう思うと思ってるんだ。」と、怒鳴られたのです。その時、言われた一言だったのです。確かに、儚い夢で終わるかもしれません。でも、この先生はボクの作品を見たことも無いのです。頭ごなしにこんな事を言う先生がいていいのか。生まれたときから死ぬまで定められた人生なんておかしい、人間に自由なんて無いって言っているみたいで、とてもグサリと突き刺さりました。ボクはいままで生きてた中で、これほど憤りを感じた言葉はありません。しかし、反面それが、今のボクにとっては励みになっているのかも知れません。ボクは今専門学校生ですが、課題などで行き詰まりそうになった時、この言葉に対する怒りと悔しさが、時にボク自身の創作意欲を掻き立てる原動力になったりします。それでもこの先生はきっとボクがこのように考えると差し向けて言ったとは思えないですけどね。
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お前の事見てるとむかついてしょうがないんだよ。
私は班長をしていました。その時の班員が皆言う事聞いてくれなくて、そのせいでいつも私が怒られてました。だから、個人の日誌みたいのにその事を書いて、先生に提出したら、「その時は俺に相談しろ」みたいな事を書いて返して来てくれたので、なんだ、いい先生じゃん、と、その時は思いました。で、後日、また班員が問題起こして、もう嫌だと思ってすっごいイライラしてて、不機嫌全開で教室を歩いてたら、掃除の後だったので机の上に上げてあった椅子にぶつかって、その椅子を落としてしまいました。その椅子はすごい大きな音を立てて落ちたので私もびっくりした。そしたら先生にどなりつけられて、廊下に呼び出され、頭をはたかれ上の台詞を言われた。人がなんで悩んで怒っているのかも聞かずにいきなりそんな事言われてびっくりした。その後、悔しくて泣いてたら、別の先生がどうしたの?って聞いて来たから事のてん末を話して「むかつく」と言ったら、それがその先生にチクられて、今度は部活の先生に怒られた。昔から先生受けは悪かったが、おかげで「先生」という存在が大嫌いになった。
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あたしは○○の気持ちわかるよ。
あたしが悩んでたとき友達が言ってくれた言葉です。でも人のことなんも知らないくせに「○○の気持ちわかるよ」とか言ってほしくなかった。ちゃんと真剣になって考えてもらいたかったです。
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リサのこと別に好きじゃなかったし…。
これは別れた後に彼が言ってた言葉です。私と彼が付き合ったのは彼の告白がきっかけで、私は付き合ってくにつれて彼のことが大好きになりました。でも別れるのも彼からでした。すっごく辛くて悲しくて毎日泣いてた日々からやっと立ち直れたという時に、友達からこの言葉を聞きました。すごく悲しいと同時に怒りがこみあげてきました。私が彼に恋した時間は何だったの?彼は私からの手紙を見て笑ってたの?彼と付き合ってた私がバカバカしく思えました。
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ゆっぴーって、しったかぶりするよね~。
私も嫌っていたし、ほかの人からも嫌われていたいわゆる嫌われ者の子から言われた言葉です。私の引っ越す前{転校する前}の学校にいた子です。その子は、嫌われていましたが、私は意外にいい人かもしれない。と、思い、友達になりました。私も最初まではやっぱりいい人だなと思っていたのですが、付き合っているうちにどんどん口が悪くなり、自分勝手になり、しかも知ったかぶりをするようになってきました。知ったかぶった子にいわれた言葉だったのでものすごく腹が立ち、予想もしていないことをいわれたのでそのときは何もいえませんでした。私は話し方がうまくありません。だから知ったかぶったと勘違いされてしまったのかもしれません。でもとてもむかつきました。ぐちってばっかですいません。言葉が思いつかないのです。
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これだからゆとりは
小学生の自分より頭のいい人に言われた言葉ですあんたもゆとり教育だろって思いましたよ
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男は皆そんなもん。
1つ上の元彼に別れたいと言われたその日に、彼は自分の欲求を満たしたくて迫ってきて「好きでもないのにできるの?」と聞いた時に言われた。
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「馬鹿じゃないの?って思ってんでしょ?」
旦那の兄嫁(子持ち)から言われました。何も言ってないのに人の気持ちを決めつけるな。その無神経さに返す言葉が見つかりませんでした。今後その方と周りの人たちがどうなっていくか見守りたいです。子供が一番かわいそう。
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悲劇のヒロインぶってる(笑)
ストーカーされていると警察に相談に行った時に笑いながら言われた言葉です。恥ずかしさや怖さもあり、勇気を持って相談に行ったのに笑いながら言われました。本当に警察官は税金泥棒ですね。役に立ちません。ねずみ捕りばかりのヒマ人ばかり。
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死ぬなら、辞表を出してから死ねよ。
去年の年末、仕事の忙しさと、家庭のトラブルで精神的に参ってしまい、上司に休むための相談をしたときに言われた言葉です(死に場所探す旅に出たいんで、休みください、という言葉を受けて)。相談する相手を間違えてました。というかこの会社人間いねえ、と思いました。その後カウンセリングなどで、多少回復していますが、この言葉だけは、一生忘れないと思います。
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どうせみんな持って帰らないし捨てちゃうんだから、座席表はともかく、プロフィールは要らないわよ、誰も見ないわょ。
結婚してすぐに妊娠したので、安定期を待って式をあげることにしました。式の打ち合わせに、頼んでもいないのに、ついてきた姑が、妊娠5ヶ月の私に放った言葉です。私が座席表やプロフィールをそこそこのを選んでいたとき。うちらのお金であげる式なのだから、あんたの意見など誰も聞いてないんだよ。黙っとけ。
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アンタなんでいばってんの?
小学校のロングタイム集会(文化祭の小さい版みたいなの)でお化け屋敷をやりました。それの、責任者をやりました。それの練習中………………。私は、親友にも仲の悪い人にも対等に、声をかけていました。「そこは、もっと大きな声で!」とか、そんな感じでやっていると、けっこう仲がよかったんですけど、気が強い子で仕切られるのが大っ嫌いの子がいました。その子に私は、「そこは、大きな声で」と言うと、「もうやだー。あんた、なんでいばってんの?むかつくー」と言われました。ブチっと来ました。でも言葉を返す前に、「あんたに不満持ってる人いっぱいいるよ」と言われました。そこで友達が…。「私不満モッテナーい」「俺不満モッテナーい」「私も-」など言ってくれて、その子は、言った人たちを睨むと、あまりにも数がおおかったので「私、委員会あるからと言って逃げてしまいました。」
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AとBは合わへんねんで。
結婚して初めて旦那の実家に帰ったとき、姑に血液型は何かと聞かれ、A型と答えるとこの言葉が返ってきた。A型は神経質で気に病みやからなー。アカンわー。とも言われた。私はそんなデリカシーのないことを平気で言えるB型の女が大嫌いだー。ちなみに姑はB型です。
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あなたのお母さんが泣いても、私には関係ないし。ましてや、頭おかしいんじゃない?
今の旦那と結婚する前、式の段取りや引き出物などの話がしたく、電話をしても繋がらない。困ったあげく、旦那にかけてもらったら酔っぱらった義母がでて、私と大喧嘩。「○○家△△家で式を挙げるなら(名字をかかげるなら)、もっとお金かけるのにあなたのうちが片親だから名前に傷がつくし、恥ずかしいから」それでも我慢して下手にでてたら、言われました。あまりに頭にきて、今の旦那に「私の両親をばかにしやがった、あなたの母親は一生涯かけて許さない」と声をあらげて言いました。…そんな義母ももう何年たったかわすれましたが、なくなったので、顔見なくてすみますし、いまだに許していません。
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妊婦はそんなにエライのかよ
妊娠中、旦那に何かを頼むことはほとんどなかったのに臨月近くになって買い物がしんどくなって、車を出してほしいとお願いしたらこう言われました。この言葉は一生忘れることはないと思います
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じゃあ、待ってるね
↑の言葉だけじゃあまり分からないと思いますが私が部活で片づけをしてて友達が別の友達に呼ばれた時、友達がそういったんですで、やっと終わって見てみたらだれもいなくて、もしかして隠れておどかそうとしてるのかと思って辺り見たけどやっぱりいなくて、しょうがなく帰ろうとしたらその別の友達と一緒に友達が帰っているところを発見…。正直殺してやろうかと思ってしまいました^^;
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いつまでも泣いてるんじゃない。
いじめを受け、誰も助けてくれなかったとき。担任にすら見放されていました。担任の前で当たり前のように日常的にイジメが繰り返されていました。悔しくて泣いていたときの担任の一言です。さらに信じられないのは「教頭には言わないでね。私が呼び出されるから」教師失格だと思いました。今でも彼女は教師を続けていると思うと腹が立ちます。
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これだけやって出来なかったんだから、俺のせいじゃない!悪いのはお前だ!!
6年間付き合ってた彼が言った言葉です。私達は子供が欲しかったんだけど、どうしても出来ませんでした。最後に彼が放った言葉がこの言葉でした。「もしかしたら原因は私じゃないかもしれないのに…。」6年間信じてた彼が信じられなくなった瞬間でした。
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お前は、絶対結婚できない!!
バツイチの彼氏を振り、別れ際の最後に言われた一言。失敗した人間に、そんな事言われたくなかった。
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人を信用しちゃいけないよ。ましてや親友などはね。あんたが拾ってくるヤツは揃って信用できないヤツなんだから。
祖母に言われましたね。これ言われたとき本当に頭に血が上りました。
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ちっ!!仕事できへん奴やな!!!
その日は、試写会に一緒に姉と行くはずでした。私が先に行って並ばされてたんですが、隣のホールと間違ってずっと並んでいたみたいで自己嫌悪に陥って姉に謝ろうとそばに駆け寄っていった時「ちっ!!仕事できへん奴やな!!!」と言われた。すごい目で睨みながら…。その日はバイトの面接に落ちていたせいもあり胸の奥にぐっさりきました。タイミングの悪さにビックリ!本当に腹立った時って、無言になりますよね。態度も抑圧的な人なので普段からむかつく事がたびたび…姉妹でも言ってはいけない事ってありますよね。自分が最初悪いとわかっていてもその言葉により心からは反省できない一日でした。
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こいつらバケモノか。
私は高校生の頃、女子バスケ部に所属し、レギュラーでした。その私のバスケ部は、都内でもけっこう有名なほうで、はっきり言って男子バスケ部よりも強かったです。それが気にくわなかったらしく、男子バスケ部がある日私達女子バスケ部に対戦を申し込んできました。それで気が済むならと私達は勝負を受けてたって、結果は当然私達の圧勝でした。その時、男子バスケ部の人が言ったのが、この言葉です。それに続くように、次々と男子バスケ部からバケモノという言葉が雨のようにあびせられました。あんたたちが弱いだけでしょ。本当にムカつきました。
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自殺してもいいが、今までかかった金、全部返せ。今、死なれたらお母様のせいになるから居なくなったら自殺でも殺人でも勝手にしろ。
私を散々虐待した母に言われた言葉です。怒りというより、絶望のが大きかったです。私を憎らしそうに見ていた母の目は、忘れることができません。この言葉を発した一週間後母は家を出ていき、いまだに行方不明です。
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「●●(ヒマジン)って何言われても傷付かないよね」
これきいた時カチンときたね!普段自分って結構我慢してるからこれ言われたら「アンタに私の気持ちがわかるのか!?」って思ったよ。いやなこと言われてそれでもずっと笑っているのがどれだけ辛いか!!きっとみんな自分のこと幸せな奴って思ってるんだ。そのかわりあまり表情も変えずに「絶好ね!」っていってやったけど。その子そしたらスゴイ焦ってた。多分悪気はなかったんだ。でもあの言葉は許せなかった。
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俺と結婚してなかったらお前には何にもない惨めな人生だった。精神病院に閉じ込めて鍵をかける。家事も完璧にできない怠け者
旦那に言われた忘れられない言葉。私もひどいことを言うようになって許せないand惨めな気持ちでいっぱい。自分に自信すらもてなくなってきてどうしようもない。妊娠中で家事もゆっくりになったり見落としがちになるのわわるいとおもうけど、それでもちゃんと済ましていても、結局怠け者あつかい。自分の気持ちを伝えるのもいやになってきて、むなしさでいっぱい、、
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またあんた?しつこいね。
高校時代に精神不安定になり、突然泣き出したりとてつもない自殺願望に襲われたりしてご飯も食べられなくて本当に死ぬかと思った。放課後になるといつも保健室のベッドで泣いていた。ある日授業中に過呼吸の発作が起きて保健室に行ったらこの言葉を言われた。本気で自殺してやろうかと思った。
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お前は中学校へ言って友達できるのか?
小学校の最後の頃に、担任から言われた言葉です。すごいショックでした。中学校へあがる、友達が出来るかという一番不安な時に言われたのが、励ましや見送りの言葉でもなんでもなくて、「友達できるのか」という、私にしては見放されたような言葉でした。その頃仲が良かった友達が私立の中学に行く事になったから言われたんだと思います。それがたとえ私のことを心配して言ってくれた言葉なんだろうとも、私には友達を作れないと宣言された気がして、な言い返すことも忘れて、その場で泣きたくなりました。そう言われても仕方がないことを言ってしまったという後悔と、自覚はあります。でも、その一言、それも最後の最後で言われた言葉は、私の心の中で何時までも傷を作り続けています。
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これあげるから消しときなさい。
中学の時、私は周りから嫌われていて、ある日学校に行ったら私の机にキモイと刻まれていました。当時の担任に相談したら、紙ヤスリを渡してこう言いました…。昨日まで無かったと説明しても、しらんぷり。文字を消せばそれで済む問題だと思った先生に対して、二の句が告げられない程呆れて、同時に怒りがこみあげてきました。それ以来、二度とその先生を信じた事もありませんし、大人の女性が苦手になってしまいました。
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「自分の性格なおそうと思わんのん???」
これは、私が友達と喧嘩したときに言われた言葉です。性格がだめ、とかいろんなことを言われました。ホントにいらついて…あたしの何を知ってるの???って思いました。正直、本気で殺そうと思いました。
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ごめんね。私ひどいことしちゃって。仲直りしてくれる?
この言葉は、つい最近友達になぐさめられた言葉です。この小学校生活、私は友達に幸がありませんでした。ムシされたり、ニラまれたりロクなことがありませんでした。今年の5年生のとき、仲良しグループがいました。MとYとRと私です。四人は仲良しだったのです。Mはバレーをしていて体格が良くてイバっていて女子の間では嫌われ者。Yは誰とでもうちとけられる、それであって人の命令をきいてしまう子。Rは男子にも女子にも同じ態度の、友達の多い子。だけど、いきなりRが私のほうに寄ってきて、Mと目をあわせることがなくなりました。それを機に、Rと私は悩みをなんでもうち明けられるように、交換ノートをはじめました。さっそくきいてみると、「Mがムシしてくる…」と。それだけ書いてありました。それから、Rと私のなかは自然に消滅していきました。それからRがMのことをニラむようになったのです。それを見てMはRの悪口言いたい放題。Mはこんなことを言っていました。「あたし、Rと同じ幼稚園だったんだけどイジメられてたんだあ。」「Rってバカなんだよ。男子の前でブリッコしてんの。」すっかりそのときはその言葉を信じていました。3学期、私とYとRは同じ係になりました。新聞係です。学級新聞を書く係になりました。Mはイバるくせにリーダーになりたがらないので私がジャンケンで負けてリーダーになりました。まもなくして、校内で毎年恒例の新聞コンクールがはじまりました。私は、リーダーなので二人に指示を出しました(あまり出していませんが…)。それから私はMからムシされることになりました。理由はわからないのですが…。ニラんできたりムシしてきたり、私のいる前でも悪口を言ってくるようになりました。Mと同じバレーをならっている子に「何か言ってた?」ときいたら、「そういえばMがフーチってこの頃生意気って言ってた」という返事がきました。その「生意気」というのは新聞係で指示を出したことだと思います。Mは自分がイバれればすべて良しの人なのでそう思ったのでしょう。それから私はMに仲間はずれにされて、Yまでさらっていきました。それから、私は前から仲良しだったAとHと遊ぶようになりました。二人は、私の悩みをいっぱいきいてくれました。そして、さらに私と同じ状況になってたクラスで一番頭の良いFも一緒に遊ぶようになりました。それから、前AとHに悩みを聞いてもらってた以上に私の悩みをきいてくれて、自分の体験談なども話してくれるようになりました。「フーチはひとりじゃないんだからね!!」と言ってくれました。私の状況をみんなわかっていたのか、みんななぐさめてくれるようになりました。前仲良しだったRにきいてみたら、Mが言っていたこととすべて反対だということもわかりました。むしろいじめられていたのはRの方でした。ブリッコだってRがするわけありませんでした。それからというもの、Mは誰も遊ぶ人がいなくなって、一番の頼りにしていたYさえも違う友達と遊ぶようになっていきました。Mは自分が一人になってしまったから私にあやまってきました。そのときの言葉がこれです。私がずっと信じていたMにムシされて、仲間はずれにしてさんざん捨てておいたくせに自分の遊び相手がいなくなると謝って仲をとりもどそうとするなんて、私にはできません。そのとき爆発しそうになりました。でも我慢しました。今はMと一緒に遊んでいます。Yも一緒に…。でも、多分もうMのことを心から信頼することは絶対にないと思います。
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「ウザイ女だな。お前みたいな女こっちから願い下げだよ。じゃあな」
実は既婚者だった、大好きだった彼氏が最後に言った言葉です。もうショックで男性不振です…
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あの人と付き合ってもRIQには何にもいいことないよ。
高校3年の9月のことでした。夏に記念祭の準備などで仲良くなった女の子のことが好きになって、彼女も僕に好意をもってくれて付き合いました。クラスの男子だけで記念祭の打ち上げをやっているときに友達に言われた言葉です。確かに受験で忙しい時期で、自分自身どうしようかと思っていましたが、自分の気持ちに嘘はつけませんでした。結果的に一ヶ月で別れてしまいましたが、僕は本当に彼女を愛していたし、彼女も僕を愛してくれました。この言葉を言われたときは本当にむかつきました。意味のない恋なんて絶対無いと思います。今だって彼女には感謝しています。彼女は、人を愛することの難しさを教えてくれた、大切な人です。
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へぇ~。そうやって男性の同情引こうとしてるんだ。
私が自殺未遂をし、入院していた病院の主治医が言った言葉です。薬のせいで足の神経をやられてしまい、立てなくなって車椅子生活をしていました。そして私の恋人がお見舞いに来るから車椅子で出ていっていいかと聞くと、上の言葉を言われたのです。いまだに許せません。どこの世界に同情引く為なんかに車椅子乗ってる奴がいるか。不便さ知らないからこういう言葉言うんだろうな。というよりも、あんたそれでも医者か…。
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あんみつもさ~、いつまでも売れ残ってないで、売れ残りの××さんと結婚すれば。
夫の後輩の恋人(現在は結婚しています)に言われた言葉です。当時私は長年結婚前提につきあっていた男性と破局したばかり、ほかの人とつきあう気分にとてもなれない状態で言われ、非常に傷つきました。それ以来彼女とは会っていません。ほかの友人がやはり恋人と別れたときも、「あなたのは身から出たさびでしょ!」と。どうしてああも無神経なことがいえるのか、私には理解できません。
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その紙ギタギタに切り裂いてやるからな!
小学校一年生の時の担任に言われた言葉です。その先生は優しくて子供たちにとても人気の先生でした。学校の授業で「将来の夢」という作文を書かされた時に、私は冗談で隣の席の子に「将来の夢は大人になることです」と言ったら、「そんなこと書いたら、その紙ギタギタに切り裂いてやるからな!」と言われました。別に実際書いたわけでもないのに。その後も態度は変わらずで、私は大嫌いになりました。いつか化けの皮を剥いでやると堅く決心した、小学校生活でした。
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別に、ダチなんかいらねぇし
学校で皆の事を無視したり、提出物ださなかったりして、荒れ放題の子がいて、その子と少しずつ仲良くなっていったので、「今やってる事少しずつ直して行かないと、本当に友達いなくなるよ!」って言ったら、「別にダチなんかいらねぇし。後、お前の事もダチだと思ってねぇから」とか言われて、頭にきました、でも、その後仲直りし、友達も少しずつ態度を直していってます!感謝!
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人の事いえない。よく自分のしている事考えよ。だから人から嫌がらせと思える事をされているんじゃないのか?それでは自己中と言われても仕方なし。
喧嘩した時に、いつも私に意地悪な事を言う人からこの言葉を言われました。絶対に許せないし。そのまま返したかった言葉です。
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親がクズなら子供もクズだな
3股かけてた元彼に言われた言葉。3股の内の1人の女と家に押しかけて来て、鬱病で呼吸するのもやっとの状態の私に2人係りで罵倒して帰っていった。クズはお前だよ!!!結局、もう1人の女孕ませて結婚したけど、お前が親じゃ子供可哀想だな
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言うことなら何でも聞く、便利な奴でして…。
今働いている店の店長が、社長にオレを紹介した時に言った一言。もう少し言い方を変えてくれても良かったんだけど…。
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学校でやるサッカーは強いシュートこないじゃん!だから(学校では)俺はキーパーやりたいの!でも学校でだけ。
俺はいつもチームのキーパー練習でボロボロ。試合に負けて落ち込んでいる俺にいう言葉かよ。オイシイとこだけもってきやがって。だったらオメエがチームのキーパーやってみろよ。
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何にも考えてなかった。
私は、女性器に問題があるんじゃないかと言う事で血液検査結果待ちでその前日に彼の家に居た。酔っ払って帰ってきた彼はすごくイライラしていてストレスが溜まっているのがすぐに分かった。話をきいてあげてたら、そのまま嫌がる私を犯した。すごく平然としていた。次の日に私「何を考えてた?検査結果が明日でるのは分かってたじゃん!思いやりはなかったの?で、何を思ってそうしたの?」彼「何も考えてなかった」
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あんたなんか、もう友達じゃない。あやまったって、だめ。大嫌い。
生物の時間、実験があったんですが、わたしは少し仲がいい人たちと同じグループになったんです。私は前もその子達と同じグループになったのですが、仕事は全部私に任せ、サボっているような子達で、私は本当に一緒にやるのが嫌だったんです。その時、他のグループの人たちが人数が足りないからといって、私たちのところに余っている人を回してくれないか、といわれたんです。私たちのグループは既に一人余っていたので、わたしは迷わずそちらに行きました。実験もほぼ終わったあたりで、前のグループの子たちが私を呼びつけました。私がいってみると、突然「ノートを全部見せろ」と言ってきました。あなたが全部ノートを書くといったんだから、(絶対にいってないのですが)見せてくれるのが礼儀だ、と。そして、わたしは写していない、というと、しつこく何度も書いたはずだ、嘘をついていると言ってきました。わたしは腹が立って、書いていない、といって、その場を立ち去りました。後日、彼女達から、この言葉を聞きました。そして、いま、嫌がらせにあっています。彼女達が私の噂を流したり、無視したり、転ばせようとしたり、情けないです。生物の時間が来るのが、本当に毎日嫌です。
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ポインセチアって友達いなくなりそう。
高校時代に、ある女から言われた言葉です。皮肉ながら、その言葉通り友達は確実に減っていっています。もう死にたいです。
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あはは、りぃ、ぼっちだね!
去年同じクラスでずっと部活で同じパートの子に言われた一言です。去年、最初の方は仲良くしてたのですが喧嘩して金銭面に発達してから部活でも上辺で仲良くしてきました。今年は本当に去年みたいなめにあいたくない、そう思ってずっとクラスメートを避けてきた時に言われた一言です。その前の週、良いアドバイスを貰えたりしてちょっとずつ平気になってきたってところでした。今もこれからもずっと、上辺でしか仲良しでいられないと思います。
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お前には父親がいないから問題ばっか起こすし、クズなんだよ。笑
小学生のときに問題起こしてた時期があって、その時担任が放課後に自分を呼んで言った言葉です。怒りというよりも、ただ単純に傷付きました。高校生になった今でも、その先生を見かけるとすごく嫌な気分になります。
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いくら仲のいい友達や親友でもな、しょせんは他人なんだよ!信用できるのは、自分だけだ。
親友とけんかしていたときに、言われた言葉です。本音か、ついついカッとなって言ってしまったのか分かりませんがとても傷つきました。
悲しかった言葉
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そんな運転じゃデートできんぞ。
自動車学校で出会った人…奥さんも子供もいるのに、私はいつからか夢中になってた。ある日の路上教習中、その人がふと隣でつぶやいた…うれしかった反面、とても切なくて悲しくなった。思ってもないくせに、できるわけもないのに…って。それでも惚れてる私…もうすぐ免許が取れそう。そしたら会えなくなっちゃうんだね。涙が出そうになったよ。
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うちらのサイトになにしに来てるんだか分からない人にとやかく言われる筋合いはない!
ちょっとしたいさかいから、大喧嘩になってしまって、怒りに任せて結構ひどいことを書いたメールの返事に書いてあった言葉です。相手のサイトの掲示板に、何も書かずに去るのもなんだと思って、たまにキリ番のカキコをしてたら、そういうことを言われてしまいました。こっちの言葉もひどい事を言っていましたけど、ここまで痛烈に言われて、なんだか、もうどうでもよくなってしまい、そのサイトをお気に入りから削除しました。掲示板のカキコも考え物なんでしょうね…。
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あんたじゃ無理だよ。あんたなんかが○○になったら本当に○○を目指してる人に失礼だし…迷惑。
以来、全てが信じられなくなった。何度も、何度も思い出しては、永遠に泣き叫び続けられる言葉。夜、思い出すと今でも眠れない狂ってしまいそうな程…悲しかった。進路を考えなくてはならない歳になって、それでも行きたい学校なんてない、私は○○になりたい!!と自分の夢を話した時、親から返ってきた言葉。親も、祖母に反対されて夢を叶えられなかった。だからこういう事言うのは、よく分かってる。だけど…やっぱり私にとって「迷惑」っていう言葉は重すぎるよ。ママ…。
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では俺はどうすればいいのかな?何をしてあげればいいのかな?いくら連絡先を知っていてもそれに何の価値があるのかな…。悪いけど本当に余裕ないんだよ俺…。勉強頑張って下さい!
私の前から消えようとする彼に、ただ消えないでいて欲しくて、「消えちゃわないで、連絡先も教えてよ…」ってメールしたら彼にこう言われてしまって、なにも言い返せなくなって、そのまま終わった…。連絡しても、応えてくれないし…。こんな形では終わりたくなかった。こういうものの言い方をする人じゃなかったのに…。今でも、思い出すだけで、悲しいです。原因もわからないまま、私の前から消えていって…。ただ、別れるのならキレイに別れたかった…。悲しいけど、きれいな思い出にして別れたかった。これじゃ、いつかあの人を憎む事になっちゃう…。だから、悲しい。
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自意識過剰もいいとこ。
その日は、交流学習で自作の名刺を交換する時間でした。私は名刺の裏に、何かのキャラクターを描いたのです。そして交換の時…知らない人が、小さな声で友達とその言葉を言っているのを聞いてしまったのです。自分の絵に少しだけ自信を持っていた私は悲しいような自業自得のような…友達にその事を話したら、きっとお世辞なのでしょう。「○○って、絵上手だよ~!大丈夫!」といいました。ダブルでショックなことがあり、きっとくだらない事ですが、一生忘れられない言葉です。
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お互いのために子供をオロシテ欲しい。
付き合って1年彼との間に子供が出来たとき…。電話で妊娠したことをを告げて、その日の夜に会った。そしていわれた言葉が…お互いのために…。何がお互いのためなのだろう…。涙が止まらなかった。本当に悲しくて涙がとまらなかった。子供は…今私の腕の中にいます…。
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死ねよ~。ウザい。
期末試験で結果が良かったときに「何点だった?」と友達に聞かれ「○○点だったよ。」と言ったら「死ねよ~。ウザい。」と言われました。私の学年では「死ねよ。」とか「ウザい。」という言葉をみんな使っていて、私はこの言葉を聞くと、いつも心が痛みます。それは、去年の中1のときいじめられていて、ある友達に椅子の裏に「死ね」と書いてあったことを思い出すからです。みんなは、ふざけて言っているのだと思うのですが…。本当に相手が死んでしまったら、責任はとれるのでしょうか?相手が傷付くということを、わかっているのでしょうか?私も昔、ふざけて「死ね」と、よく言っていました。言われてみて初めて、言われたほうはすごく傷付くんだな…ということがわかりました。すごく後悔しています。言ってからでは遅いのですから…。だから、こんな言葉を使う人を軽蔑します。。みんな…「死ね。」なんて使わないで…?冗談でも、言ってはいけない言葉だよ…?みんなに、わかってほしいです…。
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さよならは一度でいい。
3年間付き合っていた彼氏が最後に言ってくれた言葉。そんなこと言わないでよ…。悲しくなって涙がこぼれた。でも今は、その言葉はきっと私の事を思って言ってくれたんじゃないかって…。たまに思います。
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彼女できたんやあ。
ホントにホントに大好きだった人。別れてからズットお互い無視状態だったけど、彼の卒業をきっかけに友達としてメールしてた。お互い言葉にしなかったけど、まだ好き合ってるって確信できてた。嬉しくなるメールをくれても素直じゃないアタシは照れ隠しで冷静な態度とってた。アタシの受験が理由でメールしない時期があって、合格決まったからその報告したら、この言葉が送られてきた。別れてから2年…ずっと引きずってた。でも、その時ほんとによかったねって言えた。自分でも吹っ切れてる事気付いてなかった。彼に新しく好きな人ができたのが辛かったんじゃなくて、彼を好きじゃなくなってた自分に気付いたのが辛かった。
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死にたくない。俺、まだ死にたくないよ…っ。
父は病気で、手遅れと言われていて、それでも姉と母と闘病生活を続けていました。そして、家族皆で父が入院している病室にずっと泊まっていました。ある夜中に父が体が痛いのか苦しみ出しました。姉と母は「大丈夫?」、「どうしたの?」と父のベッドに近づいて声を掛けていました。私は動けなくて、ジッとソファに寝ていました。その時、父が「死にたくない。俺、まだ死にたくないよ…。」と母に体を支えられながら泣きそうな声で、そう言ったのです。私にとって、父が弱い言葉を聞くのが初めてのことで、その時本当に動けませんでした。衝撃が大きすぎて何も反応できなかった。その数ヵ月後に、父は亡くなりました。父は最期まで精一杯闘いました。私は立派だと思います。誰だって死ぬのは恐いし、死にたくないと思うのは当たり前のことなのに、この言葉が私の心に深く刻まれました。私は死ぬのが本当に恐くなりました。だから人を蹴り落としてでも、私は生き延びたい。最悪かもしれないけれど、それでも生き延びたい。けどもし、自分の命に代えられる以上の誰かに出会えたら…私はその人が生き延びて欲しいと思います。
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あんたが死ねば良かった。
私の兄は誰からも愛される子でした。その反面私わ兄と正反対でした。そんな兄が亡くなってしまった時に母から言われた一言でした。何度も兄と比べられひどい事をいろんな人に言われてきましたが、母のこの言葉わ忘れられません。でも母の事を嫌いになれず、ただ「私が生き残っちゃってごめんね」と今でも思っています。自分では、少しでも兄の代わりになりたくて良い子をしていましたが、すべてがどうでもよくなってしまいました。何よりもそれ以来人を信じる事が怖くなりました。
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どうしたら嫌いになってくれる?
最近好きな人に言われた言葉です。自分を憎み、嫌いになって悩んでいる彼を励ましている時に言われました。彼に何も出来ない自分が、こんなことを言わせてしまった自分が情けなくて悔しくてしかたありません。
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所詮お前は何やっても無理なんだよ
中2の頃小柄な自分に大柄で肥満な男友達に言われた言葉。テストの悪い点数をクラス中にいいふらされ、どうしてそんな事するんだと聞いたあと言われました。確かに勉強出来ないし部活や体育も交通事故などあり出来なくなっていた時だったので悲しくて泣きそうでした。その中学は田舎な少人数なのでいじめられても我慢しないと友達がいなくなると思っていたから何も出来ませんでした
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○○君に身体はあげれるかもしれないけど、愛はあげれない。
これは、学生時代に初めて本当に好きになった人に言われた言葉です。その時は、だめだと分かっていたけれど忘れられなくて、ついつい、猛烈なアプローチを繰り返していました。「つきあって」とは言えなかったんだけど、その気持ちは十分相手に伝わっていました。その時は、本当に辛かったんだけど、その人とは、今でもいい友達です。今となっては、これでよかったんだなあと思います。
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おまえはうそつき!
今から6年前、大学時代に付き合っていた人から、別れ際に言われました。相手の人は、3またをかけていたくせに、私が浮気をしていると勘違いをしていたみたいでした。
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じゃ、言わせて貰うけど、こんな絵じゃ絵が死んでるよ?
美術の先生からのダメ出しです。一番丁寧に描いた部分を貶されなんか私を否定されてる気になりました。当時うつ病気味だった私はその場で全部デッサンを消しました。今言われてもなんとも思いませんが、当時の私の心を潰すのには十分でした。
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姉ちゃんみたいな病気の人とは絶対に結婚しない。100人いたら、99人までがそう答えるよ。俺はきれいごとは言わない。
私は4年前から精神科にかかってます。ある日、弟と話をしていて、結婚の話になった時に言われた言葉です。私は涙が出るのをこらえながら、「そんなん言われたらショックや」と言いました。すると更に、「え?何で?俺はきれいごとは言わない」発言内容そのものももちろん悲しかったですが、自分の弟が、「きれいごとを言わない」ということと、「言っていいことと悪いことがある」ということの区別もできないとういうことが更にショックで悲しかったです。
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明日も会いたいな。私に明日は来るのかな。
亡くなった彼女の最後の言葉です。その日のうちに彼女は亡くなりました。この言葉を言った時の彼女の顔はとても美しく、しかしとても悲しい顔でした。今思えば彼女は死期が近いことを知っていたような気がします。
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アンタなんか、何で生んじゃったんだろうね…。
この言葉は、私が鬱で悩んでた時に言われた言葉です。医者にいく金はかかるし、私はうじうじして学校にも行かない…母にとって最大のストレスだったそうです。離婚して女で一つで育ててやってんのになんでこんな風にうじうじしてるんだ!って、怒鳴られました…。その時まだ幼かった私は、溢れ出す涙をこらえながらただ。「ごめんなさい…。」というとこしか出来なかった…。苦しかった…その時に、一番胸を突かれた言葉です。
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私が死んだら泣いてくれる?
今年の初め、一番の親友がガンでこの世を去りました。一度は退院し、治ったかに見えたのに、結局再発。ちょうど仕事を辞めて家に居た私は、最後の3ヶ月間ほとんど毎日お見舞いに通い、マッサージや話し相手を続けました。その間、一番辛いのは彼女なんだから、私は絶対泣かないと決心し、「絶対治ると信じているから私は泣かないよ」と言っていました。でも、その気持ちは分かっていても、一緒に泣いて欲しかったんでしょうね。ある日彼女に「私が死んだら泣いてくれる?」と聞かれたのです。その時は、かなりショックでした。結局私達の思いは叶わず、親友は亡くなりました。それからは、毎日泣いてばかりでしたが、彼女の前で泣かなかった事を、後悔したくはありません。だって、彼女の為に泣いてあげる人は他にもいたんだから。彼女に必ず治ると信じさせてあげる事が出来たのは、私達なのだから…。彼女は、亡くなる数日前までは、完治を信じて戦ってくれました。その側に付いて助けてあげられた事を、誇りに思いたいと思っています。
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ごめん。Hがいるから…。
四月にクラス替えがあって、知り合いだったTと一緒のクラスになれて、お弁当を一緒に食べよう、と約束をした。そして昼休みにそのTの席に近づいて話し掛けてみると、「YとHとも一緒に食べるから。YとHがいいよ、って言ったら一緒に食べよう」と言った。そのTと行動を共にしたければ、そのTが属するグループに行動を共にする許可をもらう事。これは女の子同士の、暗黙のルール。私はTがそういう風に言う意味は分かっていたので、そのYに「一緒に食べてもいい?」と聞いた。けど、Yは「ごめん。Hがいるから…。」と私が仲間に入る事を拒絶した。別に断わられたのは構わなかった。私は皆から変わっていると思われていて孤立していたし、断わられる事はなんとなく予測していたから…。だけど、なんでHがいるから私が仲間に入ってはいけない事になるのか分からなかった。Yはただそう言って、私を追い払いたかったのだと思う。けど、イヤならイヤでハッキリそう言えばいい。そのHのせいにするのは卑怯だと思った。そんな風に逃げずにYが「イヤ」だとハッキリ言えばいい。Hがその場にいない事をいい事に、勝手に断わる理由に使うなんて最低。そんなYへの怒りもあったけど、やはり仲間に入れてくれなかった悲しみの方が勝った。結局Tとグループが離れて、私は孤立した。私は苛められた事は無いけれど、まるでクラスに存在しないかのように扱われる事は虐めに等しいと思う。その1年間を思い出すと、本当に何の為に学校へ行っていたのか分からない。
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うち、ささが転校してくれてマジ嬉しいわ。
転校する直前、クラス中に嫌われている女子に言われた。寄せ書きする厚紙あるじゃないですか。それにもこう書いてた。
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似合わない。
私は来年受験生なので、私は夢が漫画家で美術系に入りたかったのですが、母に私には似合わないと言われだめになりました。そしたら妹にその中学を受けさせるそうです。私はそのときなんで妹ばかり、いいことがあるのだろうと思って泣き始めてしまいました。いまは母に認めてもらえるため絵を描いたり、勉強を頑張ってしています。
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最初から入らんかったら良かってん…。
この言葉は私が部活を退部する時に同じ部活の友人に言われた言葉です。私は、ある疾患持ちで医者に辞めた方が良い…と言われた時、迷いに迷いました…。今まで続けてきたことを諦めたくない辞めたくない…でも此の侭だと確実に健康は損なわれてしまう…将来に響いてしまう…。私は結局「退部」という答えを選択しました。そのことを友人達に打ち明けた時、皆私を冷ややかな視線で見たのです。まるで裏切り者を見るかのような瞳で…。「ムカツク」「菜に考えてんの?」ありきたりな人を中傷する言葉から罵るような言葉まで…涙が込み上げてきました…。その中で一人の友人がポツリと言った「最初から入らんかったら良かってん…。」まるで今までの私の部活生活、努力…何もかもを否定されたようで痛くて辛くて悲しくて悔しかった…今でも思い出す度に目眩がする…。
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あんたなんて本当は生みたくなかったの。でも仕方なくなって生んであげたんだよ。でもやっぱりあんたみたいな駄目な子生まなきゃ良かった。
お母さん、ごめんなさい。
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あんたの存在が気に食わない、なんであんな人達を好きで、あの人が嫌いなのか、はっきり言わなくてもあんたは邪魔、死んで
部活の友達だと思ってた人から言われた言葉です。相手が私が好きな人達を嫌い、私が相手が好きな人を苦手なだけで…そんなのお互い様なのに…人の好き嫌いなんて人それぞれなのに…私が目の前で私の好きな人達と私の悪口言われた気持ちが分かる?…その上みんなに私のあることないことの悪口を言い触らして…みんなで私を裏切った…一方的なイジメを喰らう今も死にたい…でも今死んだら、部活辞めたら自己中女に騙されて私を裏切った奴らに「逃げた」って笑われる…私はあんな奴らにそんな風に言われたくない…だから私は逃げない…心が壊れるまでアイツらと戦ってやる
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僕の心の中まで入ってきて欲しくないんだ。
離婚の話し合いの時に言われた台詞でした。話し合いが嫌いな人でもありましたが、つもり積もった言葉だったのでしょう。でも正直、何の為に結婚をしたのか?と思えるぐらいの行動ばかりしていたのですから、この言葉で決定的に離婚が決まり!支え合う事が出来ない一方的な人に振り回され続けた私は鬱で通院中です。
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こんなにつらいって、思わなかったよ…。
不倫をしていました。冗談を言いあって笑い転げた後に彼女がポツリとこういいました。
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彼氏が死んだからって落ち込みすぎよ。
私の彼氏のコトが好きだった同級生に言われました。彼が事故で死んでしまいとても辛く、学校でも元気がでなく、友達がいつも慰めてくれたりしてたとき、その子に言われました…。彼氏が死んでしまって、もの凄く悲しくて、笑うコトさえ忘れてしまっていたケド、すっごく大切な人が亡くなってしまえば誰だってこうなってしまうんじゃないか、って思っていたから凄く傷つきました…。
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もうやめよっか
親に「もうやめよっか」って言われたとき、[何をやめるの?]なんて聞けなかった。けどまだ信じてる。親子に終わりなんてあるわけないんだから。
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あなたは一人でも大丈夫な人かと思ったから、特別何かをしなくてもいいと思った。余計なことすると悪いかなあーと思ったので…。
同性とお付き合いをして5ヶ月目、私がグループの人にいじわるをされたり、いじめられているのを見ても知らんぷりをする彼女に、私は思いきって「どうして何も言ってくれないの?何故助けてくれないの?」と言ってみた。その時に返ってきた突き放すような彼女の言葉がこれだった。結局この言葉をきっかけに私たちは別れました。今でもこの言葉を思い出すと悲しくて涙が出ます。
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今考えるとあなたのことが好きだったのかもしれない。今もその気持ちは変わってない。
僕には高校と予備校時代に好きな人がいた。最初はタダの友達だったんだけれど、お互いの悩みを相談しあったり、一緒に遊びに行ったりするうちに彼女のことが好きになっていった。告白もしたけれど、「今の関係を壊したくないし、○○は私の中で親友なんだよ。」と言われた。その後もいつか彼女が振り向いてくれるんじゃないかと期待しつつで親友やっていた。だけれどもお互い大学が決まり、簡単には会えない距離になってしまった。新しい生活の中で、だんだんと彼女を好きだったことを忘れ、本当の意味で親友と思えるようになったときに言われた言葉が上の言葉だ。それ以降彼女とは一回も話していない。何でかは自分でもよくわからないけれども話していない。もう彼女のことを親友なんて思えないからだと思う。かといって嫌いになったわけでもないんだけど、なんとなく話しにくい。男女の親友ってのは無理なのかもなー。
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触らないで、話しかけないで
中学の頃私が軽くふざけた時最も親しかった友達に言われた言葉です。その場では「酷いな~」と笑って見せましたが内心かなり傷ついて泣きそうになりました。今でも思い出すと胸が苦しくて泣いてしまいます…
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○○、アンタ見たら吐きそうになったんだけど。
学校で、手洗い場まで手を洗いに行った時に、たまたま友達に会って、その友達に言われた言葉。…1年のときからいじめられていて、「キモイ」とか「ブス」とか、そんな言葉を言われたり、学校のほとんどの人からは避けられたり…。そんな事が日常茶飯事となってしまった今の私に、グサリときた一言です。…私自身、その人のこと、あまり好きではないのですが、好きでない人に言われたからなおさら悲しかったです。5年の下旬頃から、人を信じられなくなってリストカットをしていました。その頃は、手首の所に少し針を刺す程度だったのに、この言葉がきっかけとなって、エスカレートしていって…彫刻刀で手首を切るようになりました。そして…今、不登校気味の私がいる………。「中学に行きたくない」、「行くぐらいなら家出でも自殺でもなんでもしてやる。」…そんな考えが、頭の中をよぎる事が多くなりました。何でこんな事言うの?何で避けるの?私、嫌な事でもした?顔あわせるのも歩いているのを見るのも嫌なくらい私のこと嫌い…?私…消えちゃえばいいの………?
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断る
小さい頃からずっとそばにおってくれた人がおって中学生になってやっと好きって気づいただから思い切って気持ち伝えたらこの言葉言われたもう少し優しい言葉があるじゃんっておもったでも、もう遅かった今では仲が悪くなって、もうメールもしてないアドも消したなんで気持ち伝えちゃったんやろ?告らんかったら今頃まだ仲良かったかなあ?
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私って、生きててもいいのかな?
親友Mと二人で塾の教室でお話をしていたときいきなりこの言葉を言われました。私がどうして?と聞くとMが「私みんなに嫌われてるから…。」と言い出しました。その瞬間、私は心が痛くなりました。Mの悪口をたくさん聞いてきたからです。その悪口の一言一言が私にはとても痛いものでした。そしてMが悩んでいたということにきづけなかったことも痛いものでした。私は自分が醜くみえました。だから、私は私の精一杯の想いで「私はMのこと嫌いじゃないよ。大好きだよ。」と言いました。Mには生きていて欲しい。死なないことを神に祈りました。
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前はもう、俺のこと好きじゃないんだろ?
そのとき、中学生だった私がうまく付き合えずにたったの4ヶ月で終わってしまった恋の話です。付き合い初めて1ヶ月半たった頃からだんだん会わない日々が続いていたある日に友達に誘われ、彼以外の男子と遊びに行ったのですが、彼にはバレていて、翌日「お前はもう、俺のこと好きじゃないんだろ?俺も飽きてたところだし別れよっか。」その時は、ショックで何も言えずに、結局そのまま終わってしまったのですが、ずっと好きでいた人からそんなこと言われるのはきつかったです。そして今でもその人のことが好きな自分が信じられません。
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貴方に介護は向いていない。
介護の仕事をはじめて、1~2ヶ月ぐらいだったでしょうか…突然呼び出され言われました。「情熱・熱意」全てを奪い取られました…介護福祉士を殺すには、情熱・熱意を奪い取るような一言が有ればいい。その事を学ぶには十分な言葉でした…。
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そんなにつらいんだったら、もういいから…。私が我慢すればいいことだから…。あなたがつらくって、苦しんでるのをみるのはとっても悲しいから。
この言葉は、言ったことにより、お互いが悲しくそして忘れることの出来ない言葉です。…この言葉を最後に別れようと思いました。でも、今はお互いがお互いをカバーしながらも一緒にいます。これは、付き合い始めて6箇月した時のことです。彼自身に人(女性)と付き合うという経験が少ないということもあったのですが(他にも彼の育った環境は常に男子校、中・高、一貫の学校で育ったそうです)今、現在も大学内に工業系の大学ということもあり女性の姿はまばらです。その為、恋愛関係に関しては彼自身から動かないことには全く関係のないところにいたということもあり、二人が付き合うことになったのも私から彼にアプローチをした結果でした。私には彼がすべてで、また彼以外に欲しいと思った人、物はありません。それは今も変わりませんがそんな私に普段はあまり自分のことや自分で考えていることを話したがらない彼が自分から話してきました。内容は今でも思い出せばつらいものです。彼が言った言葉は「…付き合い始めて6箇月、半年が立つけどやっぱり、わからない…どうしてそんなに自分と一緒にいたいのか?…一緒にいても何もいいことないだろう?」彼が自分の悪いところは認めていても自身の良いところは一切、認めたがらない変に頑固な考えを持っている人なのは以前から知ってはいたので、私自身、彼と一緒に居るときは常に彼の良いところ、私が彼を好きになった理由、などその都度、話していたりもしていたのですが、その度に彼はわからない…といった顔をしていたものです。でも、ここまできっちりした言葉で彼の考えていることを聞いたのは久し振りでした。私は彼にいつもの様に言いました。「私はあなたの考え方、行動、総てが好きだから一緒にいたいと思ってるし、それにいつもいろんな事をするあなたは私にとってとても新鮮なものがあるんだよ?いい子とだと、おもうけど。」しばらくは彼も黙っていました。それから次に彼が口を開いた時、はっきりいって私は悲しくなりました。「…大事にしていればいるほど、失った時の衝撃はとても耐え難いものがある。…哀しさはもちろん、寂しさ、孤独さ、そしてそれらが与える失望感と思いがけない程に膨らんでしまった虚無感…これらの感情を味わうぐらいなら初めからなければ味わうこともないだろう?」彼は死んでしまった魚の様に濁った目をしてずっと生きてきた様にみえました…。彼には私が常日頃、言葉にしてきた思いは一切、伝わっていなかったのです。それどころか私と付き合ったことによって彼は苦しみ、自分の中の葛藤と戦いながら私と一緒にいたことになります。私自信、彼が人と接する時、壁を隔てて、接していることは知っていました。でも、私はその壁を壊せると思って頑張ってきたのです。でも、やっぱり彼には無駄のようでした…。彼は自分がこんなに中途半端な状態で私と一緒にいるのは私に対しても失礼で侮辱にも値するとまで、言いました。彼が好きで大好きで私は接していたのに、彼自身はそんな風に考えながら私と一緒にいたのです。その言葉を聞いた時、私は自分を憎み、今ここで消えてしまえばいい!とまで思いました。私が彼を好きなことで彼を苦しめ、つらい気持ちにまでさせていた揚げ句、ここまで追い詰めてしまっていたんです。彼にとって私の存在は彼自身の理解をはるかに越え、かかえきれないほどの圧迫感を与えていました。彼自身に無い感情、考え方を持っていた私に対して彼自身がこのままでは、と思い話してくれたのは良くわかりました。彼は話しながら泣いていました。とても静かに…そしてどうしようも無い程、追い詰められているのも分かりました。だから、私が彼を好きなことを我慢し、私自身が自分の気持ちを殺してしまえば彼はこの苦しみから解放されると思い、この言葉を言ってしまったのです。私がどんなに彼を好きでいてもそれが彼にとっては、つらく、苦しいものであり、追い詰めている原因なのです。我慢するなんて絶対に無理と自分でもわかっている手前、とても哀しい言葉でした。溢れ出る涙を必死で堪え、笑いながら言いました…。その後、彼はそれこそ驚いた顔をしてそれからすぐにまた辛そうな顔をして私に言うんです…。私が我慢することはないって。自分がもっと私を受け入れ、自分の中にある考えを改めればすむことなんだから…って。とても嬉しくそして哀しいことでした。お互いがお互いを必要とする為にはここまでしてつらいものなのかと、思い知りました。そして、彼のどこまでも優しいその性格と心に私はやっぱりこの人が好きでこの人以外では絶対にだめなのだと思ってしまいました。
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みおって友達いなくなるタイプだよね
私は人と接するのが苦手で感情もなかなかだせないけど友達になってついつい感情をだしてたら言われました。自分でも性格悪いのはわかってるけど言われてすんごく悲しかった。
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あんた嫌われてるよ。
最初はこの子からイジメを受けてました。でもだんだんと仲良くなっていって、メールもするようになりました。この子がアドを変えたとき登録したなかったんで、メールが来た時「誰?」と送ったんです。そしたら「●だけどyじゃないの?」とメールがきて「yだけど登録してなかったからするね」と送ったら「死なされたいの?」ときて「あーごめんちゃんと登録するから」って送ったら「あんた嫌われてるよ」と…本とにショックでした。
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好きで結婚した訳じゃないし…もう死んだふりは出来ない。
先月離婚した妻より叩きつけられた言葉です。結婚して3年が過ぎた時言われてしまいました。キツイですね~。そう穏やかに言われたとき3年の月日と心のどこかが死んでしまったような虚無感に襲われました。
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どうせそれみて後で一人で笑うんやろ
私がデジカメで家族を撮っていた時に父親に言われた言葉です。多分父が変顔して撮った写真を私がなかなか消さなかったせいだと思うんですが、私は何年かたって今の家族の姿が残っていれば、みんなで見返した時に楽しいかな。と思い撮っていたのでそんな風に見えてたのかと悲しくなりましたし、人を撮るのが怖くなりました。もう人を撮ることは無いかもしれません。
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その顔やめなさい。
私は本当に仕事が出来なくて、いつも出来なくて、でも自分なりに頑張っていました。でも、その頑張りは他の人から見たら違っていたみたい。全然頑張りじゃなくて…。そして、この日、後輩よりも仕事が出来ないことを指摘されて、悔しくて悲しくて辛くて…。そんな思いを抱えていたら、上司から「その顔やめなさい」って言われた。本当にどうしたらいいかわからなくなった。顔を指摘するってどういうことなの?本当に悲しくて、悔しかった。
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次に付き合う人は、病気持ちじゃなくて健康な人にするよ。
付き合う前から病気の話をしていた。それでもいいと言ってくれた。そのためにとても辛い思いや、気遣いをたくさんせてしまったよね。でもそれは私も同じだったんだよ。私も必死に頑張ったんだ。自分を安定させようと。あなたに少しでも心配をさせないようにと。あなたの前で少しでも笑えるようにと。少しでも元の私に戻ろうとしていたんだ。何気なくふと出た言葉だったのだろうね。それでもたったその一言。その一言はそれまでの努力を打ち砕かれた気がした。その一言はそれまで持ち続けていた負い目を再び呼び覚ました。その一言で私の心は暗闇に堕ちた。私はその一言を忘れられない。だってきっとそれは、あなたの心のどこかにずっとあった言葉だろうから。
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想い出なんて、時がたつと本当以上に美しく心に残るから人は惑わされる。
「なんでああなっちゃったんだろう」なんて思ったり、結ばれない事がとても美しく思えてしまいますよね。でも、この言葉のお陰で、「目の前の小さな幸せの美しさ」にも気付くことができました。哀しいけれど、好きな言葉です。
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ぜったいいい人見つかるよ。
その人を1日で好きになったのに、次に二人になったときにこういわれて、悲しかった。
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遅いよ…。
昨日友達に言われた。今も自殺しようとしてる友達に言われた。みんな彼を頼って、親も頼って、彼の苦しみなど目も向けていなかった。ある人と約束したから日曜まで生きると言っていた。そんな彼に「もっと理解しようとするから、助けようとするし、自立もするよ。もっとみんなで支えるから。またみんなで遊ぼうよ。」そう言ったせりに彼が言った言葉。明日彼に生きてもらうために彼の元に行きます。助けられなかったらと思うと怖いです。
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うるせーなあ。リンゴが落ちただけでひらめいちゃうような電波系に、ついていけるか。
高校生時代、科学部に所属していた僕は、その発想力と、詮索力で、「生きるニュートン」と呼ばれていた。この言葉は、当時、科学部の友達に言われた言葉です。その時知った。彼の顔を見て。彼は、僕と同じように科学を愛していたが故に、僕に嫉妬していた。いつも隣りで楽しそうに実験をしていたが心の中では悔しさを抱いていたんだと。僕はどうすればいいのか分からなかった。そして、僕には科学だけが残った。でも、一緒に研究をしてきた大事な友達を失った。悲しみはあったが、僕はせめて科学だけは誰よりも愛することで、その過去を納得させている。
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本気の愛じゃなくていい、傷を舐め合う愛でいい。
昔の話を友達としていた時に言われた言葉です。聞いた時、言葉そのものもそうですが、この言葉を否定できず、納得してしまう自分がいた…。それが…言いようも無く、悲しい…。
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お前とは結婚したくないな!絶対無理!
付き合っている彼氏から言われました。私は彼の前では一人の人間ですらないようです。
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あんたがいなかったら私は、もっと幸せだった。
親しい子ではなくあまり関わりの無かった子だったのですが、その子はなぜか私に敵意を剥き出していて嫌がらせもたまにあって、私は気にしなかったのですがある日、学校の帰り道にこの言葉をすれ違いの際に言われ、その日からずっと自分の存在について考えてしまいます。
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あんたは心の底を話してくれない。
この言葉は、居候させてもらっている姉から言われた言葉です。春から二人で暮らし始め、最初の頃は、毎日のように夜中語り合っていました。姉と私は、表面的には全然違うものの、底の方では似た考え方をしており、お互いの考えを話し合うのが、楽しくてしょうがなかったのです。ですが、姉は深酒をすると、普段よりもっと感情的になり、意味のわからないことを言ったりします。また、自分の事を全て出すし、相手にも、全てをさらけ出す事を要求します。私は今まで自分のことをそんなに出す方ではありませんでした。それでも姉には、自分のそのときの精一杯の自分を出してきたつもりです。それなのに、ある日、姉が搾り出すように泣きながら、こう言ったのです。私はものすごく悲しかったです。姉も、すごく悲しそうで、姉にそんな思いをさせていることも悲しかったです。姉は私に、これ以上何を要求するのか。私は姉を悲しませることしかできないのか。今は、あれは酒の席だったのだから、と気にしないでおこうと思うようになりましたが、あの時の痛みは、心の中に残っています。
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男に縁切れって言われたから、今日で、あなたとは縁を切る。
これは、私の元親友(結婚している)が、不倫をしていて、初めは私と友達は距離を置いていたけれども、お互い助けあってきた仲だったから、私と友達は仲直りしたのに、友達の不倫相手から、私とは縁を切れって言われたらしくて、一通のメールが、その内容です。簡単に友達以上の関係だった、あたしと友達の関係を、不倫相手の一言で終わらせられ、やるせない気持ち、心の底から悲しかったです。それっきり、すれ違ったりしても、友達は私の事を無視してます。私は今でも友達って思ってる…。
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私、あなたと仲直りできるかはわからない。
中学の時に私を裏切った元友達の言葉です。私だって仲直りできるかなんてわからなかったけど、とにかくすごく悲しかった。裏切られたけど、嫌いになりたかったけど、私はその子が大好きだったから。
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これ以上あなたを傷つけたくない……。別れたほうがいいね…。
3年間ずっと想い続け、やっと二人の心が通じあった…。なのに神様はイジわるで俺達は愛し合ってるのに、なかなか会う機会がない上、かみ合わずいつも空回り。そんな時間が続き、彼女に言われたのがコノ言葉。俺は別れたくなかった、だから必死に抵抗した。そして、どうにか彼女を失わないで済んだ。その日からはできるだけ二人でいられる時間を作って…、多分もう俺達は大丈夫だと思う。会えない日が続いて、くじけそうになったら思い出すんだ。あの日味わった「死ぬかと思うほどの緊張感」と、「泣くたくなるほどホっとした」あの気持ちを…。
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テスト前だからって、アンタ勉強なんてしないじゃない。
あなたの知らないところでしてますって、言い返したかった。でも成績は良くならなかったし、上の言葉を聞いて反抗する気力も無くなった。次のテストで見返してやるよ。
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水曜まで同じクラスって気づかなかった。
私の通っている塾で好きな男の子に言われてしまいました…。中学最後の学年でやっと同じクラスになれて嬉しかったのに…。「ひど~い!!なにそれ~」とか言ってごまかしてみたけれど内心傷つきました。あとで謝ってきたけど、なおさら辛かった…。
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あんた覚えてる?全国で最下位だったんだよ?
中学一年生の時に母親から言われた言葉です。その頃の私は学校生活が上手くいかず、心が病んでいました。そんななか、とある通信教育のテスト結果が全国で最下位でした。自分が悪いのですが、その時マークシートのテストを適当に埋めてしまったんです。病んでいましたから何もかもどうでもよくなってしまったんです。しかし、数年たって、普通の高校生活をてにいれ、大学受験を頑張ろうと思い、勇気を出して母にまたあの通信教育がやりたいと言ったところ、この言葉が返ってきました。あの頃の傷をえぐられるようですごく悲しかったです。
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嫌いじゃないけど...。
付き合っていた人に振られたとき言われました嫌いじゃないって事は好きでもないって事で...。遠まわしに言う彼の優しさが余計つらかったです...。
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私なら探すのに…。
当時付き合っていた彼がいてその人と同じツアーに参加した。そのときはディズニーランドに行ったのだが、別行動になってしまった。そのときはずっと彼のこと考えていて、一緒にいれたらな…と思ったけど、探すのは大変だし友達に迷惑がかかるので我慢していたのに、そこのなかで友達にこの言葉を言われ、かなりショックでした。
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待てないよ。4年間も待てないよ…。
俺が18、恋人は22。転勤になる彼女を収入のない自分は止めることができませんでした…。大学でたら迎えに行くつもりだったのですが…。彼女は泣いているのか、顔を下に向けていました。
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もう母親やめたい
最近、母に言われた言葉です。ちなみに私は中学生です。私が小さい頃に両親は離婚して、母は私を女手一つで育ててくれました。やはり一人では辛かったようで、この言葉を言われてしまいました。涙が止まりませんでした。思っていても、言わないでほしかったです。
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アナタは周りを不幸にする。だからいつも一人なんだよ。話したくないし、顔も見たくない。
ずーっと昔に恋人にいわれた。でも正解。今の俺には何もないな。何も…
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ずっと好きだった。どうしようもなく好きだった。
この後も続いたのですが…全部過去形だった…。このときにはじめて気持ちの整理がついた。もう逢ってはならぬ人とわかった。でも昔感じたことは一緒だと思いたい。
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こんなクラス見るのいや。
私が小学校1年の時、担任が事故でなくなり、その後任として来た先生に言われた言葉です。当時私のクラスは学級崩壊と言われる状態で、持ちたくないクラスではあったと思います。担任を亡くし、まだ皆が悲しんでいる状態でこういうことを言われたので、非常に傷つきました。そしてその先生は本当にやめてしまいました。その後、小学校の卒業式に呼ばれましたが、当時のクラスメートは誰も挨拶しませんでしたし、クラス会も当然無視されています。
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…………お母さんを大事にな…………。
あの時小学2年生だった僕には、これだけしかわからなかった。父が亡くなる数日前、いつものようにお見舞いに行きなんとなく時が過ぎるのをただ待っていた僕。その時父が家族に何かを告げようと口をモゴモゴとしていたのを、母が気ずいた。僕は、父の隣に行き、父の口元に耳を近づけた。とても衰弱して、痩せ細っていた父が何やら言葉を言っているようだったが、僕には父が何を言っているのかわからなかった。でも最後に一生懸命にゆっくりと言った言葉が、「…………お母さんを大事にな…………。」これだけしかわからなかった。その日の数日後の僕の誕生日の三日後、父はなくなりました。でも父さん、あなたがあの時言おうとした言葉は文字や言葉ではうまく表現できないけど、でも今わかる気がします。短い時間だったけど、僕を育ててくれてありがとう。まだあなたが元気だった時に僕を肩車してくれてありがとう。今でも目を閉じると鮮明にそこから見た景色を思い出します。
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「ゆうな、悲劇のヒロインぶるじゃん」
信じてた大好きだった友達に言われた言葉。少し喧嘩になったとき言われた言葉自分を攻めたけど、ヒロインぶったわけじゃないのに…。涙が止まらなかった。
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○○ちゃんは早くいい人見つけてお嫁に行こうな。△△ちゃんは頑張って勉強して、自分の力で生きて行くんやで。
中3の時親戚の人に言われました。○○ちゃんは私と同じ年の女の子。かなり可愛くてエスカレート式の女子校に行くことが決まってました。方や私はお世辞にも可愛いとは言えませんがとりあえず成績はよかったのです。顔のことにすごいコンプレックスのある私にとって、とてもつらい一言でした。やはり他人から見てもそうなのかなって。事実、○○ちゃんはとても早く幸せな結婚をし、私はいまでも働いています。結局オンナは少し頭が悪くても可愛いほうが勝ち。ニコって笑うだけで幸せを得ることができるような女の子に生まれたかったです。
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おばあちゃん、紫色が好きだったから
先月、曾祖母がなくなりました。三年前に脳梗塞で倒れて以来、何度も生死の境を彷徨ってとうとう息を引き取りました。曾祖母の葬儀で、僕はきっと泣かないだろうと思っていました。曾祖母にとって僕は初曾孫で、兄弟や従兄弟の中で一番長く可愛がってもらったのも僕でしたが、けれどきっと泣けないだろうと。あまりにも死というものに現実感がわかなかったのです。出棺の際、おばさんがこう言って紫の花を沢山お棺に入れました。旅立ちの装いも紫の服にしたと言いました。僕は、曾祖母が紫色が好きなことを知りませんでした。兄弟、従兄弟のなかで一番長く接してきたというのに、僕は曾祖母の好きな色さえ知らなかったのです。もう何も曾祖母の口から聞くことは出来ない。改めて僕はそれを実感しました。もう何も話すことも出来ないのだと。もう何も知ることは出来ないのだと。人の言葉で初めて、僕は死を実感することが出来たのです。それが途方もなく悲しく、同時に申し訳なくて、きっと一生忘れることは出来ないだろうと思います。
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ごめんなさい。本当にごめんなさい。
いきなりの別れでした。すごい好きなのに。いろんな理由をいわれましたが、やはり彼女は友達としかみれないそうです。
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あんた、外での評判どんなんか知ってんの?仕事が遅いて有名やねんで。あんた○○(転勤先の一つ)に行きたいて前に言うてたけど、そんなんで歓迎されるとでも思ってんの?あんたが来てくれて嬉しいて言う人誰もおらんで。
1年ほど前に仕事の相方さんに言われた言葉です。今回の人事異動で、前に一緒にお仕事させて頂いていた相方さんと代わる形で転勤して来られた今の相方さん。仕事でミスをした時にネチネチと嫌味に取れるような言葉が続く中で言われました。自分が悪いのは重々承知しているけど、そこまで言わなくても…とムカッと来たのと同時に、うちは誰にも必要とされてへんねんなあ…と痛感しました。その後もミスが続き、ストレスに耐え切れなってしまって、現在は適応障害からくる鬱状態として病気療養中です。1年間休ませてもらいそろそろ復帰する予定ですが、相方さん始め、同じ職場の人全員が敵に見えてしまって復帰するのが怖い状況です。
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お前の存在は俺にとってプラスにならない。俺はプラスにならないものは関係なく切るから。
半年付き合っている彼氏に言われた言葉です。遠距離なのでメールで言われたんですが、めっちゃ好きだからすごくショックでした。今この理由で距離を置いているけど、絶対振られると思います。こんなに泣いたの初めてと言うくらい泣きました。ほんとに別れたくないです。
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プッ…馬鹿の馬鹿による馬鹿のための馬鹿らしい発言ねー。
僕が好きな人に思い切って告白したときに返ってきた言葉です…ちょっとかっこいいセリフがいいかなと一生けんめい考えたセリフで告白したら…この言葉を言われてしまいました。どーやら彼女はジョーダンだと思ってこの言葉をいったよーですが、ほんとに悲しかったです。
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悪いのは全部俺だから。お前は何も悪くない。ごめん。
大好きで結婚の約束をしていた彼とうまくいかなくなり、悩むのに疲れた私が別れたい、と言ってしまった時の彼の言葉です。私は、彼は何も悪くない。私が全て悪いと思っています。最後の彼のこの言葉を思い出すと切なくなります。
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不倫される方が悪い。
もう今は離婚しましたが、少し前までは私には夫がいました。でも、信じていた夫が不倫。私は怒りを絶望で夫に攻め寄りましたが、夫は平然とした顔でこの言葉を私に言いました。それからは私は男の人を信じていません。私は一生懸命、夫に尽くしてきたのに…。
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そんな好きって言われたん初めてや。俺からは何とも言えへん…。
……どうして?…絶句。生まれて初めて人生のどん底というものを味わいました。うちのほうが何とも言えへんかったし。でも、一生忘れられないだろうなあ~。
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もし私が死んだら、〇〇はすぐに健康な新しい彼女作るんだよ。そうじゃないと安心して天国行けないよ。
亡くなった彼女に言われた言葉です。病弱な彼女はいつも入院してました。幼なじみでもある私が学校に行けない彼女の話し相手でした。彼女と付き合うようになりました。学校をサボってまで会いにくる私を彼女はよく叱りました。「私が死んだ後のことが心配だよ」彼女は私を叱る時にいつも口癖のように言っていました。そしていよいよ彼女の死期が近づいてきました。現実を受け入れられない私に向かって彼女は戒めるように言って、五日後に息を引き取りました。今では新しい彼女にも巡り会うことができ、幸せな日々を送っていますが、時々彼女に成長した自分を見てもらいたくなります。
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ごめんなさい。許して下さい。
かなりひどいイジメを受けていて、勇気を持って担任の先生に相談した時に言われた言葉です。先生って信用できないんだと思ってしまいました…。本当に悲しかった…助けてくれると思ったのに。
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kanariyaさんって、本当に人の話聞かんね。
病院の介護職に就いてまだ半年。資格もなく知識も乏しいまま、ただ必死に仕事の流れを覚えて与えられたことをこなすのに精一杯で、もう半年も経つのに指示されてから次の仕事に移る状態。本当はもう慣れていて、次どんな仕事をしなくちゃいけないのかもパッと判断して動けれるようになってて、周りの職員さんのフォローにも入っていかなくちゃいけないのにそれがまだ出来なくて…。しようと思っていた仕事を忘れてしまうことが多く、うっかりしていたり、しなくちゃいけないことよりも他のことをしてしまったり…。自分でも呆れるくらいトロイという言葉がぴったりで、仕事するたびに自信を失っていきました。周りの人から何を言われているのか、大体想像もつきます…。そんな自分がずっと悔しかった。学生時代のアルバイト先でもそれがひっかかるばかりでテキパキ働けない自分を変えていこうと努力してみたけど変わらない。仕事が始まる前には必ず(今日こそはテキパキ要領よく動こう!)と喝を入れて出勤するもののいつもと同じく変わらない自分…。伝達事項も頭に入れてメモして、それでも行動に移すときには“うっかり”してしまう。そんなとき先輩の職員さんに言われた一言です。【本当に】という言葉が出るということは、やっぱり前々から思ってたんだなあと、もう全く自分に自信がなくなりました…。中卒・高卒ばかりの人が働いている中、自分一人大卒なのに何も役に立っていない、それどころか周りに迷惑をかけていることが情けなく、(社会に出て役に立ちたい)そう思って働き始めた私は、いつしかいつ死んでもいいと思い始めました…。
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☆僕もちょっと今は抱えきれないやみゆだけが今生きることに嫌気が差してるわけじゃないから
あたしだけが辛いわけじゃないってことぐらい分かってる誰も抱えてなんて言ってないほっといてくれたらいいよけどね…少しくらいホントは安心する言葉を言ってほしかった…ごめんねこんな我侭な彼女で…
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あんたなんか生まれやん方がよかったわ。
とにかく悲しかったです。親とケンカをして真剣に言われました。そんなの冗談だろって思うけど、すごく傷つきました。親に言われるなんて思ってなかったので…信頼している人に言われて辛かったです。いっぱい泣きました。
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お前ってホント地味だよな。
隣の席の男子に言われた言葉です。しょっちゅう言ってきます。私だって頑張ってるのに、言われたとき悲しくなりました。
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このまま俺は○○と付き合ってたら結婚する。
2股されてでも好きで付き合ってた彼氏に喧嘩したときにいわれた言葉。2年も付き合ってた彼女だからか、あたしのことが本気じゃなかったのか。もう幸せになれない、そう思い別れる決め手となる言葉でした。この言葉は忘れられない。
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出会うのがもう少しだけ早ければよかったのに…。
ありがちな言葉なのかもしれませんが、知り合った10歳以上年上の女性に言われました。愛しあった後に…。今の生活があるから出会えたのだろうけどその言葉を私は否定できませんでした。
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自分の親のありがたみが一番分かるのは親が死んだ時だ。
バイトの先輩に「一人暮らしをすると親のありがたみって分かるっていいますよね?」って言ったあとに返ってきた言葉。ジ~ンときたね。
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君以外の人にも魅力を感じてしまう…。
彼に振られた時の言葉です。私に魅力を感じなくなってしまったと言いたかったのでしょう。とても悲しく、1番近くにいた人が1番遠くになってしまった瞬間です。
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あなたの優しさが人を傷つけるからみんな離れて行くんだよ!
元カノとか友達に言われました。それから全て失って、時間も止まったままです。
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ほんとにごめんな。
好きと告げたのは私なのに。別れを告げたのも私なのに。彼を傷つけたのも私なのに。彼は最後までずっと謝ってばかりでした。彼のことは本気で好きで本気で惚れていました。でも合わないなと思ったから振ってしまいました。思い出す度に切なくなる。彼はなにも悪くないのに。今では少し後悔しています。私の方こそほんとにごめんね
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○○と結婚するなんて、想像すると笑ってしまう。
友達の何人かと一緒に雑談していて、当時大好きだった人から言われた言葉です。その人と私の仲がとても良いことを友人達がひやかして、「結婚すればー?」とからかわれた時にその人が言ったのです。そんなこと絶対に有り得ないから、想像しただけで笑えるくらいだ、というようなニュアンスだったと思います。笑いながらそう言われ、つい私も「何それー?」と表面上は明るく返したのですが、かなり悲しかったです。その人には以前告白した事があり、その後も何回かアプローチした事があったので、当時の私の気持ちはわかっていたはずなのに…。私に対するけん制や、皆のひやかしを鎮める意味もあったのかもしれませんが、その表現にとても悲しくなりました。笑ってしまうなんて、私が道化者みたいに言ってもらいたくなかった。もう少し、表現に気をつかって欲しかったです。
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こんな仕事、いつまで続けてるの?友達に言いづらいしさ、俺が恥ずかしいんだよ。
5年程前、当時付き合っていた人に言われた言葉です。当時私は前職とは全く関連の無い、デスクワークではない仕事へ転職したところでした。私自身は前向きに取り組んでいたのですが、当時の彼氏はいわば職業や出身地等で、ある程度の差別が根強かったようです。これを聞いて、サーっと潮が引くように自分の気持ちが、冷めていくのが分かりました。この無神経な一言が今も忘れられません。
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かわいいからって生意気なのよ。子猫気取りの化けギツネ。キツネごときが調子にのらないでよ。
私には、中学生の時、一人の仲のいい友達がいました。その子にはすきな男子がいました。でも私は、そのことを知りませんでした。そして、その男の子がある日私に告白をしてきて、私は軽い気持ちでOKと言いました。それを知ったその友達が私に言ったのがこの言葉です…それからはいくら話しかけても返事をしてくれないばかりか目も合わせてくれません…彼女の最後に放ったこの言葉が今も忘れられません。
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まだわからへんやろうなあ。子供なんやから。
その時、私の両親は仲があまりよくなくて「離婚していいか?」って親に言われた時に、私はとっさに「嫌!」って言いました。小6で、確かに子供だったけど、あの言葉は4年たった今でも忘れられません。子供なりにわかってたんだけどね、離婚とか、別れるとか。結局離婚して、私は母と姉と3人で住んでいます。
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好きなのに別れることってあるんだね。
5年前に4年間付き合っていた彼と遠距離恋愛の末に別れた。そのとき私はもう彼が自分のことを好きではなくなったのだ、遠距離だったら仕方ないのかな、と思い、まだ好きだったがお互いに新しい恋人ができたために連絡を取り合うことはなかった。それが最近ふとしたことから連絡を取るようになり、その中で彼はあれからもずっと私のことが好きだったということを知った。そして別れた当時の本当の気持ちを知った。そのときに言われた一言。「好きな人はやっぱりそばにいなきゃって思った。そう思ったらお前の今の彼氏に俺は完全にその点で負けてたから、新しい彼氏ができたって聞いてもお前のためを思うと何も言えなかった。」私はそういうことも含めてあの時期に彼が何を考えていたのかを知りたかったし、正直に話してほしかった。
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おまえは家を買うために生まれてきたんだ。
実の父が愛人を作ってから2年くらいたったときの家族会議で言われました。やっぱりこの人は、私の本当の父ではなかったという思いがこみ上げました。他人だったら、どんなに楽か……。自分は生きている価値がない、存在しなければ良かったという気持ちとやっぱりな……というあきらめの気持ち。この世にはやっぱり希望がないんだなという気持ちが強かった。今はこんなやつ気にしてたら生きていけないという気持ちで見返してやろうと思っています。(いまさらではないので)でも、この言葉で愛情がないのがよく分かりました。
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好きだよ。
この言葉は私が小学生のときに祖母の家の近所の男の子から言われました。その子とは休みになるといつもあそんでいました。そして突然この言葉をいわれました。いわれたときは困ったけれど彼が走っていってしまったあとで嬉しいという気持ちがこみあげてきた。明日「わたしも」と言おうとおもった。だけど家に帰って部屋でテレビを見ているといきなり電話がかかってきて「ここあ愛してるだから俺が死んでもなくなよ」といわれた。電話が切れた後私は自殺するんじゃないかと思って急いで家を飛び出した。さがしてもさがしてもみつかりませんでした。私は見知らぬ公園で一人泣きました。悲しくて悲しくてもうしにそうでした…。そして翌日彼が自殺したことがわかりました。そしてその日から私は、人を好きになったり、嫌いになったりすることができなくなりました。もし死んでしまった彼に一言いえるのなら「私も好き。」といいたいです…。
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俺、これ以上お前の事幸せにできひん…。
この言葉はねっ彼氏に言われたの…。「俺、これ以上お前の事幸せにできひん…。」って、そんなの傍にいてくれれば幸せなのにって…思ったね。悲しくて、何も言葉にできなかったのを覚えてるし、言いたい事言えなかったのも覚えてる…すごく悲しかったんだ。
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お母さんと、同じ病気になってはいけないよ。
私の母は、9年前に他界しました。糖尿病から始まり、沢山の病気をかかえ両手片足を切断しないと、ひどくなっていく病気でした。母が、最後に言っていた言葉です。
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「お前のそれ、演技だろ」
私はとことん要領が悪くて、前いたバイト先でも全然上手く動けませんでした。でも、店長さんが優しい人だったので、何とかやってこれていました。しばらくして、当時の店長さんが異動になって別の店長さんが来たのですがすごく身勝手な人で、適当に近くにいた人を突然説教したり(ピークで忙しいのに)心無い言葉を平気で吐いたりする人でした。それで、私がまたどん臭いことをしてしまった時に、叱られてしまって、反省しなきゃと思ってしょんぼりしてたのですが、その時に上の言葉を言われました。それから、「そうやって悲しい顔してれば許して貰えると思ってるんだろ?」とも。そんなつもり全然無かったのに。その言葉が原因で、自分が誰でどんな人間なのかしばらくわからなくなってしまい、これ以上ここにいたら本当に心が壊されてしまうと思ってなけなしの勇気を振り絞ってバイトを辞めたい旨を店長に伝えたら、「(私に作業を教えてきたことに対して)俺の貴重な時間を無駄にしやがって。一生うらむからな」とまで言われました。未だにこのバイト経験はトラウマになっていて、今も人と向き合うのが恐くて仕方ないです。きっとずっと忘れられない言葉だと思います。
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駄目だよ、そいつに映画とかの話したって通じないもん。
修羅場中(笑)に、ふとした事で当時の恋人が(一緒に入ってました)会話のやり取りの中でいった言葉。…確かに私は、映画とかあまり見ないから知らないし、TVさえもあまり見ないから情報には疎いと思ってる。自覚もある。でも、だからってそんな風に言わなくてもいいじゃない…って思った。その時の私は笑ってごまかしたけれど…心の中では、泣いていた。
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「悪いお母さんでごめんね」
私がお母さんに「みんなのお母さんなら○○なのに…」なんで?とお母さんに問い詰めてしまって、そしたらお母さんが「悪いお母さんでごめんね」と言いました。私は涙が止まりませんでした。
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じゃあ。帰るわ。
別居したいと言われ始った別居後、初めて主人が用事で来ていて、戻って行く時、「じゃあ。帰るわ。」と言われた。涙がぼろぼろ零れ落ちたのを覚えています。
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もう二人で会うのは終わりにしたい。
「もう終わりにしたい」優しくて従順な彼女からその言葉が出るとは思ってもいませんでした。それだけ僕は傲慢になっていたんだと思う。彼女の仕事の事、理解できなくてごめん。浮気してごめん。偉そうな事言って約束果たせなくてごめん。因果応報だと思う。自分は最低な人間。一番大事なものを失くしました。
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子供なんて、産むんじゃなかった。
母親と大喧嘩した時、母がぽつりと呟いた一言です。その瞬間、なぜか母が遠い存在に思えて涙が出ました。それでも、私は母を愛してます。
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俺ら始まりも終わりも、もう初めから運命で決まってたんやから仕方ないやん。もう泣かんとき…。
2年付き合っていた彼氏と別れる時に、彼氏が私に泣きながら言った言葉です。別れの原因は、私のうつ病が原因…。彼はそれでもずっとそばにいてくれると言いました。自信がなかった…。ごめん、そしてありがとう。こんな私の為に泣いてくれてありがとう。
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昔の女なんか知らない。
元カレが忘れられなくて大好きで…だから友達に頼んで告白したら言われた。約束とかずっと一緒って言葉は全部が嘘だったんだね。バイバイより辛い言葉。
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葵ひとりが頑張ったって、意味ないよ。
それは中学のときの体育の授業で、バスケの試合をしていて言われた言葉です。相手が強いチームだったこともあり、私達のチームは完全におされていました。けど、負けたくなかった私はなんとかしてボールをとろうと必死になっていると、同じチームの友達が言いました。「葵ひとりが頑張ったって、どうせ負けるんだから意味ないよ。」言われた瞬間、体から力が抜けました。なんとなく分かってはいたその言葉。私だけが頑張っても何も変わらない。けど、何もしなければ何も変わらないのでは?と、思いはしたものの、現実はどうかと考えました。自分が無意味だと思った言葉でした。
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俺、もっと強くなるから。だから、泣かないで…。
私が彼を想って泣いた時、彼が言った言葉。彼は私より10も年上でしかも病気を抱えているというのに私が弱いばかりにいつも彼は私に色々な言葉をかける。自分の事で悩んだり苦しんで大変な彼にこのような言葉を言わせてしまったのが凄く悲しいし自分自身が腹立たしい。自分が強くならなければと思った。
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あんたがいるからお母さんはこの家を出ていけへんのや。
小学生の頃母に言われた言葉です。私はいない方がよかったんや。いなくなったらお母さん楽になれるかな?真剣にそう考えました。今考えると、母はものすごく辛かったんだと思います。それを分かってあげられなかった私。ごめんね。
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妄想に使ってくれてもいいけど、リアルには興味ないから
いつも相談に乗ってくれ、何を言っても引かないと言ってくれていた同性の友達を好きになってしまい、隠し続けるのも辛くなっていました。きっと理解してくれると信じてバイセクシャルであること、好きになってしまったことを告白した時に返ってきた言葉です。それから、互いに避けるようになり、もう半年近く話していません。特別な関係を望んでいたわけではなく、友達のままいたかったのです。今は彼女にも好きな人ができ、幸せそうにその事を周りに話している姿を見るたびに思い出して辛くなります。
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私は何も要らないよ…。
今までたった一人、本気で恋をした相手との別れ際、僕からの最後の問いかけに、彼女が答えた言葉。
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ありがとよ。俺の留守を守ってくれて…。
この言葉は…僕の心の芯まで響きました…。僕は18歳だった頃、大親友がいました。高校卒業後、彼はドイツに留学すると言い、5年間留学し日本に帰国しました。しかし、彼が日本で見たものは…。僕と彼の彼女が交際をしているという事実でした。彼女は彼が帰ってくるまで待っていると約束をしていました。僕もそれを知っていました。しかし、ちょっとしたきっかけでその約束は砕け、いけないと知りつつ、僕は彼女と交際しました。彼が日本に帰国し、僕に最初にいった言葉が、この言葉です。……その後彼とは会っていません。
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今日は空が青いな…。明日も…こんな日が続くといいな。
中学校卒業式の日の下校の時。僕がある親友と帰っていた時その親友が言った言葉です。彼は親の都合で遠くの高校に行ってします。だから、もう下校はもちろんのこと授業をいっしょに受けることも、いっしょに遊ぶこともできなくなってしまいます。とても悲しかった。そして、この言葉を言っていたときの彼の切ない横顔を忘れられません。
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これから死に行こうか。
幼い時に深夜、車の中で母に言われた言葉。悲しかったし、怖かったです。あの時私が「うん」と言っていたら、今頃あの世行きだったかも……。
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そんなの私に関係ないじゃん。それはあんたの勝手でしょ!?
その日は親友と思っていた子と、遊ぶ予定でした。小学5年生は、彫刻刀で版画を作るとゆう図工の授業があるのです。版画大好きで、張切りまくり。でも、なんだか張切りすぎのようで、左手の中指をザクッといってしまいました…。クラスのみんなは別に同情を求めているわけでもないのに「大丈夫!?」「保健室!保健室!」といっぱい心配してくれて、とても安心できました。保健室に行くと、消毒もしてもらってバンソーコーもはってもらいました。保険の先生は、「家に帰ったら、ゆっくり休んでなさい」とのこと。「…あ!!」ふと思い出しました。「今日は親友のHと遊ぶんだ」って。帰り道、Hと一緒に歩きながら、私は、Hに「私、彫刻刀で指ザクッときっちゃったんだ…」と言いました。…すると、Hは、「あっそ。」と言うのです。悲しくなりました。もうそうゆうことが何回も続いていて、なんだかだまされているような気がして、「Hは私のこと全然分かってない!信用してないんでしょ!?」とゆうと、もともとのきつね目で私のことをにらみつけて、ただ無言。「ねえ!!」と私はしつこく聞きます。やっとHの口が開いた…けど、それは、親友とは思えないほど、冷たく、悲しい言葉でした。「そんなの私に関係ないじゃん!それはフーチに関係することであって、私にはぜんっぜん関係ないじゃん。んなの私にもとめられても私なんにもわかんねーしー。」それは、深く心に残りました。大人になるまで、私には忘れられない言葉になってしまいそうです。傷が癒えない限り、私はその傷をなぐさめながら生活していくと思います。それに、小学生で本当の友達なんてみつからない。もっと大きくなれた頃には、自分を信頼してくれる本当の「友達」が見つかるんだと思います。
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もう好きじゃない。別れようぜ。
あなたは投げ捨てるように言ったね。悲しかったよ。苦しかったよ。今まで頑張ってきたものが全部崩れる感じで…。でも、私もあなたを苦しめてしまったんだね。お互いを信じる前に、私達は一緒になってしまった。早すぎたね。そして、遠すぎたね。もしあなたが私の家の隣に住んでいたら、もっと優しくできた。もっと素直に抱きしめてあげれた。そして、あなたを信じれた…。そしたら私はあなたをもっと愛せたのにね。そして、あなたも私を愛してくれただろうね。頭の中ではあなたはそのレベルの人だったって分かるの。友達もみんな「海はがんっばった」って言うよ。でもね。。。あなたが恋しいよ。あなたが私の求めた愛を持ってないとしても、私はあなたが恋しいの。どっちに責任を擦り付けることはもうやめよう。そしていつの日か、あの優しい笑顔を見せてね。初めてあった時のようなあの笑顔を。そして友達に戻れることを、笑って話せることを祈っているよ。さようなら。
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「自分が死んだら次は何に生まれ変わるだろうか?動物?植物?外国人?日本人?自分はエンドレスでいられるだろうか?未来を考えるのはこえぇよ…」
友達が病院で言った言葉です。友達わその次の日息をひきとりました…。
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説明できない
母は、ただひとりの兄が意識不明の状態なのに私に黙っていました。私に話すと泣き崩れてしまうからという風に義理の姉には語ったようですが…。なんとか状態は回復にむかってきつつあるものの私には知らせまいとした母の気持ちがわかりません。同じ屋根の下に住んでいるのに。母は兄のことがもの好きだったので、兄ではなく私がそういう状態になればよかったと思っているのでしょう。とにかく一緒に住んでいても私を頼りにはしない母なので。
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「津柚には、無理。やめておけ。人には向き、不向きがあるんだよ?」
応援団長をやると言ったときに母に言われました。うちの学校は、応援団長には男子も女子も立候補します。それで、私はもともとリーダー質のようで、キッパリしてる性格でもあり、友達や先生にすごく進められて、立候補しようと決意しました。この言葉を聞いて本当に悲しくて涙がこみ上げました。母は自分と私を重ねすぎなんです。本当の私なんて見ようともしてくれません。
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あの私、恋する気ないですから。
高校生活の最後…卒業式が終わった後に、三年間思い続けて来た憧れの「あの子」に告白したら…この言葉をつきつけられた…。初めて心がキュンっとなって痛むのを感じた…。
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死ぬほど努力したことってあるの?
最近一番仲の良かった友達と仲があんまよくなくなってぎこちないまま一緒にいて友達はあたしのバカさに呆れててあたしもこんな自分が嫌でその子にはきっと分からないだろうけどあたしはあたしなりに努力しててそんなときに言われた言葉がコレです死ぬほどなんてないけどあたしなりの努力はしてる…今でもその友達とはぎこちないままです…前はそんなことなかったのに…
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すきやったよ。
彼が冷めてるのがわかって、あたしから別れを告げた。当たり前にあたしはまだ好きやったのに、メールで言葉を交わしていくうちに、彼からこの言葉が出てきた。もう、戻れないと思った瞬間でした。
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「明日何とかするから、安心して!」
これは友達が言った言葉だった。もとから友達でそれなりにうまくいってたんだけど、クラス替えの時その子が私から離れて行ったんだ。友達はこのクラスでその子しかいなかった。その子は今も友達だけど離れて行った時の言葉が悲しかった。こんな良い言葉を言ってくれたのに結局その子はいなくなった。その時からしばらくの間クラスで1人ぼっち…。いまになると、悲しいよりも怒りのほうが強いけど。でも、その時は裏切られたような思いで何日も泣き続けた。なんでそう言ってくれたのに…アンタがそう言ったから信じてたのに…!ってね。その後も変わらず、その子は私を置いて他のグループへ行ってしまった。あれからもう1年…、いや、2年経とうとしている。もう薄れていてもいいはずなのにこの悲しみはいまだに消えることはない。
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大人になって空は近づいたのにあの青さはもう見えなくなった…。
小さい頃、空を見ると全てが広大に見えて、あの青さには夢の世界があるんだ。と思い、全てが大袈裟に感じられました。でも、最近空を見上げたら、なんだか空が色あせて見えました。そんな時にポツリと呟いた言葉です。「僕には幼い頃全てを叶える力があった、でも今の僕は、あの空と同じで、色あせてしまった。」そう思うと何だか自分は弱くなってしまったと、悲しく感じられました。時間が立つと、失う物、空の青さ…。
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妄想じゃないの?
職場の人を好きになり、思い切って告白したら、この言葉…。気持ちを分かって欲しくて、しつこく食い下がったが、全く相手にされなかった。私が辞めた後に入ってきた新人社員と交際3ヶ月で結婚したと聞いた時は、ショックで暫く眠れなかった。
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あっ君と別れたくない…。でも、せいやとも別れたくない。どっちも好きなの…二人とも好きなままで居たらだめかな?
僕が彼女の浮気を見つけてしまったときにメールで言われた言葉です。そのときは凄く悲しさより、どうして僕だけみてくれないんだ…とか怒りがこみ上げました。でも、よく考えたら一番辛かったのは彼女なんじゃないかな…一人を一人の人間として見れないで、二人を好きになってしまって…。結局自分から振ってしまったけど、もう少し彼女の気持ちを考えてあげれたらと悲しくなりました。
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死にたいの?「んじゃあ死ねば?」そう言われて死ねるの?そんな勇気ある?できもしないこと口にしてんじゃねーよ。
友達に言われた。とっても悲しかった。私の気持ち聞いてほしかった。死にたいって想うのが駄目なの?どうして?ただの気持ちだよ。何も言わずに、ただ聞いてほしかった。
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振り返るな。振り返ると悲しさが襲ってくるぞ。
恋人との別れのとき、彼氏が言ってくれた言葉。ふりかえりたっかった。でも、あの人を見ると悲しさがやってくるの…。
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そんなにしんどいんやったら部活なんて辞めろ。
これは部活で疲れて帰ってきたときにお母さんに言われた言葉です。機嫌が悪かったのかわからんけど最初は頑張りやって応援してくれてたから、すごい悲しかったです。(疲れて帰ってきて何が悪いの?)って思いました。
その他の言葉
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”夢”だけじゃ食っていけんけど、”夢”なしじゃ生きていけん…。
高校の卒業文集の友人(男の子)の言葉です。男の子ならではの言葉だと思いませんか?現実的な女の子には言えない一言です。
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おネェちゃんに任せなさい。
僕にはおネェちゃんはいない。長男だから兄もいない。妹が一人いるだけだ。別にそれを不満に思っているわけではないんだけど…あるゲームをプレイしている時にふと思ったことがある。そのゲームには甘えん坊の主人公と姉がいる。姉は何だかんだいっても主人公をかわいがり面倒をやいてくれるのだ。…まあゲームだからそれがお決まりなんだけど。そんなゲームをやっているとおネェちゃんがいたら…と考えてしまうのは僕的には当然だ。特にこの言葉…「おネェちゃんに任せなさい。」…心に響き渡った…。おネェちゃんがいたら、さぞかし弟(僕)をかわいがってくれるんだろうなー(現実は知らないけど…)と思った。あァ、おネェちゃんが欲しいな~。って僕を強く思わせた。無理なのは百も承知。だけど、新しい自分を見つけられた…哀しいかな…そんな気がした。…僕はお兄ちゃんなわけで、妹がいるわけで、僕は妹にあまりかまってあげてないわけで、うん、もう少し優しくしてあげてもいいんじゃないか…って今思った。次、生まれ変わる時は…おネェちゃんの弟として生まれてみたいなあ。
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人の心に耳を傾け嘆きの老人の肩を優しく抱く誰にも知られぬ想いを書き記し最も高いと思われる所から我々を眺めている天使は側にいる。
これは映画「シティオブエンジェル」の冒頭部に記されている言葉です。つまずいたり、悩んだり、傷ついたりするのが人。それを優しく聞いている天使。天使の見方が変わった言葉です。
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ありがとう…。
俺が今はいない、じいちゃんに言いたかった言葉です。じいちゃんが逝く数日前まで俺はインフルエンザに罹っていました。そしてじいちゃんが逝った日に治りました。そして、じいちゃんが病院の先生に「孫の風邪は治ったのか?」って聞いたそうです…。俺はそれを聞いた瞬間に泣きました。俺は風邪はじいちゃんが治してくれたと信じています。そして、上の言葉をじいちゃんに言いたいです。ありがとう…と。
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沢山の人に愛される人をうらやましがるなら、その人をよく見てごらんよ。その人にはあなたの持ってない魅力が必ずあるはずだから。それが何かわかれば、きっとあなたも沢山の人に愛されるよ。
今でもその「何か」を見つけることが難しい。人生の課題です。
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寧々なんかさっさと死ねばいいんだ。
なりきりチャットに入っていたときのコトです。荒らしが入ってきて、いきなりこんなコトを言ってきました…HNがなかったので、自分がその人に対して何をしたのかも分かりませんでした。その荒らしは私が入室して10分経つとかならず入室してきて「寧々なんかさっさと死ねばいいんだ。」という文章でレス流しをしているんです…少し経って落ち着いてきたくらいに話を元に戻して…でも、私が発言するとまた、「寧々なんかさっさと死ねがいいんだ。」の文章でレス流しをしていました。3日もすると、私は「死ね」という言葉に恐怖を持つようになりました。荒らしが来て、あの文章を打ち始めると、全身が震えました。1週間が経つと、荒らしが来ただけでも、全身が震えてしまうようになっていました。今でもそれは続いています。荒らしが来ると落ちるようにしています。そのチャットに行くのを止めようかとも思ったケド、「行かないと、みんなが心配するよ。」って言ってくれたから、顔出しだけでもするようにしています。この文章を読んでくださった方達にお願いしたいです。どうか、誰に対してでも「死ね」というようなコトは言わないでください。言われた人の気持ちを考えてください。お願いします。
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これからもずっと同じ気持ち
手紙をもらったその最後にこの言葉が書いてあった。彼氏と言ってはいいのだろうか、相手は結婚間近の人だった。その人からはじめてもらった手紙。いけない恋だとわかっていながらすごくうれしかった。けどやっぱり結婚はして、おまけに奥さんと私以外のまた別の女の人を作って私は振られちゃいました。だからすごくすごくうれしかった言葉なんだけど、その他に書きました。なんかありがちな言葉かもしれないけど、あの時の私にはいい意味ですごく重かったんです。
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これで終わりだ。もはや誰も、私自身をも信じない。
高校生の頃(だったはずですが…)テレビでやっていた「知ってるつもり」という番組(世界中の偉人や歴史上の人物の生き様を紹介する)で、ロシア(旧ソ連)の独裁者ヨシフ・スターリンの話のラストで、死に際に彼が言った言葉です(同志達を粛清したり、国民を4000万人も殺した挙句、精神分裂病になりひっそりと死亡…)。その頃は部活の連れやクラスメートとも特に問題なくすごしており、そんな死に方は嫌だなーと気楽に考えていました。あれから10数年…今になって、その言葉の意味がわかって来ました…。誰も生んでくれなんて頼んで、ねえのによ…。
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幸せに歳をとりたい。
この言葉は、優しくてとてもいい考え方をしていると思っていた私の知り合いがHPで「今年の目標(資格、やりたいこと等)」のところに書いてあった言葉です。この一言に心打たれました…。私も幸せに歳をとりたいなって思いました。
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好きじゃないし、やりたくないけど、任されたのなら一生懸命やるよ。
僕は野球部に所属していて僕の友達は、やったこともないポジションを監督命令で、やってました。その友達に、キャッチャー(友達のポジション)好きか?と聞いたらこの言葉を言った。正直かっこよかった。
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もう恋なんてしないって思っていたけどあなたにあって、この気持ちが一瞬に変わってしまった。あなたのことが好き。この距離は埋めることが出来ないけどどうしたら伝わるのかとか考えちゃうけど…あなたのことが好き。どうしようもなく好き。もう伝えられないこの気持ちをなんで早く言わなかったのか…。あなたのことを考えない日はないよ。
逝ってしまったあの人に。気持ちは早く伝えた方がいいです。
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近づき過ぎるな。俺の中に入ってくるな。
ネットのサイトで、ある男性と出会い、精神的な繋がりが強まり、お互いに想いを寄せるようになりました。私はリアルでの交友経験が少なくて、彼との関係以前に、人とネットでどう付き合っていけば良いのかが判らなくて、いつも悩んでいました。そんな時に、彼に言われたのが、この言葉でした。彼を想いすぎるあまり、無意識に彼をいつも手元に置きすぎていたのでしょう。彼への申し訳なさと、自分への情けさで、いっぱいになりました。彼から、この言葉を言われて気付いたのは、距離を置くことの大切さでした。どんなに誰かを想っていても、距離が近すぎては息苦しくなる。時には狂った関係までもを招いてしまう。かと言って、距離を置きすぎても熱が冷め切ってしまう。人それぞれ、心地良く感じる距離は違うけど、でもお互いが関係に相当した距離を掴んで付き合うことこそが、恋愛や友情、親子などの様々な関係においても大切なことなんだと、つくづく実感しました。焦らずに、現時点での彼との関係にあった距離を保ち、熱が冷めないように、あるいは徐々に温度が上がるようにさせる…安易なことではないけど、未熟な私は、今回のことで一つ社会勉強をしたような気がしました。
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三日坊主を何回でも繰り返せばいいだけじゃないか。
高校の時、飽き性な私に、先生が言ってくれたひとことです。継続は力なりって言葉があるけども、こっちの方が、今、のやる気をかきたててくれます。
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あんたはもっと自分に自信持っていいと思うよ!私は嫌いな人はいないんだ。そういう人だと思っちゃえばみんなかわいいとこある。
職場で少しなれた頃、いわゆるお局的な存在にいじめを受けたとき相談した友人がいった言葉。確かに自分をしっかり持っていれば何も気にすること無いし大らかに物事を見れる。少し年上のこの友人は多分あの部屋の誰よりも自分を信じていたのでしょう。今、この言葉の意味を実感しております。
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生きる事こそが最高の復讐。
昔のいじめの仕返しに大失敗したとき、この言葉は効く…。
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大丈夫だよ。
私の友人の父が、息を引き取る間際に言ったそうです。とても苦しんでおり、意識もほとんどない状態が続いていたそうですが、最後の言葉ははっきりとしていたそうです。その言葉が彼女に対して、父親である自分が居なくなっても大丈夫という意味であったのか、父親を心配している娘に向かって自分はもう大丈夫だよと言ったのか私には分かりません。ただ、友人の父が、自分の娘に対してとても大きな思いやりを持ってこの世を去ったということだけは、その話を聞いたときに感じました。友人も父の優しさ、強さ、愛情を感じたそうです。その話を友人から聞いた時、そういう人間になりたいと心から思いました。
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私も幸せに為る努力をしに行くから、貴方も何があっても幸せに為る努力をしてね。
亡くなった彼女の残した最後の言葉です。病気で手術をしに旅だってそれっきり戻ってきませんでした。しかし私は未だに約束を果たせないようです。
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わからないじゃなくてわかろうとしないだけ。
勉強が嫌いだった私に先輩から言われた言葉。すぐにわからないって諦めてた。けど、この言葉で私は勉強する気がでました(^o^)/
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親身に、してくれる人ほど信用するな!!
今から1年くらい前、妹の事で、家族がギクシャクしてた頃、親父の友人が、妹の事をとても心配してくれていたのですが、本当は、その裏で妹に「SEXさせろ!!」と言って脅していたようです。そのとき、母が言った言葉です。
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上原美優さん…強い人だよね…
母に言われました。自殺してしまい、もうこの世にはいないけど…強い人だと私は思います。ご冥福を心よりお祈りいたします。
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まあ、慣れれば楽になるからね。
今の会社は、体制がいろいろ変わっていて、次から次に新しいことが増えていてる状態で、それについていくのが大変です。そんな中、会社の人同士、なぜか自然に言い合うようになった言葉です。本当は慣れて落ちつけると思っても、次にまた何かしらあるので、楽になんかなれないのだけど、みんな、それを分かってて、お互いを励ましあってるのかもしれません。
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お互い、電話もしないしメールも打たないけど、彼女がまだ僕の事愛してくれてるってわかるんだ。
私の彼への気持ちを察したのでしょう。何年も連絡してない彼女の事をこう彼は話してくれました。何も言葉が見つからず、「彼女の事まだ愛してるのね。」としか言えませんでした。こんなにも彼の心を満たしている彼女のことが羨ましかった。なのに、私は、彼に自分の気持ちを伝えました。たぶん読んでくれた…と思います。彼は何も言ってはくれませんでした。私は彼が彼女を思う気持ちに弾き飛ばされる覚悟だったに…。でも、彼が困ってるのがわかりました。落ち込みました。もう、彼とのいろんな接触をやめようと思いました。詩を書きました。それを第三者的に読む自分がいました。何回も何回も読むうちに自分の気持ちに素直になろう、と思いました。だから、彼との関わりをずーっと続けようと思いました。彼と離れたくない。そばにいたい。思いが叶わなくてもいい。彼を好きだから…愛してるから…。
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おいI。お前はTの死を無駄にしてるよ。お前は命賭けでやってんのかよ。俺は命賭けて教師やってるよ。
高校の部活の打ち上げみたいなもので、顧問の家に行ったんです。で、そこで色々話がこじれてきたんです。副顧問の担当のクラスで一人死んじまった奴がいたんですけど、それが一年の時に一緒に部活やってて辞めちまったやつだったんです。結構仲良かったんでそいつが部活やめたあともちょくちょく話はしてたんですけど。ある時、顧問が副顧問の教室を見た時に、その死んだ奴の机がなくなってたらしいんです。その事で顧問がめちゃめちゃ怒りまして、その時に言ったのがこの言葉です。副顧問はI、死んだ友人はTで表現してあります。悲しかった半面、こんな教師今何人いるかなーと思いながら聴いていました。
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奇跡を待つより捨て身の努力よ!。
本当に、ずっと心に残ってる言葉です。1~2年前に見たアニメに出てきた言葉ですが、今になって、受験が近づき、あらためて考え直しました。今は、この言葉をしっかり胸に刻んで、頑張っていこうと思っています。
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野ぐそは男の勲章
小学校の時、よく女子の前で野ぐそをし、それを土に埋める行為をしていた。よく女子からは、「日本の恥」とか「おまえの前世うんこ」とか言われたけど俺はそれくらい度胸がないと男はいけないと思う世の男たちよ、野ぐそをして一皮剥けた男になろう
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たとえどんなにお互いの事を好きであっても、絶対に言葉にしてはいけないんだ。
大好きな大好きな、でも恋人でも夫でもない彼に、「結婚してたら恋愛してはいけないの?」と聞いた時の言葉です。年に2回位しか会えません。中学生の様なデートをして別れます。その繰り返し。もう18年間好きなんです。苦しくて苦しくて性格が破綻しそうになった時期もあったけど、この言葉を何回も思い出しては生きています。
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やるしかねえ。
僕は部活をやっていて、放課後はもちろん休みの日にも部活練習をします。他の友達はみんな帰ってるのに、自分だけは…。とか、やりたくねえ。みたいな事ばかり考えていました。でも、どうせやらなくてはならないので、良い気分でやりたいものです。だからこの言葉を心の中で言ってから取り組みます。自分だけかもしれませんが、何かやる気がみなぎってきます。
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ありがとうって、思ったよ。
私、女ですけど、好きな女の子がいたんで告白したんです。伝えた方がいいって教えてくれた友達がいたから。でも、叶わないとわかっていたから、返事を聞かなかったんです。彼女には他に好きな子がいたんで。気にしてないつもりでも、やっぱり返事がほしかった。だから、「告白されてどう思った?」って聞いたら「びっくりしたけど、ありがとうって、思ったよ」だって。悲しいけど、嬉しかった。切ないなって思ったけど、返事聞いてよかった。
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父ちゃん。俺、高校辞めてプロのサーファーになる。
ヤンキーな息子が最後に父親の私に言った言葉です。それ以来息子とは会っていません。しかし、あの息子が少なからず将来に夢を持ったのがうれしい反面、不安な気持ちもあり複雑でした。今もどこかの海で波と語ってると思います。
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いつか私の声が君に届きますように
汰地君覚えているかな?私が最後に送るときに「好きだよ」とよく送ったね返事は必ずハートつきに毎日送ってくれたね私うれしかったよ!!この前彼女いたけど別れたね……ごめんね私のせいで貴方が変わってしまって……でも私が話しているときは返事くれるねありがとう最後に伝えていいんですか…「別れてもずっと大好きだったよ」貴方がたくさん「好き」ってメールありがとう運動会の本番前に男子部室で初めてファーストキスしたね初めての場所一生忘れないよ!!私よりも幸せになってねバイバイ
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君は僕がどれだけ愛していたか知らなかった。僕は君が憎い。理解しろ。
離婚して、出て行くときに言われた言葉でした。私も、彼を愛していました。でも、好きだけじゃ、気持ちだけじゃ一緒に居られなかった。離婚して、半年が経ちますが、今でも彼だけを愛しています。時間が経てば経つほど彼への思いは募るばかり。
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もう少しだけでいいから…笑って…。
偶然にも出会った私達…初めて会う事になった時、お互いに不安で一杯でした。彼から送られてきた1通のメール…。写真が送られてきました。うっすらと微笑んでいる彼…でもその目はどこか寂しげな感じがしたんです。どんなに辛くても、寂しくても笑う事が出来ないと本当に辛く・寂しくなってしまう様な気がするんです…。次に会う事が出来たら私から、この言葉が言えます様に…。
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子供のとき、大人にはなりたくないって思ってたけど、大人になりたいって思ったとき、それはとても難しいことだってわかった。
友達とけんかした後に言われた言葉です。そのときはよく意味がわからなかったけど、今、自分が社会に出てみてなんとなく理解してきました。大人になるって難しいです。
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よく頑張ったね。もういいよ。モミジは十分頑張った。
今までにないほど悩んでいたとき、一番言って欲しかった言葉です。自分が悩みをほかの人に話していたら、誰かが言ってくれたかもしれません。でも、友達関係で頭を抱えていた私は、友達に打ち明けることもできず、恥ずかしくて母にも言えず、一人で抱え込んでいました。結局、夜、泣きながら、自分で自分に言いました。とても、むなしかったです。ホントは、誰かに言って欲しかった…。励ましてもらいたかった…。
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生まれてきてくれてありがとう。
これは誕生日の話をしていた時の言葉です(たぶん)。どうしてありがとう。と言うのかときいたら生まれてきてくれなかったら逢えてなかったからと言われました。生まれてきてくれたことに…逢えたことに…ありがとう。とそう言うことだと言っていました
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今から、多分一番酷いことを言う…!
唐突に、友人から告げられた一言。何のことだろうかと、全然わからない自分がいて、戸惑っていたところ、その友人は私が好きだった人が、彼女と付き会うことになったことを話してくれました。彼女も、その相手も、自分の気持ちは知っていて。彼女は、自分が引くべきなんだろうと思ったそうです。それでも、思いは止められなかったのだと。話してくれました。この時、何と言えばよかったのか。自分には分からずに。ただ…苦しかったです。でも、私は彼女もとても好きで…「そっか…」としか言えず…諦めようとしています。諦められると、思っているのです。けれど…この一言は今も、私の中で深く突き刺さっています。哀しいからなのか、嬉しいからなのか、区別もつかなくて…。
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合いたい人に会える事は幸せなこと
中学3年になってから初めて君を見たとき一目惚れしたでも君とは数回しか話したことがなかったねけど俺その時はメチャクチャ嬉しかったよでももうすぐ卒業違う学校行くから会えなくなるね今度勇気を出して言いたいな君に好きって
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窓は開けといて欲しい、俺が君を思い出に出来るまで。
携帯のメール募集で知り合った彼。その後旦那に「男とメールなんてもうお前を信じられない!そいつとは、…そいつとだけはきれてくれ!」と言われ、最後の言葉がこれでした。
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恋愛のおいしい所を持っていっている!
この言葉はとある女性が彼氏とは会いたいときだけ合う付き合うような事はしないという言葉を聞いて友達が話した言葉です。辛辣ですね。恋愛は喧嘩するのも一要素ですね。
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俺、気がついたらあいつのこと好きになってた。でもあいつ彼氏いるやん??あいつから彼氏のこと相談されるたびに、あいつ泣かせてばっかりの彼氏が、俺の友達がほんま腹たつわ。
これは、あたしが男友達に恋愛相談された時に言われた言葉です。その人は、ある女の子が好きで、その女の子はあたしの友達でもありました。でも、その女の子には彼氏が居て…。その彼氏もあたしの知り合いだったです。だからどっちつかずになっちゃったような気がするんですけど。でも、この言葉聞いた時、正直こっちに味方したくなりました。
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誰が何と言おうと、うちわお兄ちゃんが好きだった。みんながお兄ちゃんを嫌いになっても、うちわお兄ちゃんだけを見ている。お兄ちゃんだけを愛してる。信じてるよ…
元彼が、かなりお兄ちゃんの悪口を言ってきた…でも、うちわおにいちゃんを信じてたから今までずっと好きでいられました。これからも…だ・い・す・きッ。
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相手の立場になって考えるとき、自分のままで考えるのはただの自己満足の偽善だよ?相手の性格を理解して、それになりきって考えられないなら…何もされない方がマシ。
友達が落ち込んでたときに、励まそうとして遊びに誘ったら言われました。こう言われたとき、自分の行動を思い返すと、すごい申し訳ない気がして目一杯謝りました。自分勝手な偽善は相手を傷付けるんだと思います。
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男は夢を愛して、女は愛を夢見るものだ。
2つ上の大好きだった先輩が、卒業する時に残してくれた言葉。その頃は、意味が分からなかったけど、今ならその意味がよく分かります。
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彼女を中傷する言葉は言いたくない。俺の言葉で彼女を汚したくない。愛した人だから…。
私の男友達が、付き合っていた彼女に酷い振られ方をして、落ち込んでいたので、私がその彼女の事を悪く言った時に返って来た言葉です。彼は決して彼女を悪く言いませんでした。こんなに優しい人を傷つけた女が許せません。
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tomoちゃんをお嫁にもらってくれるのか?
当時付き合っていた彼女はお酒を飲むとこの言葉を口にしました。何度も何度も何度も、、、繰り返し言われましたがはぐらかしていました。はっきりした返答のない僕から彼女は去っていきました。彼女の心のうちを考えると今でも切なくなります。
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待ってろよ、果てしなく青い空。
夢のためにアメリカへ渡った友が最後に言っていた言葉。彼には立派な夢があるのに俺にはないなあ…、と思った。いつか俺もこの言葉を言いたい。その時まで決して忘れない。
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行動がこの世界を動かしている!言葉を話す事は行動の1つ、だから言葉でも少しは世界を動かす事ができる!やさしい言葉で少しだけ人を元気にしてあげよう!暖かい言葉で少しだけ人を幸せにしてあげよう!親切な言葉で少しだけ人を助けてあげよう!そして、言葉で自分自身を向上させてみよう!!
最近、人との係わり合いが薄くなってきましたね、自分の言葉で少しでも人を助けたり喜ばせたりできれば、相手にとってもぞして自分にとってもいいことあると思いますよ。言葉で少しだけ…少しだけで良いです。自分や他人を幸せにしてみてはどうでしょうか??
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天国はすごくいいところらしい。だって、行った人が誰一人帰ってこないのだから。
小さい頃、おばあちゃん(故人)に「天国ってどんなところ?」って聞いたら、おばあちゃんがこう答えてくれた。小さかったから「へェ~、そうなんだ~ッ」ぐらいしか思わなかったけど、何故か今でも忘れられない言葉です。
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元気にしやるんか。最近、全然来てくれんねえ。おいちゃんは帰ってこんし。正月来るけど、いっこもめでたい気分になれんのやよ。
今年の五月に伯父が急に癌でなくなりました。伯父はとても心の大きな優しい人でした。そんな息子を失くした祖父母の悲しみはとても深いものでした。私は今年大学受験なので、勉強に追われて祖父母の家に遊びに行く事がなくなっていました。12月の初めに祖母が電話をしてきて私にこの言葉を言いました。今までプライドが高く、負けず嫌いだった祖母が電話の向こうで涙を流しているのが分かりました。けれども、私にはいっしょに泣く事しかできませんでした。早く合格して祖母との時間を持ちたいと思っています。
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悲しいとき嬉しいとき…必ずお前は俺を思い出すよ。俺もきっと…。
3年間同棲ををしていた彼と別れる時に彼から言われた言葉です。今思えば一番優しくて穏やかな人でした。若い頃はなかなか結婚しようと言ってくれない彼を待ちきれなくて!その当時プロポーズしてくれた人と結婚を決めた私。悔しいけれど、彼の言った言葉は当たりでした。楽しいとき悲しいとき!何時も脳裏に浮かんできます。彼ならどう思うだろう、彼なら一緒に悲しんでくれるだろうか?彼ならどんな風に答えてくれるだろうかって…。別れてから12年もたったのに…。
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お前ん事すきになってよかったわ。ちょっとはエェ人間なりたいって思たから。
高校2年生の時、同じテニス部に入っていた、坊主頭で明るくお人好しな1つ上の先輩にフラレた時に言われた言葉です。私の通っていた学校は和歌山県内では進学校の類に入る高校で夏の大会が終わると大学受験モードに完全に切り替えります。彼はあと少しでインターハイだったけど負けてしまった。彼は落ち込むタイプではなかったのですが、試合後無言で今までに見たことのないような顔つきをしていました。負けた次の日、私は彼を励まそうと思い、無理を承知にカラオケに行きたいと彼に頼みました。彼は私の気持ちを汲んでくれたのか、了解してくれよくいくカラオケ店に行きました。その帰り道にお城の近くの公園でその言葉を言われました。泣きました。その時の気持ちは覚えてません。当時私は少しひねくれていました。今思うには、悔しかったんだと思います。振るときくらい、「お前、うっとしいねん。大嫌いやねん」って言われきっぱり別れたかったんだとと今思います。振る理由はきかなかったけど、受験だと思います。別れ際サヨナラを言ったのか、歩いて帰ったのか自転車で家路についたのかそれから後の事は覚えてません。それ以来彼とは学校で目が会うことがあっても、会話はしていません。今先輩との思い出は美化され24歳になりました。たまに今の彼の笑顔を見ると先輩がこいしくなります。なんでやろ...?
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お前が死にたいって思った今日は昨日生きたいって思ってた人達の明日なんだよ!
辛くて辛くてあたしなんて死んでしまえばいいって彼氏に死にたい…って言ったらこの言葉を言われました聞いたときあたしが死にたいって言ってる間に生きたいって言ってる人達がいるんだ…自分が情けなくなりました
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気持ちだけじゃ伝わんねぇんだよ
この言葉を彼が呟いたのを聞いた時なんとも言えない気持ちになりました。2年前、彼は私のことを好きになってくれて、でも私は誰かに好きになってもらうのは初めてでどうすればいいか分からず傷つけてしまいました。それからすれ違い続け、やっとお互いが「友達になろう」と思い初めた時にはもう遅く、友達にもなれなくなってしまいました。それでもいつも明るい彼がこの言葉を呟いた時とても悲しそうな声で初めて聞いたそんな声にショックが隠せず友達に話しかけられても笑う事も返事を返す事もできなくなってしまいました。今ではどうしてもっと素直になれなかったのだろうと後悔しています。きっと届くことはないけれど「ありがとう」
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人の夢って書いて儚(はかな)いって書くんだ。
自分の夢を追いかけても、それはあてにならない。自分の夢(人の夢)は、どんなに信じ続けたって頼りにならない。
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ミントはいい人過ぎて物足りない。
大学のとき、バイトの同僚と話してて、「もし、ここのバイトの人で彼氏にするなら誰?」っていう話になりました。そのときに3つ上の先輩が言ってた言葉。「もし付き合うとしたら、ミントだけど…」って言っていたけど、「でも、ミントはいい人過ぎて物足りない。」って…。いまだに思い出す一言です。
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自分の常識は他人の非常識。
自分常識は他人にとって非常識だと思うことが多く、親から教えてもらったことが非常識だと思うことがあり、それが身についてしまっているので、頭ではわかっているけど、どうにもならないことがある。
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気違いに刃物。
リストカットを繰り返し、鬱病になってしまった時。母親から言われた言葉。「気違いに刃物」。私自身、おかしいのは分かってる。でも、他人に…親に言われた。解ってくれると勝手に思い込んでた。自分が愚かで笑えた。消えたくなった…言葉。
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俺には奇跡は起こせないけど…でもそばにいることはできる。約束する。悲しいときは俺が慰めてやる。楽しいときは一緒に笑ってやる。俺はずっとここにいる。もうどこにも行かない。俺は…どうやら本当にお前のことが好きみたいだから。
私に言われたことではないのですが、ある少女の大好きな母親が事故にあったときのことでした。少女は生まれてからずっと母と二人きりで、このままでは一人になるといっていました。食べ物も食べず、部屋で一人きり。「もう笑えない。強くなれない。お母さんがいないんだもの。」そう言った少女にその青年が言った言葉でした。その後のの母親も元気になりましたが…。
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「先生、今でも私はずっと好きなんです。結婚しないでよ。やだよ。三年間先生を思っていたよ。先生とずっと一緒にいたいよ。」
三年間好きだった先生が私たちの卒業後に結婚してしまいます。私はいまでもずっと先生が好きなんです、結婚なんてやだよ。いかないでよ。いかないでまた頭なでてよ、また電話してよ。六年間付き合っていた彼女がいたならいってくれればよかったのに、そうすれば今こんなつらい思いなんてしなかった彼女がいたのに、どうしてあのときやさしくしてくれたの?なんで電話してくれたの?私は先生の「遊び」でしかなかったの…?私の中学校生活は「先生」だったよ。先生がいてくれたから、勉強も頑張ったよつらい時も励ましてくれたから頑張れたよお願い…いかないでよ先生。なんてお祝いしたらいいの?どうすればいいの…?私はまだ好きだよ?あきらめてるわけないじゃん…ごめんね、彼女がいたのに迷惑かけたね。ごめんね…先生すきだよ、だけど、あなたと彼女の幸せが願えないよ私、本気だったのに、
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成功祈ってます。
自分が幸せになれないのなら、余りある私の幸せをあなた達に分けてあげよう。それがきっと私の運命。だから、幸せになって。私の分まで。嫌でも他人の幸せを願い、見届け、助けることしかできないつまらない人間ですから、あなた達の成功祈ってます。
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君の事が好きだから…
君が幸せならそれでいい。君のことが好きだから、僕はいつもここにいるよ。人ごみにまぎれて気付かなくてもいい。君のことが好きだから、君と会えたそのことだけでいっぱいになる。君のことを思うたび、めぐり合えたその偶然、人生で一回の奇跡を信じてる。君の事を思うたび、僕は神に感謝してるよ、振り向いてくれるのは永遠の先
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パール・ハーバーの夕焼けを見たことある?
私の彼氏が言った言葉なんですけど…まあたぶん、某映画のセリフを真似たんだと思う。でも、見たことないって言ったら、本当に真珠湾につれてってくれた。そして某映画みたいに空から見る事はできなかったけど、肩車をして見せてもらった。うれしかったよ。写真に収めておきたい1シーンだった。
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たかちゃんも、雑草のように強くなれよ。
小学生の頃です。父親と2人で庭の掃除をした時のことです。季節は夏でした。庭には、雑草がたくさん生えていました。父と2人、雑草を引き抜いていました。父が「雑草は強いな~!」「たかちゃんも、、、雑草のように強くなれよ!」とボソッと言いました。今、私は2人の娘をもつ父親になっています。小学生の頃、私が見ていた父と同じ年代になっています。でも…なかなか強くなれません…。「頑張らなくては!!!」「お父さんなのですから…」
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人間ってゆうのは自分の居場所がないとすごく苦しむ生き物なんややから神様は人間に知能を与えてくれたねんぞ?
「最近学校おもんないわあ」と言うと僕の担任がこの言葉をゆってくれました愚痴を言うだけじゃなくて自分で行動しろって事を言いたかったと思いますこれを聞いて僕はいい先生に出会えたと思いました
元気が出た言葉
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ダメやなあ、でもそんな君でなくなるのは寂しいな
失敗やミスも多くて、頑張らないとって思ってた。でも、なんかしんどかった。けど、そんな時にこんな言葉をかけてくれた同僚と上司。心が暖かくなった。それから、頑張らなきゃじゃなくて、頑張りたいって思える様になった。
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誰からも嫌われていない人間なんていないし、誰からも好かれない人間だっていないんだよ。
親友とケンカして、落ち込んでいた私に、誰かが耳元でささやいてくれた言葉です。人が大勢いて、言ってくれた人は分からなかったけど、その優しい声は、今でも耳に残っています。
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泣きたい時は泣けば良い泣いた分だけ後で笑えば良いから。
私が高校受験の時に親に言われた言葉です。この言葉で私自信気持ちが軽くなりました。親には感謝しています。
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例えば朝がやってくるように今日、心が真っ暗闇でもいつか明るい光がさすだろう。明日はきっと良い日になるよ。
高校のとき、元気がない僕にクラスメートが贈ってくれた言葉です。今では僕のお守りです。励まされた分、今度は僕が周りの困ってる人を元気づけてあげたいです!
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涙は悲しい時に流すんじゃなくて嬉しい時にながさなきゃ!
泣いてるときこの言葉を言ってくれる友達がいました。そーだな!って前向きになれた。
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地球の裏側には何がいるか分かるか?分かるか?つまり地球の反対側だ、ここから一番離れているところだ。いいか?よく聞けよ。そこにはな、お前と同じ様に悩んでるやつがいる。ああ根拠などないがいる。間違いない。要するに絶対だ。裏側だぞ?地球の裏側だ。そこまで行っても結局何も変わらん。つまりそういうことだ。
知り合いが、多分このようなことを言っていた。一人の人間の小さな悩みなんてそんなものかと励みになった。反面、すこし悲しい気もしたけど。
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曇り空泣くなまだここは通過点で曇り空泣くな心は本当は強い
これは大塚愛のクムリウタの歌詞の一部です。今受験生なのですがちょっとした生き抜きとしていつも聞いてます!みなさんも是非聞いてみてくださいね。
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俺はお前の事忘れねぇーと思う!!
大好きだった街を引っ越す事になってそして私は家出した時に言ってくれた言葉です。
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「お前は、そんなに弱くないよ。」
自分自身が大嫌いで、自信を持つことすら出来なかった自分に当時大好きだった人が掛けてくれた言葉。もう彼はこの世界に居ないけれど、会えないけれど、今でも大好きで、ずっと忘れられない言葉です。
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今、目の前にあるのは君の課題。でも課題は、それを乗り越えることができる人にしかこないらしいよ。ほら、頑張ろうよ!
今も通ってる学校は進学校なんですけど、そこの期末考査で結果が悪かったとき、言われた言葉です。すごく元気がでました;)
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「負けた」ってのは、試合に負けたとか、誰々に負けたとかじゃない。「負けた」の本当の意味は、「自分に負けた」って意味だ!
これは、部活の試合で負けてしまったとき、先輩に言われた言葉です。あの言葉がなければ、今も「自分に負けていた」と思います。先輩がいなければ、今の自分はありません。先輩、マジありがとうございます!
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MNは頑張り屋ゃから我慢せんと話しよ
怪我が長引いて部活を止めようか迷っていた時大好きな先輩からの言葉○色々言ってもらったけど一番嬉しくて頑張ろうと思ったの○今ではバリバリ元気いっぱいで頑張ってます○
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ほら、空見てみろよ空はこんなでかいんだ!お前の悩みも空にくらべればちっぽけだなだから頑張れ!
自分が悩んでどうすればいいかわかんなかなくなったとき友達に言われた一言
後悔した言葉
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別れよう…。そして今までありがとう。
自分は遠距離恋愛をしていましたが五ヶ月が過ぎてもう少しで半年というところで別れてしましました。理由は彼女が他の男と食事をしていたことと、彼女と同じ旅館にその男が泊まったということです。こんなくだらない理由で彼女を振り今では「後悔」という気持ちでいっぱいで、なぜあの時その場の感情だけで彼女に「別れよう」って言ったのか、とっても悔やんでます。自分はまだ彼女のことを好きだし別れてみて初めてこんなに彼女がいて心の支えになってたんだなと気付いた。でも気付くのが遅すぎたね。もっと早くこの気持ちに気付いたいたら今ごろあなたは俺と一緒に歩いていたかな?また俺の前で笑顔を見せてくれてたかな?ケンカもたくさんしたね。あなたと過ごした時間は俺にとってとっても忘れられない幸せの時間だったよ。でももう、その時間はこないんだよね。あなたはもう俺のそばにはいてくれないんだよね?でも俺はまたあなたが戻ってくると思ってずっと待ってるから。あなたの居場所をちゃんと残しとくからいつでも戻ってきてね。やっぱり俺はまだ別れたくないよ。この気持ちがあなたに届いてくれてたらあなたはなんて言うかな?またやり直してくれるかな?それとも、もうその男の人のところに行って俺のところには戻ってきてくれないのかな?俺にはもうあなたの考えてることがわからないよ。それでも俺はあなたをずっと待ってるよ。だから淋しくなったりしたら俺に頼ってきてね。愛する人へ…。
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私は早く離れたいよ。
明日席替えをするというコトを先生が発表したとき、隣りに座ってた男友達(好きな人なんですが)から「席替えして○○と離れるのヤだなー。」って言ってくれてすっごっく嬉しかったのに「私は早く離れたいよ。」って言ってしまった。それから、席替えをして、私は窓側の一番前。男友達は廊下側の一番後ろ…。一番遠い存在になってしまいました。今まで隣りにいて、すっごく楽しかったケド、友達っていう感じで辛くなったコトもあったから、離れるのがいいのかな、離れた方が傷つかないのかな、って思ったのに一番遠い存在になってしまってそれだけで、もの凄く傷ついた。やっぱり近くに居たかった、って思った。でも、あんな言葉を言ってしまって、彼(男友達)も同じくらい傷つかせてしまったんじゃないかな、って思った。だから、私も我慢しなくちゃって…。
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もういい…別れるお前が俺の事好きか分からんし
これは元カノに対して言った言葉です。実際好かれていることぐらい分かってましたけどこの時は別のカップルと4人でいてそのカップルが別れそうになっていて[一緒にいてあげて]と言われたんです。けど別れそうになっていたことを知らなかったから[俺はお前と一緒がいい]って言ったのにそれでも言われたのでキレて別れると言ってしまいました。今別れて1ヶ月ちょっとたちましたまだひきずってます。どうしても諦めれません相手には彼氏が出来てしまってあの時なんであんなことゆったんだろうってずっと悔やんでます。
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やっぱバスケ部戻りたいかも
これは高校1年の夏のことで私は一度バスケ部を退部をしました。そしてテニス部に入りました。でもひにひにバスケがやりたいって気持ちがまたでてきて一年のバスケ部の子にその言葉をゆってしまいました。それでバスケ部に戻ったのですがなかなかやる気もでず…今また辞めたいと思っています。あのときあんなこといわなきゃよかったと後悔しています。
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じゃあもういい
ちゃんと話をしようとしても拒んでいたアイツ。今思えば、話をすれば関係が壊れてしまうことをわかっていたから拒んでいたんだよね?一方的に自分の気持ちばっかり優先させて、話をしてくれないアイツに「じゃあもういい」って言って勝手に帰ってしまった。困らせたことはわかってた。なんであんなこと言っちゃったんだろう。今はもう何気ない会話ですらできなくなってしまった。ごめんね。
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だったら来ればいいじゃん
高校のときに3年間同じクラスだった君。3年の途中から遅刻や欠席が増えた。1年の時、男子と話すのが苦手だったあたしにたくさん話しかけてくれた君。あたしは中学のときいじめられてたから男子と話すのが怖かった。そんな恐怖を拭い去ってくれた君。そんな君が誰よりも好きだった。だから寂しかった。君が教室にいないのが…知りたかった。君が学校に来ない理由。「なんで学校に来ないの?」あたしは聞いてみた。君は「来たいんだけどさ…」って言った。なんだ来たいんじゃん。あたしは単純にそう思った。「だったら来ればいいじゃん」…後に分かった事。君は先生たちに学校をやめてしまえと言われ続けていたんだね。今、思えばあたしのこの言葉を聞いた君の笑顔は寂しげだった気がする。君がいなかったらあたしはどんな人生を送っていたのだろうか?少なくとも今みたいに仕事や人間関係はうまく築けなかったと思う。あたしの歩いていく道に光を照らしてくれた君はあたしの恩人です。あの時はごめんなさい。そしてありがとう。せめて君の優しさを無駄にしない生き方をしていくよ。
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本当に心配してくれる人は、メールなんか使わない。だってメールは半一方的だから…。
身体的・精神的に弱っている時、自分のことを心配して、メールを出してくれた人に言ってしまった言葉です。その時は、メールなんかじゃなくて、TELとか、直接会って話したかったので、このような言葉を言ってしまいました。後から考えると、自分のことを心配してくれている人に対して言う言葉ではなかったです。その時は、そんなことも分からないぐらい相当弱っていました。
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もう、関らない様にするから。
卒業式後、別れた彼氏の事が忘れられなくて、ボタンを貰いに行った時、帰り際言ってしまった言葉。私を邪魔に思っている事を察し、悔しくて吐き捨てるように言ってしまいました…。本当は友達に戻りたかった…。「うん。」と言われた時、涙が止らなかった事を覚えています。
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さよなら。
いろんな事飲み込んで決めた気持ちでした。彼の中にいたのは私ではなく彼女だった。でも、守るべきものの中で私には「許す」しかなくて…。でも、何年たっても消えない心の傷と隙間に思います。あの時、私が出すべき答えは、身を引く「さよなら」だったんだろうな、って。かさぶたにしかならない傷は、いつか癒えるのでしょうか?
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好きだから些細なことが許されるとずっと思ってた。好きだから些細なことがゆるされなくなるなんて思わなかった。
好きな歌の歌詞なんですが、この歌を聴いたときにはなんにも思わなかったのですが、そのとき付き合っていた彼女と別れてから、この歌を聴いてすごく後悔した事を覚えています…。自分は相手に何が出来たのだろう…。もしかして、相手を傷つけていたのかもしれないって思うとすごくやりきれない気持ちになりました。今でも心の中にいつでもある言葉です…。
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俺の命、お前にかけるよ
私が自暴自棄のとき、彼が言った言葉。半分ノイローゼ気味の私は自暴自棄で自殺未遂を繰り返していました。見かねた彼が「大切な人の死は虚しすぎるもんだ。俺の命、お前の為にかけるね」私の目の前で胸を刃物で突き、息を引き取りました。。ねえ、私いま頑張って生きてるよ、ごめんね、ありがとうね、愛してるからね、あなたの分も生きて見せるからね、、帰ってきてほしいよ、、、、
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こんなことになるなら出会わなければ良かった…さよなら…。
昔別れた彼女に言った言葉です。あの時ほど後悔したことはありません。ボクと彼女が出会ったのは高校1年の三月でした。最初は付き合う気などなかったけれどボクは「もう高校生なんだし彼女もほしい」と言う簡単な考えで彼女と付き合うことになりました。ボクは口下手で人と喋ることが苦手で、もちろん彼女とも喋れませんでした。だけど彼女はこんな口下手でいつも喋らない俺に笑顔で接してくれました。そんな彼女にボクは心のそこから好きになることが出来た。しかし幸せはそう長く続きませんでした。ボクがホンキで彼女を愛した矢先に別れのときがやってきました。原因は彼女の浮気です。ボクは彼女に別れの言葉しか言えませんでした。心の中ではきっと納得したのだと思います。こんな口下手で頭も悪い・性格もパッとしない俺をずっと好きになる人なんていないとボクはうすうす感じていました。だから浮気が発覚したときはショックと言うよりも「やっぱり」という思いがありました。そしてボクと彼女の短い付き合いが終わりました。しかし、何ヶ月かして彼女から家に電話がかかってきました。内容は、「もう一度メアド教えて」と意味のわからない電話でした。しかし、彼女のことを忘れきれてなかったボクにとってとっても嬉しい言葉でした。また彼女と連絡がとれる。それも彼女の方から電話してきてくれた。ボクは嬉しくて嬉しくて変に舞い上がっていました。そしてメールをしていくとボクは彼女とメールをしながら彼女との楽しかった思い出を思い出すのです。あの頃は楽しかった、あの頃はあんなことでケンカもしたなボクは彼女をまた好きになっていった。彼女もボクをまだ好きだと言ってくれた。僕等はまた付き合うことにしたんだ。また一からのスタートで…しかしその幸せもたった一週間で幕を閉じました…別れる前日、ボクは学校でイヤなことがあり一人ムシャクシャしていました。そのことを彼女に愚痴ろうとメールをしても彼女からメールは返ってきません…とうとう日付が変わりボクはムシャクシャしてその場の感情で彼女にメールで「シカトか?俺…シカトする人キライなんだよね。こんなことになるなら出会わなければ良かった…さよなら…。」と言ってしまったのです。それから何日かたち頭も冷えて彼女に謝ろうとしたらもう彼女の携帯は解約され連絡も取れない状態になっていました。ボクは後悔した。なんでその場の感情であんなことを言ったのか。自分が憎く・醜く思えました。きっと彼女は俺のことを好きになってくれるとは思いません。だけどボクは彼女に言いたい言葉があります。「こんな俺のそばにいてくれてありがとう…あなたといた時間は俺のとってもとっても大事宝物だよ。あなたと会えて本当に良かった…あんなこと言ってゴメンな。」もう会えないかもしれないけど会えた時にはこの言葉を彼女に言いたいと思います。
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私はあなたの何なの?
私があなたに言ってしまった一言。あのとき私は周りが何も見えてなくて、自分勝手な勘違いであなたを傷付けた。忙しくて私に構ってられる暇もなかったはずなのに…全部私のせいのはずなのに「俺が全部悪い」って庇って。最後まで本当に優しい人だったね。今ではすごく後悔してますあの時もう少し冷静になって考えていれたら…あなたを失うこともなかったのかな。2週間経とうとしている今でも心は空っぽなままです。好きな気持ちは消えてくれません。わがままだと思うけど、もう一度きちんと話したい。そしてあなたに謝りたい。本当にごめんなさい。
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ごめん、お前と居ると俺の心が乱れるから、別れよう。
その時の僕は、大学の考査や研究課題が迫っていて、当時付き合っていた彼女と遊んでいる暇がありませんでした。彼女は、高校生だったので遊びたい盛りなのに、僕は彼女の事を気にせず、彼女が他の男と海に行っていたのを親友から聞いて、嫉妬心で言ってしまった言葉です。その後、彼女の友人から、海には女友達と行って、ナンパされ断っていたところを、僕の友人が見ていたみたいでした。今は物凄く、後悔しています。
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別れよう
あの時は止めてくれると思って半分軽い気持ちで言ったら…「わかった。ごめん」って。まだあなたが好きなのに…
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遠距離6年、俺の入る隙なかったもんな。
短大の頃から実家へ帰って就職してから6年、遠距離してた期間は4年フリーになって2年も経ってたのにその間4年付き合った変なプライドが邪魔して親しい友人以外には別れたことなどあやふやにしてた。別れるちょっと前から気になって、その後2年も思い続けた相手が今年9月に結婚。友人で行った前祝いの席で言われた一言。私に好意を持ってくれてたのに、余裕あるそぶりして、自分の幸せ逃がしてしまった。彼からのその言葉はこれまでの私の2年余りの時間をすべて後悔に変えてしまった、その場で何も言えなかった私、どんな言葉なら彼を取り戻せただろう。もう遅いけど…。
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わたし、傷つかないよ。気にしないで。友達なんでしょう?でも、あなたが困るなら、連絡するのやめるわ。
好きになっても、どうにもならない相手を好きになりました。わたしは、彼に気持ちを言えなかったけど、わたしの気持ちに気付いた彼が、「もう、会わないほうがいいね。会うと傷付けちゃうから。」と、言った時に、彼を困らせたくなくて、思わず言ってしまった言葉。わたしは、友達でもよかった。会えなくなるくらいなら。
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このままこの状況が続くなら別れるしかないよ。
kanaにはつきあって半年の彼がいます。彼はどんどん時間にだらしなくなって、ナンパっぽい事をしていたの。そんな彼にkanaは「辛くって嫌だ。」という自分の気持ちを上手に表現できないでいたの。そんなある日kanaは突然「このままこの状況が続くなら別れるしかないよ。」「kanaは辛いよ…。」って、彼に話したの。彼は「自分の行動に対してkanaがどう思ってるかなんて考えた事がなかった。」「ずっとkanaに甘えてたんだな。」って、そのまま黙ったままだった。どうしてkanaは彼を傷つける言葉でしか自分の思いを表現できなかったんだろう…。突然「別れるしかないよ。」って言われる彼の気持ちを考えてあげれなかったんだろう。彼に自分の行動を考えてもらうチャンスすら与えずに「別れるしかないよ。」と言ってしまった自分に本当に後悔してしまいました。100%彼が悪いのではなく、自分の気持ちをうまく言えないkanaも悪かったの。これからは自分の思いを上手にじゃなくてもいいから、ちょっとずつでも伝えていきたいと思う。突然に「別れるしかない。」と言って本当にごめんね…。傷ついた彼の顔が忘れられないです。
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最近はメールを返してくれないな…。もうやめよう。
半年くらいメールをしていた人(女性)がいました。だけど、あまりメールを返してくれなくなったので、ついついこんな言葉をメールで送ってしまいました。メールをしなくなってから、メールだけの仲だったのにオレにとってどれだけ大切で頼れる友だったのかという事を思い知らされました。もうメールは来ない事は分かっています。だけど、今ももしかしたら彼女からメールが来るんではないかと心のどこかで思ってしまいます。これからはもうこんな思いはしたくありません。だから、きっちりと相手と分かろうとする気持ちを大切にしたいです。
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あんたなんか死ねばいいのに
あの時ケンカで大切な人にメールで残酷な事ばかり言ってしまったそれがずっとあの人を苦しめていた事…あの時は気づけなかった。最近命の尊さに触れました。
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あたしは○○が思ってる程、いい人なんかじゃない。
うちが彼氏に言った言葉…。なんかこれも別れた原因だったのかもしんない。うちは自分に自信がもてなくって、、、よくこんな言葉を言ってしまってました。。。彼氏には怒られてばっかりでした。。
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ブタの丸焼きみたい
これは、たいいくのじかんに言ってしまった言葉。ちょっとだけポッチャリした友達が仰向けにころげたときつい言ってしまいました。その時は友達を笑わすつもりで軽いノリで言ってしまったのです。後から、その子が傷ついてしまったことをしり、その後はただ後悔のあらし。謝って深く反省しました。そのひ、その子から[気にしなくていいよ。だからこれからもよろしく]ってメールがきてちょっとだけ安心してたんです。でも次の日学校に行ったら、その子がほかの子に愚痴をめっちゃ言っていました。当然と言えば当然ですが、全く許されていないとしり、また後悔のあらし。自己嫌悪に深く陥り深く深く自分をせめました。ほかのともだちともきまずいし、何より大好きだったともだちを傷つけ前のよう仲に戻れないのかなとおもうととても悲しいです。
運命を変えた言葉
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イジメられて自殺したら、イジメられるために生まれてきたようなもんだ
ダウンタウンの松本人志の言葉です。イジメられて死んでいく子たちに聞かせたかったな。他の理由で自殺するやつにも
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「運命」なんてものはない。今、目の前にあるすべてのものは起こるべくして起こり、目の前にいる人は出会うべくして出会っているの。変えられない「宿命」なの。
大学のある教授が言っていた言葉です。どんなに悲しいことやつらいことがあっても、これが自分の「宿命」だと思ったら、少し強くなれるような気がしました。そして今自分を取り巻くすべての人を大切に思えうようになりました。どんな出来事も、どんな出会いも、自分にとってきっと必然なんですね。
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やらんで後悔するんじゃったら、やって後悔せーや。
大好きだった人から言われた言葉です。何かしようとしてどうしようかと迷う度にこの言葉を思い出す。ありがとう…。
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もう死にてぇとか言うんぢゃねー、お前の命はみんなのもんだ。
毎日が辛くて現実から逃げてたときに彼氏から言われました。今では元カレの存在だけどこの言葉で救われました。簡単に死にたいとか言ってわ駄目(>_<)
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自分の限界の先を見てみたい。ここまでだと自分の力を見切った、その先に行ってみたい。超えてみたい。あきらめて、誰かが敷いてくれた。安全な道を行くのではなく、誰も知らない、教えてくれることのできない未来に自分を導いてみたい。
あさのあつこさん著の「バッテリー4」の折り返しに書いてある言葉です。受験や進路で悩んでいるときに、高校いってもクラブ続けるか悩んでいたときに支えてくれた言葉でした。これから先、自分の限界以上のことを目指してがんばりたいと思います。
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自分に正直になれ。やりたいことをやらずに何をするって言うんだ。お前の信じた道だろ。最後まで信じ続けてみろ。
僕は高校に入学したとき中学のある友達に「一緒に野球やろ」と誘われて、野球部に入部しました。それから少し経って「これから頑張っていこう。」と思っていたときに、その友達が「俺、野球やめる。」って言ってきました。正直とても悲しかった……そして僕も「野球をやめようかなあ。」と悩んでいたときに他の友達が僕にこの言葉をかけてくれました。そして僕は「野球が好きな自分」に気づくことができました。それから僕は今でも野球を続けることができました。彼の言葉がなかったら、僕は一生野球を嫌いになっていたのかもしれません……これからは、僕の中学は自分一人だけど、大好きな野球を続けていきたいです。
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ボールを持てばお前が主人公や。
これはサッカーの試合前のアップの時にコーチが言ってくれた言葉です。当時僕はGKをしていた。まだまだGKは目立たないポジションでやりがいがなかった。しかしこの言葉ですべてのポジションで目立つことが出来ると認識しこのポジションが好きになった。
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女同士の繋がりはその人みたいになりたいと思うことなんじゃないかな…私は教えてあげないし手を引っ張ってってもやらない。自分で考えな!
同性ですが自分にないものを持っている彼女に惹かれました。気持ちを抑えきれずに泣きじゃくる私に行った彼女の言葉です。それから私は彼女の真似をすることで気持ちを理解しようとしました。そして今は、言葉でない繋がりを感じています。お互いに…。
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金や母親もいらない位幸せにするから。すべてを捨てて信じてくれ。
彼をとるか母親をとるかしかない選択で泣いて胸の内を話した時に彼が言ってくれた言葉です。若さとか無力さとか関係なしにうれしかった。人生の選択を考えに考えた結果のきっかけとなりました。
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二度と弱い姿を見せるな
僕が部活を辞めると顧問に言ったときの顧問の言葉。この言葉のおかげでお金では買えない大切なものをもらえた。残りの一年6カ月もがんばるぞ!
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一つの信念、貫いて生きるのも結構だがよ。それにとらわれて身動きできないようになるなら、道をそれてみてもいいんじゃねぇか?グニャグニャ曲がりくねってりゃあ、そのうち絶対ゆずれねえ一本の芯が見えてくるんじゃねぇか?
僕は、高校の部活を決める時、本当は入りたくはない、テニス部に入ろうとしていた。中学の時、ろくに練習をせず下手なままだったからだ。しかし、本当に入りたいのは、同じ中学校だった子がたくさんいる弓道部。でも、本当に、ここでテニス部の道をそれていいのか迷っていた。そんな時友達がこの言葉を言ってくれた。テニスにも無念や名残惜しいところはあるけど、これからは「一弓道部員」として頑張ろうと心に決めた。
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もう、こいつは、うごかねえよ。自分で息が出来てない。心臓も動いてない。……、泣くなよ。お前が泣いたって、何にもならないだろ?こいつはこいつなりに、精一杯、一生懸命生きたじゃないか。それだけでも、すばらしいことだよ。笑って見送ってあげよう。こいつのためにも。
自然と涙が出ました。
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僕の心に君の心にいつも花が咲いてますように、歌っているよ…願っているよ…。いつも僕はこの場所で君を見てるよ。
私には好きな人がいます。でもその人とはすれ違いばかりで、結局失恋になりました。悲しくてどうしようもなかった夜、泣きながらこの唄を聞きました。あの人の幸せを願おうと思えました。
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とりあえず、付き合ってみたら…。だめだったらその時に別れたらいい。
学生時代に、友達から言われた言葉。このとき、女の子と付き合うなんてめんどくさいと思っており、真剣に付き合おうと思っていなかった。そんな時、どうしても別れられない女性がおり、どうやったら別れられるか、友達に相談したのである。その時にその友達から返ってきた言葉です。そして、その女性は今自分の妻です。その時の「とりあえず…。」がなければ、恐らく結婚してはいなかったと思うと、妻にとっては、大変失礼な言葉なのですが、その時の自分にとっては、本当に運命の一言でした。
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「○○さんは…僕がまもりますよ…。」
いつもお邪魔していた彼のHPで、私の書き込んだことが言葉足らずなために、誤解を招き…別の方の機嫌を損ねてしまい、その方が、遠まわしで私を中傷してきたとき…落ち込む私に彼は忙しい中、「僕が守りますよ…」とメールでいっぱい元気付けて慰めてくれました。恐る恐るその方のHPを見てみると「彼女は、全くそんなつもりではなく…」と彼は、私の代わりに謝ってくれていました。それを目にした時、感謝の気持ちでいっぱいになりました。とても悲しい出来事だったので、今でも思い出すと泣けてきてしまいます。。。その日を境に…友達を超えた感情で彼のことを好きになってしまいました。
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◯◯は、◯◯であることにおいて、尊いんだよ?だから、死なないで。
もう自分は、この世に必要ないから死ぬって言ったときに親友から言われた言葉です。ものすごく心に響きました。死にたいって思うことは、これから一生ないです。
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逃げたら駄目。
今から約5年前24時間TVで知りあった女性から訳有って友達の縁を切ろうとした時、私から逃げたら駄目と言われた。シンプルな言葉である。しかし、今の私(病気によって会社退職:無職)には、この言葉が私の気持ちを支えていると言っても過言ではない。もう結婚したかどうかもわからない間柄になったが、せめてNETで一緒に成れてもいいのではと思いHPにその女性の写真を載せています。いい年して何を書いているの?と私も思います。ただ、妻を亡くし11年、最後の恋で最高の出会いでした。
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やってしまった後悔は、だんだん小さくなるけど…やらなかった後悔は、だんだん大きくなるよそれでいいの。
親に反対されて、行きたい大学への受験をあきらめかけたとき、仲のいい先輩に言われた言葉です。もう一度両親に頼む一押しになりました。あと一歩のところで自分が行きたい道を間違えるところでした。この言葉がなかったら夢を見失ってるとこでした。
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付き合ってみて好きになれたらいいけど、好きになれなかったら?その人の事傷つけちゃうだけでしょ?だからあたし簡単な気持ちで付き合わないって決めてるの。
なんていったらいいかわからないけど…説得力がありました。
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…でも君はいまこうやって生きている。それは君に死ぬ勇気がなかったからじゃない。つらくても生きようという勇気のほうが強かったから。それってすばらしいと思わない?
幼い頃、中国人の母親をなくし、継母のもとで育てられた私は、その家庭環境のことや、さまざまな理由から、小学生時代からいわれのないいじめを受けてきました。小中高一貫教育の私学だったので、中・高生になってもその環境はかわらず、いじめはますますエスカレート。とうとう高2の冬、耐えきれなくなった私は、自殺未遂事件を起こしました。左手首にナイフで切りつけたんです。それ以後、さすがに両親も事態を認め、もう東京にはいたくない、という私の希望で、実母の故郷神戸の高校に転校し、そのまま短大に進みました。いじめからは開放されたものの、手首の傷はさまざまに私を苦しめました。付き合い始めた彼に傷を見つけられて、早々に逃げ出されたり…いつか私は生きる希望を失い、たびたび手首にナイフを押し当てるように…いまでいうリストカットですね。でも死ねなかった。私には死ぬ勇気もないんだ…と自分を責めて、苦しむ日々が続きました。そんなころ、通っていた短大で、ある図書館・情報の先生にであいました。先生はとっくに私の傷に気づいていたのに、一言もそれには触れず、好きな登山の話や、音楽の話などに脱線しながら、親切に指導してくれました。ある日、ついに思い余って心のうちを打ち明けた私に、彼が笑いながら答えたのはこの言葉。一瞬ハッとしました。そう、単に見方を変えるだけのことかもしれない。でも私にはそれが、世界が根底からくつがえるように新鮮にひびきました。…君はもう十分に苦しんだ。これ以上自分を傷つけて苦しむ必要はない、自分の心でつけた傷は、ナイフの傷より深いんだよ。君のその勇気は、幸せをつかむときのために取っておきなさい…彼はそういって微笑みました。そう、勇気は人を傷つけるために使うものじゃない。自分でも、他人でも…。短大を卒業したその夜に、私はその「勇気」をふりしぼって、彼のもとに飛び込みました。その翌朝にはもう2人で教会へ…。私の生き方を変えたその一言を、彼は「そんなこと言ったっけ?」なんて照れてごまかしてますけど…。
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その気持ちを、もう少し早く伝えられたら良かったね。
中学時代、たくさん悪い事しても正直に話せず、嘘ばかり付いていた私。中学2年の時、林間学校で悪い事してしまったのに、担任の先生からお前がやったんだろう!と叱られず1年過ごしてきた。その後、中学3年の時、2年の担任の先生が異動してしまった。ある日、中学3年の担任から、「いくら○○が悪い事しても、いつか先生の所に来てごめんなさいと言ってくる日を待っていた。しかし、その日が来なくて残念だった。」の言葉を残して異動していったと聞き、謝らないという気持ちが込み上げてきて、夏休みのある日、2年の担任の先生に電話をした時、話してくれた言葉。怒られると思って電話したのに、担任の先生の気持ちを聞くとは思っていなかった。その言葉をきっかけに、もう悪いことはしないと心に決めました。普段は何も言わないのに、迷惑かけているけど、心配してくれているんだと思いました。
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もし、雨に打たれ濡れている子がいたら、お前はその子を指差して笑うんじゃなくて、傘を差し出してあげる人間になるんだ。
僕が中1の時、クラスではイジメがあって。その光景を僕はいけないと思いながら見過ごしていました。下手なことしたら僕までいじめられるかも…そう思ったからです。でも、ついに我慢できなくなって先生にそのことを言いました。そのときの言葉です。先生が僕に言いました。僕はまるで心が急に軽くなった気がしました。自分の感情を大事にしよう。そう思いました。
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〇〇(私の名前)は太陽みたいだなあ。
父が言ってくれた言葉でした。父が闘病生活をしている時、家で私が日課で足のマッサージをしていました(足に水がたまってしまうので、マッサージをしないと足がむくんでしまうのです)。そして、私はお調子者なので父を笑わせようと他愛もない話をしていました。そんな時、「〇〇は太陽みたいだなあ。」そう、父が嬉しそうに笑いながらそう言ったのです。父には病気について何も告知していませんでした。家族で「きっと治るからね。」と父に嘘をついていました。だから、いつも父の前で笑顔でいようと決めていました。だから、私に対するそんな優しい言葉はもの凄く辛かった。それに私は全然「太陽」なんかじゃない。嘘つきで卑怯者で弱虫で馬鹿で、全然そんなんじゃない。その言葉を言われた時には泣かなかったけど、父がいない所で思わず泣いてしまった。もう父は亡くなってしまったけど、私にとって「太陽みたいな人」になる事が生きる目標になった。それはとても難しい事でまだまだ全然ダメで、けど一生かかっても目指し続けたい。そう思う目標です。きっと一生忘れられない、言葉。
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人を守ってこそ自分も守れる…。己の事ばかり考える奴は、己をも滅ぼす奴だ!!
僕が20代の頃、見に行った映画「七人の侍」での1シ-ンでのセリフです。利己欲の強い世の中は、当時と変わりませんが、僕が、いかに周囲の人たちという支えで成り立っているか?を再確認した言葉でもあったのです。自分の器以上の無用な欲を持つ事が、人間を悪魔へと変えて行く事と、愚かな事である事、教えてくれます。今でも、自分の人生の核となるべき、尊い言葉です。
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いいからやれ!
高校時代、勉強をしないといけないときに、ある先生と無駄話をしててら、急にその先生が思い出したかのように、これを言いました。楽しいことの誘惑に負けないで、目標にむかって、やるべきことをやれってことかどうかはわかりませんが、母さんのような先生だったんで、あきらめそうになった時なんかに、その先生とこの言葉を思い出してがんばってます。
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前の彼氏のほうが、やさしかった!!!
彼とケンカした時、言ってしまった言葉です。ほんとは、前の彼氏なんか、ぜんぜんやさしくなかったのに、怒りがこみあげてついつい嘘をついてしまいました。彼の心はかなり傷ついてしまい結局、半年間別れていました…。あんなひどいことを言う私は、最低な女だと思いました。半年間は、ながかったけれど、彼は、再びつきあった時に私に本音を打ち明けてくれたのです。「俺も前の彼女のこと、忘れられなかったけど、おまえと離れてて、やっぱり一番大切な人が誰かわかったよ」と…私は、ひどいことを言ってしまったけれど、そのおかげで彼と私は、お互いを見つめなおすことが出来ました…。だから、あれでよかったのかもなあ。でも、あんなひどい言葉は、もう二度と言いません!!!
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どうせ下手の横好きなんだから。
小学校4年生の時、写生会でみんなが描いた絵を担任が批評したとき。私の絵は「悪い例」として批評されました。そのとき、絵を渡された時に聞こえたのがこの言葉です。すごく悲しかったと同時に、「ちくしょー!絶対見返してやる。」と子供心に思ったのを覚えています。それから何年かの紆余曲折の末、今ではグラフィックデザイナーとして生計を立てている私がいます。この言葉が無かったら、今の道へは進まなかったのかも、と今でも思ってます。あの時の担任は今でも嫌いだけど、もしばったり会う事があったら胸を張って、「あなたのあの一言のおかげで、今がんばってます」って言いたい。
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付き合う気が無いなら付き合うな。相手を傷つけるだけだから。
友達に告白されてすっごい悩んでいて女友達に流されるまま「一週間だけ」の約束でとりあえず付き合う事になりました。流されて本当はどうなんだろう…。って考えてる時にこの言葉を言われて告白してくれた人とメールをするたんびに、この言葉を思い出します。まだ一週間たたないけれど、この言葉を言われて考え方が変わった気がします。
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つまづき転んだのを石のせいにして何か変わるか?
これはある漫画に出てきたセリフです。何か、僕ってなんでもかんでも何かのせいにしていました。だけど、この言葉みて、ハッっとしました。悪いのは、あれでもない。これでもない。僕自身だったんだって。僕を変えれば周りも変わるんだって。そう思えるようになりました。
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時には、古い歌をダビングしてるテープに上から新しい歌をダビングしてしまうって方法もあるよ。
昔の恋愛をどこか吹っ切れずにいた私に「自然に忘れていくことを待つのも一つだけど、時には、古い歌をダビングしてるテープに上から新しい歌をダビングしてしまうことも必要なときがあるよ。」といわれました(今は、もうテープの時代じゃないか(笑))。嫌いな歌だったらそんなことしないけど、「そうかもな」と思ったときに出会ったのが今の主人です。古い歌を思い出すこともやっぱりあるけれど、今のこの新しい歌を思いきってダビングできて、今もとても穏やかにそして伸びやかに生きていられる今…。私の運命を変えた一言の一つかもしれません。
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神?神だと?あいつが何をしてくれた?当然の様に人の上に立ち、何一つ役に立ちはしない。
私は、神を信じていました。でも、それは裏切られました。その時思ったんです。「神に見捨てられた私はもうきっとだめなんだ。」って。絶望していた私でしたが、この言葉を言われて気がつきました。この言葉を言ってくれた人は自分の夢を実現させたとても尊敬できる人です。そして、その人は、神よりも何よりも「自分」を信じれる人だったんです。自らの手で夢を掴みとった、だから尊敬できる人だったんです。大事なことを忘れていた、そんな気がしました。もちろん、時には神頼みも悪くはないと思いますが…。
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恋愛なんてさ、たった1回でいいんだよ。そのたった1回で人をどれだけ愛して、愛し続けるか…なんだよ
自分に、自身がもてず告白できなかったときに、友達が言った言葉です。そのときは、「何かっこつけてんだよ」と笑っていましたが、今になると、とても心に残っていて、忘れられません。
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「10年待つよ、ずっと待ってる。だから幸せになれ」
忘れられない人の言葉です。私の幸せを願って泣きながら言ってくれました。私は好きな人が2人いましたでも選べなかった、、そんな時1人の彼が言ってくれましたあれから10年今までありがとうそしてごめんなさい
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大切なこと忘れないでいて。
これはある歌の歌詞です。俺は生きる意味を見失い、何度も飛び降りようとしていました。その度に友達に止められていたんですが…。ある日、友達が、「俺が死んでも誰も悲しまないし…」って言いました。それを聞いた時、「悲しむよ。たとえ、周りの人が誰一人として悲しまなかったとしても、俺が悲しむから…。」って言いました。言った瞬間ハッ、っとしました。そして、上の歌詞を思い出しました。俺は飛び降りようとしていたとき、止めてくれていた友達のコトを忘れていました。止めてくれていた友達は、俺に死んでほしくないから止めてくれていたんじゃないか…、そう思いました。本当のトコはどうかは解らないケド…「死んでほしくないからとめていた」っていうコトを信じるコトにしました。
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「がんばれよ」
大学二年生の時の親友の言葉です。彼とは、高校一年生からの腐れ縁でした。私は女。彼は男でしたが、お互い好きな子の話もしたし、私が失恋した時は、何も言わず一日遊園地に連れて行ってくれて、色々な話を聞いてくれたりもしました。次の日学校で会うのに、夜中に電話で7時間も話した事もあります。私達は付属の高校だったので、同じ大学に進み、一人暮らしのアパートも近くだったので、良くご飯を作りに行ったり、遊びに行ったり、夜(二人きりではありませんが)泊まった事もありました。その時は、いつもそばにいて空気のような存在でした。19歳の春です。突然彼が入院しました。すぐにお見舞いに行くと、彼は私と二人にしてくれとお母さんに言いました。なによぉ~あらたまっちゃって。って笑っている私に、突然「俺、白血病なんだって。」と。どういう顔をしていいかわからない私に「でも、頑張るから!」と笑顔で。私は一生懸命に平常心を保とうと、笑顔を作りました。彼は、本当によく頑張りました。強い抗がん剤の影響で髪の毛がなくなり、坊主にした時も、それをねたに私達を笑わせたし、面会謝絶のあと病室に行くと、「色んな副作用があったけど、目が見えなくなった時が一番つらかったよ~」って冗談ぽく言ったり。一年近くの闘病生活。私にはつらい顔を一切見せませんでした。幸い、妹からの骨髄移植が受けられましたが、一度目はうまくいかず、二度目の挑戦。それまでは、千羽鶴なんて貰ったら、本当に病人みたいだからいらない。と言われていたけど、一度目の移植がうまくいかなかったことで、私は友達と千羽鶴を折っていました。二度目の移植の後、長い間集中治療室にはいっていた彼。お母さんから様子を聞くと、本当につらい副作用に、意識を失うこともあって、一進一退を繰り返しているとのことでした。私はお見舞いにも行けず、学校で講義を受ける気にもならず、ひたすら鶴を折っていました。そんな時に、携帯電話に着信が。知らない番号でしたが、出てみると、集中治療室の電話からかけてくれたKでした。今日は体調がいいので、電話をかけるのを許されたのだと。はじめはいつもの世間話をしていましたが、「お前最近学校ちゃんと行ってるのか」と聞かれ、「大丈夫。ちゃんと行ってるよ」と言うと、彼の口から「頑張れよ!」って。涙が止まりませんでした。私は涙を流している事を悟られないように、普通っぽく電話を切りました。その電話が彼と言葉を交わした最後でした。数日後、彼は亡くなりました。最後まで一生懸命に生きました。抗がん剤の副作用と、移植の副作用に一生懸命に戦っていた彼が、こんな私の為に「頑張れよ!」と言い残してくれた事。15年たった今でも、何かあるたびに、私はその「頑張れよ」を思い出します。私はちゃんとできているだろうか。彼に恥ずかしくない生き方をしているかどうかと。
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お前は誰にも迷惑をかけていないと言う。でもたくさんの人に迷惑かけてんだよ。とくに一番の被害者は未来の自分。未来のお前を殺すな。
絶望に打ちひしがれたとき、「もう死のうかなと」ふともらしてしまった時、恩師が放った詞。
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あなたが、どんなに私を傷つけても私は許せる。私には、あなたが必要だから。
仕事先で失敗ばかり繰り返していた時のことです。私は自暴自棄になって、当時の彼氏に八つ当たりばかりをしてました。そんな時、彼が私に言った一言です。この世で彼が唯一の理解者であり私の味方だと、初めてそのとき分かりました。私は、この人を大切にすべきだと学びました。
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その嘘を隠す為にまた嘘をつくの?
彼氏に唯一ついていた嘘。それが彼に伝わってしまった時に友人が囁いた言葉。このまま嘘をつき続けることが、どんなに意味の無い事かを教えてくれました。
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君のやりたいことをやればいい。それを親も望んでる
最近とある知り合いが言われた言葉です。やりたいことが出来たんですが親に迷惑かけたくなくずっと今の仕事をしてます(今も)それで相談したらこの言葉を言ってもらい、考え方が変わりました。まだ時間は掛かりますが頑張ります
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ほら、よく言うだろ。人生には無限の可能性があるってさ。僕はそんなの信じてないんだ。いつだって選べる道は少なかった…。時には道は一本しかなかった…。だから、僕はその道を選ばなければならなかった道を大切にしたい。
僕はいじめられていたけど、この言葉を聴いて運命を感じた。生きてて良かった。これからは明るく生きようと思った。
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どうせお前は何処にいっても同じこと言うんだろ。
通っていた予備校が自分は嫌いでしかたなく、同じ予備校の友人に「あそこ全然良くない。」と言っていた時に言われた。その時は笑って終わったが、あとで考えてみると本当にそのとおりだと思った。予備校だけじゃなく、あらゆる場所で愚痴ばかりこぼしていた気がする。結局、自分は何処にいっても「今」に満足できず、あら探しをしていただけなんだと気づいた。
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あなたと出会っていなかったらどんな道を歩んでいただろう?
人と会うだけで、自分の人生が変わる。もし、その人と出会っていなかったら全く違う未来が待っていたかもしれない。いつも、人と出会うたび思う。また人生が変わるんだなって。
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皆の前でムリして笑ってるアンタも、一人部屋で泣いてるアンタも…結局は、どっちも自分なんだよ。
中学校生活がとても辛かった。クラスではイジメが流行り盗難も出て。私自身は被害に遭わなかったが、感受性が人以上に強い(らしい)私はそれを見ているのも嫌で登校拒否になりました。それで久々に学校へ登校したとき、部活の顧問の女の先生がこの言葉を私にかけてくれました。本当に、素晴らしい先生です。人生の中でも有数の素晴らしい人だと思っています。その言葉がキッカケで色々と自分を家族に出して、本当の気持ちを伝えて、学校を転校しました。あの先生の言葉が無かったら私は今も一人部屋で泣いていたと思います。
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諦めきれぬ事があるならば諦めきれぬと諦めればいい。
初恋の人の卒業文集に添えた言葉です。初恋の人には彼氏がいますが私は今でも好きです。諦めたくてどうしようもない時期もあったけどやっぱり好きなんです。好きな人の言葉だから…。
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おまえは生きてくれよな。
初めて本気で好きになった人がアメリカへ引っ越すことになり私も空港まで一緒に行くことになりました。その人のお父さんの車で行ったんですけど、ダンプカーと接触事故、とっさに彼が私をかばってくれたので私は軽傷で済んだんです。でも彼は…もう救急車を呼んでも間に合いそうにありませんでした。その彼が私に言った最後の言葉です。この時、私の運命は大きく変わりました。
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未来なんて誰にも分からないんだ。だから最後まで意地悪く、我武者羅に自分を…自分のプレイを貫き通せ。
この言葉は中学三年のバスケの県大会でコーチから言われた言葉です。残り5秒で相手ボールで2点差で負けていた。その時タイムアウトをとったコーチが言ってくれました。この言葉を聞いて諦めの心が消えてました。そして残り0.5秒で逆転3Pが決まり、その先の大会へ進むことが出来ました。この時のコーチの言葉が無ければ自分たちは勝てなかったと思います。
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たまには息抜きしていいんじゃない?でもやるときはマジでやろう。
正直、先生に怒られまくってた時に友達が言ってくれました。私にとって忘れられない言葉です。
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俺はかなりのプラス思考だからなあ。
スキーのインストラクターが言っていた言葉です。その時、私は落ち込んでいて…。何気なく言った言葉だと思いますが、すごく励まされた気持ちになりました。
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もう離さない、離したくない。
彼はメル友で私に事情で3ヶ月以上音信普通の時があったんです。彼にどんなに会いたかったか、いつも月を見る度に「彼に会わせて」とお願いしてたある時、突然彼から素敵な和歌が送られてきて心配してる…と。私が既婚者で彼は独身、結婚という形はとれないけど彼とは好きあっています。もちろん身体の繋がりは一切ありませんが、心はいつも繋がっています。この状態が許されるならずっと彼と解り合う関係でいたいと。
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他人の足を引っ張るな。他人の足を引っ張ったって、自分の高さは変わらない。
ついこの間の終業式の日担任に言われた。もうすぐ3年になるが受験やだなーみんな頭よくならなきゃいいのに、と言っていた自分が恥ずかしくなった。がんばる
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目の前にドアがあったら、とりあえずノックしてみろ。必ず誰かが出てきてくれる。出てきた人が、君にとって必要な人なのかどうかは、その人の顔を見てから判断しても遅くはないだろう?
どうしても納得出来ないことで上と揉めて会社を辞めた後、気分転換で行ったイングランドで言われた言葉です。好きなサッカーを観戦した後、独りでバーに入って飲んでいると、マスターが話し掛けてきて身の上話になり、上の言葉を言ってくれました。全てのことに対してやる気を失い、物事を斜めからしか見れなくなっていた僕は、この一言で、とにかくやってみよう!という気持ちになれました。これがなければ、未だにうじうじといぢけてたかもしれません。
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体をはれ!それがお前のプレーだろ。
これは野球の試合で尊敬するコーチから言われた言葉です。オレは下手なくせに、調子こいてて、つらいことから逃げてばっかりでした。そして試合でエラーをして、ふてくされていたところにコーチが来てこの言葉をオレに言いました。もうやるしかねえ、って感じでがんばりました。今もこの言葉、胸にしっかりと刻んで野球をやっています。あとで知りましたが、スラムダンクにも同じような言葉が出ていました。
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もう何をしても何も言わないよ。ただ、後悔だけはしないで。後悔だけは。
不特定多数の人と付き合ってて、本命の人もいる友達に何を言ってもだめなときに言った言葉です。その時はふ~んと聞いていた友達ですが、後日やっぱ後悔はだめだよね。と、考え方を改めたようでした。
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正しい事ばかりしていても幸せになるとは限らないんだよ。
中学2年生の頃勉強ばかりで何もかもがイヤになった時本でこの言葉を見て目が覚めた。何も勉強が全てってわけじゃないんだと思った。今ではこの言葉を胸におき遊びも勉強も大事にし楽しく過ごしてます。
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「傷つくのが怖い」って思ってる内は、まだ相手より自分のことが好きなんだよ
好きな人に告白しようか悩んでいた時、その事を友達に相談していました。その時に「振られちゃったらどうしよ…傷つくのが怖いょ…」って言った時に、その人に言われた言葉です。そうなのかもしれない…と凄く心に残りました。
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まあ、俺と付き合った女ってみんな最後君みたいに狂って終わるよ(笑)
人生めちゃくちゃになっちゃった。一緒になって少したったころからこの人はおかしいってわかった。人間ぢゃないんだ、心がないの。でももう愛したあとだった。彼とさよならすることに比べたらどれも耐えられた。きっと縁きれたほうがいまの何倍も何十倍も辛いと思ったからそれ以外のことはなんだって我慢できた。時が経って私は壊れてた。気付いたときは全部失ったあとだった。泣き疲れて意識がなくなるほど涙がボタボタボタボタただひたすら流れて彼が頭から消えてくれません。感情はなくなりました。ただ残像に残っている光景全て涙がでてくるんです。
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一度しかない人生だ。でかい賭けにでなけりゃ意味ねぇな!つまんねぇ、そんな人生、生きてぇか?ダイナミックにビッグに死にてぇか?
これは某歌詞の一部なんですけどオレはこの言葉に胸を打たれました。目立ちたいというのではなく、人は死ぬ時のために生きていると考えました。この言葉でオレの人生の道は確実に大きくカーブしています。
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もう20年以上生きてしまったから…失くしたくないものがたくさんできてしまったから…だから…生きていたい。
脳の血管に病いを生まれ持ってしまった彼女は、中学生の時に意識を失い、奇跡的に生還しました。手術の為、髪の毛は全部剃られて、術後は手がうまく動かせず、うまく話す事もできず。でもみんなと友達と一緒にいたかったから、ひとりぼっちはいやだったから、リハビリをたった一ヶ月で退院し学校に復帰したそうです。もちろん学校では帽子をかぶったまま…。そして彼女は成長し、社会人となり、なんの支障もなく暮らしています。ただ、15錠もの薬を毎日服用している事も、病気の事も、誰にもうち明けられないまま。それを言ったら、みんな怖がって離れていってしまうから。現実にいつ再発して倒れてもおかしくないという彼女と出逢って、僕は初めて「生命(いのち)」について本気で考えました。生きたくても生きられない人がたくさんいるという事を実感しました。「自殺」に怒りをおぼえました。僕は彼女に出逢って生き方が変わりました。だから僕は彼女に出来る限りのことをしました。そして僕がいつものように体調を確認した時の彼女の言葉です。身体が震えて、涙があふれました。
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お前は雑草だ。いつ、どこに行っても生きていける。何度も踏み潰されて強くなれ。不器用に生きてみろ、人とは違う強さが得られるから…。
高校を辞めて沖縄でダイビングのインストラクターになろうと先生に相談したときでした。最初はありきたりの返事でどの先生にも反対されましたが、自分が真剣だと理解してくれた先生が言ってくれた言葉です。進学校だったのですが周りと違い、当時の自分は反抗的でその先生とはしょっちゅう取っ組み合っていて、互いに怪我もしました。自分を一番理解してくれていないと思っていたのですが、沖縄に行くのに賛成してくれたのはその先生一人だけで、一緒に親も説得してくれました。その言葉と先生が忘れられません。
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桜吹雪の中を大好きな人と一緒に歩きたいな、って思ってたの。
学生時代に言われた言葉です。「桜吹雪」とは弘前城公園の桜の回廊のことで、いつか一緒に行きたいね、って話をしていた時に、ふと彼女が呟いた言葉でした。でも春休みに僕が帰省している間、彼女は不運にも交通事故にあってしまい、僕の前からその姿を消すことになってしまいました。泣いて、泣いて、泣いて。でもどんなに泣いても彼女は戻ってこない。七回忌の墓参りのとき、一人で弘前城公園に行ってきました。桜吹雪を見たときは正直かなりグッとくるものがありましたけど。その後お墓に行き、彼女の墓前で「今まで君との思い出が俺を支えてくれていた。ありがとう…これから前に…進むから。」と報告してきました。自分勝手と言う人もいました。新しい恋をしたらと言う人もいました。(恋はまだいいや、とも思いますけど。)でも、いつか愛する人ができたら、その人にはこの事を話したいと思います。そして一緒に弘前城の桜を見に行こうと思います。自分が自分であるために。なにより彼女がこの世に生きていた証として…。
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だってさ…平和な日常なんてある日突然壊れるもんだろ?だからオレは、何が起きようとも、たとえ誰が裏切ろうとも、その現実を受け入れる。それだけだ。。。
彼が、友達に裏切られたときに言った言葉です。僕が「落ち着いてるね。あいつと仲がよかったからもっと落ち込んでるかと思った。」って言ったら、この言葉が返ってきました。こういう考え方ができるってすげぇな~って思いました。。
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馬を水際までは連れていけるが、飲むか飲まないかは馬次第だ!
これは、私が高校球児だったころ私たちの監督が言った言葉です。昨日大リーグ挑戦を決意した某プロ野球選手を育てた監督で、私達に甲子園の近くまでは連れていけるが、そこからつかむか逃すかはお前達次第だ!!ということです。この言葉を教訓に必死に頑張ったのですが、監督のお言葉通り準決勝まで進みました。私達は水を飲み損ねたんでしょうね!!
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明日死んでもいい今日を生きてますか?
高校時代の担任の先生の何気ない言葉でしたが、今でもこの言葉を胸に1日1日を後悔なく過ごしています。明日死んでも後悔のない今日を…色々な物に感謝しありがとうと心から思える自分に
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…だけど夢を心に描くだけでなく実現するということは、平穏な日常では不可能な気がします。夢を形にする力は、自分をどこか非日常的な、どこか狂的な空間に投げ込まないと湧き出てこないのではないでしょうか。明日が見えない場所でないと、本気で別の明日を観たいという欲求は出てこないのではないでしょうか。少なくても、私という人間はそうなのです。私は初めて、自分を少々痛めつけてみようと思いました。
この言葉は、野沢尚著「ラストソング」という小説のなかの言葉です。ぼくはこの言葉に、頭を100万回殴られた気がしました。そして、ぬくぬくとした当時の仕事から、ほんとに自分のやりたいこと、心の底からやりたいことをやろう、と思い音楽関係の仕事に転職しました。今、ものすごくつらいです。もちろん家にも帰れない生活です。けっこう後悔してます。でも、この言葉を読み返しては、もう少し、もうひといき頑張ろうと思っているこの頃です。
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運命は変わらないって誰が決めた?
最遊記(峰倉かずや)の映画ポスターに書いてあったコトバです。運命ってコトバを「変わらないもの」とか「変えてはいけないもの」とか考えていた私にとってすごく衝撃的なものでした。それからは運命になんて束縛されなくなったし、はっきりいうと、神様だって信じません。ただ、あるがままに己を生きる。そうやって生きていくことを教えてくれたコトバです。
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そこにはれなの幸せはないと思うよ…。
"これは、今の彼に言われた言葉。私はある男の人からストーカーされて、私が付き合わなければ、自殺すると言って、自殺を繰り返していて、向こうの親が出てきて、結婚してあげて欲しい…この子の命を救うために…って言われてね、私は正直精神的に追い詰められて、この人たちの言うことを聞いてしまおうかと思ってしまって…そのときにね、まだ友達だった彼がこの言葉を言ってくれたの。そこには""れな""の幸せはないと思うよ…この言葉が私を正気に戻してくれた…そして、本当の幸せと本当に大事な、愛する人に気づかせてくれたの。彼は遠く離れたところに住んでいるけど…会えないけど…彼の言葉にはすごい力があると思うの。"
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勉強はすればするほど可能性を広げる。
これは某ドラマで言っていた。K・Tが学校の先生してるやつ…確かにそうやと思った。自分自身もっと勉強していれば親にレールで引かれた人生じゃない人生を送れていた気がする。
嬉しかった言葉
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いつか絶対に一緒に働こう。○○に出会えて本当によかった。
私に“夢”をくれた先生の言葉です。私はその先生にずっと憧れていて、勇気を出してやっといえた「先生のような先生になりたい」という言葉に、先生がこの言葉をくれました。教師になるという夢は、一度あきらめていた夢でしたが、先生に出会い、やっぱりあきらめたくないと強く思うようになりました。この夢をかなえることが出来たら、私は本当に幸せです。先生、ありがとう。そして、待っててね。
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お前がキャバ嬢だってお前わお前やんか俺の女にわ変わりねえよ
夜の世界に入ってアフターや同伴が増え彼と会う回数が少なくなった時にゆわれた言葉…
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俺、久しぶりに恋をした。あまり一緒にいる時間は少ないけど、俺の心が癒される人はマミしかいないと思った。ただ黙ってマミを抱き締めてるだけでも俺は幸せな気持ちになる。大好きだよ。傍にいてほしい。離したくない。
今付き合っている彼からもらったメールの一部です。彼には家族がいて、私と彼とは不倫関係にあります。彼とのメールのやり取りの中で、ふと私が「このまま傍に居ててもいいの…?」と聞いた後に届いたメールです。2人の将来に対して漠然とした不安に襲われていたときにもらったので、思わず涙がこぼれてしまって…人生で初めて、心の底から「この人とずっと一緒にいたい」と思わせてくれた言葉です。
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楽しい時、嬉しい時にあれだけ感情を表に出せる人間はそういない。それができる☆★ピンク★☆はすごいし人を幸せにする能力があるんだよ。知ってる女にもない。☆★ピンク★☆にしかない。いいもんもっとる。
自信をなくしてた私にある先輩がふと言ってくれた言葉です。うちの一番いいところらしいです。なんか照れくさいなあ、けどほんと嬉しかった。自信がもてそうです。
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しょぼい酒としょぼいつまみとしょぼい話で朝まで盛り上がれる。これが友達でしょ。
いつものように飲んでいて友人が言った一言。感じの良い飲み屋とかじゃなく、買ってきた安いお酒と安いつまみにたわいもない話。でも朝まで盛り上がれる、本当の友達は雰囲気も酒もつまみの関係ない、一緒にいて楽しくて時間さえ忘れさせてくれる。本当に酒を飲んでいて楽しい瞬間を味わえる。進学で地元を離れるおれに友達が言った一言。もう会えないわけじゃないけど。居なくなる事の寂しさを上手に伝えてくれた。お前もあっちでそんな友達つくれよと。それが俺たちの幸せで、喜び、今まで普通にやってきたことが、実は親友の証だった。そう感じて涙が止まらなかった。
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atuがいなくなったら俺はからっぽになっちゃうと思う。
このときは、私の誕生日に少し彼氏さんが機嫌悪くなっちゃって、喧嘩っぽくなったときにメールが来て、言ってくれたんです。自分も一緒のこと思ってたから、すごくうれしかったです。
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俺は17歳を経験したけど、君は36歳を経験したことはないんだから、無理して俺に合わせる必要はないんだよ。俺が合わせるから、君はゆっくり大人になればいい。
☆実はこのコメント、「恋人」からのものなんですけど、同時に「先生」からのものでもあります。☆4ヶ月前から通い始めたコンピュータスクールは、社会人ばかりで高校生の私は浮いた存在でした。そんな中で、気を遣ってくれたのが先生でした。でも告白しても年が離れすぎてて絶対にフラれると思ったから、「じゃあ告らせよう!」って決心したんです(笑)。☆で、頑張ってアピールしてなんとか告らせることに成功♪でも自分からアプローチしたくせに、大人な先生になんとか対等に見てもらいたいくて必至に大人っぽくしてたんです。でもそれがどうにも上手くいかなくて、ある日先生に「先生私が子供っぽくて我儘でごめんね。頑張って先生が恥ずかしく思わない彼女になるね」って言ったら、このような返事をもらったわけです。これはかなりうれしかったですね。これで、なんか心にのしかかってた重荷がすって取れた感じでした。
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探しに探したけど総士ほど私を理解してくれる人はいなかったよ。
3年付き合った彼女に突然ふらた。理由はいまだにはっきりしてない。と言うか理由がたくさんありすぎるのかもしれない。そんな彼女が1年たって会ったときに車の中でポツリといった言葉。それまで彼女との恋愛を引きずってた俺にはとても嬉しい言葉だった。それにこの言葉のおかげで俺はあきらめがついた。
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ああ、おまえなら大丈夫やろ。
高校受験を目前にして私がナーバスになっていたとき、小学生の頃からつるんでいた友人に雑談中言われた言葉。その次の日が私の受験日で、他の人とずれていましたが、そんな事は全く知らないはずなのに。自分の事を掛け値なしに信頼してくれる彼のその一言がとても嬉しくて、受験当日はものすごく落ち着いた状態で臨めました。当時付き合っていた人にも「頑張れ」と言ってもらいましたが、そのインパクトに比べれば全然でしたね。今でも勝負所ではこの言葉を思い出します。
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よくがんばったね。
これはテストの点数を見せたときの塾の先生の反応です。正直、悪い点を取って少し自分は落ちこんでいました。親にも誉められたって、なんだかうれしくなくて…。そのとき、先生はこの言葉をかけてくれました。先生にとってはなにげない一言だとしても、私はとってもうれしかったです。
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○○○、早く来いよ。
この言葉は自分がみんなに無視されているかも?って思っていた時に仲のよかった友達が言ってくれた言葉です。その時は学校を一週間ぐらい休んでいたあとだったので、みんなの話の中にもついていけなっくって一人で席に座っていた時にその友達が言ってくれた言葉です。たったこれだけの言葉なのに自分の中ではこの言葉が一番嬉しかったです。今でもその友達とはバカなことをやったりして楽しんでます。
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あなたらしく生きなさい。
"20歳の誕生日に届いた母親からの手紙の一節でした。親元を離れて海外で暮らしていたので、私の将来の希望とか結婚観を全く知らない中での言葉でした。まだ、20歳というのもあるし悩んではいませんでしたが、自分はどうなるんだろう?最終的にはどこで暮らしてどんな仕事をしたら良いのだろう?などと、考えてみたりしたのは事実で、""日本に帰りたくない""とは何度か伝えたと思います。実際の手紙の中でのフルフレーズはこうでした。「あなたが何処にいてもいい。誰と結婚してもいい。どんな仕事をしてもいい。ただ、あなたがあなたらしく生きていれば私はそれでいい。」ほぼ、放任的に育てられていたので、いまさら何を?と、思いましたが、改めて20歳の親からの言葉として受け取ったときは、とても勇気付けられました。どんなプレゼントよりも嬉しい手紙であった事は、言及するまでもありません。"
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でも、俺マジおまえ尊敬すんぞ!すげーよ!
僕は中三の頃、結核に校内感染しました。サッカー部だったのですが、6ヶ月間の薬の内服期間中は激しい運動ができないためよく休んでいました。サボり魔、仮病野郎というレッテルをはられレギュラーからも当然はずされました。その頃は、何もかも嫌でたまりませんでした。しかし、合宿の地獄(これ以外の言葉が考えつきません)の走りこみが僕の立場を変えたのです。僕は脱落する仲間を尻目に全て走りきりました。みんなが驚いて言った言葉です(一人でジムで特訓していた)。
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俺がお前の傷、消してやる。
前付き合ってた人への思いが消えず、傷ついて傷ついて、私は「私、一生あの人が忘れられないんだ!あの人と付き合っていられないなら生きてたって意味がない。」と嘆き悲しむ日々でした…。そんな時、男友達が私にかけてくれた言葉です。今、彼と私は付き合っています。傷も徐々に消えていっています。彼の言葉に本当に感謝しています。
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まあ、俺らは相手に見返りを求めてないけどな。
中学3年の時に転校してきた彼が最近言った言葉でです。僕らはよく自分が買ったマンガとかを相手に貸していました。それが当たり前だと思っていました。そんなある日、僕の買った小説を彼が見た後に、その小説について話していた時に彼が言った言葉です。…僕にとっての「当たり前」がこんなにうれしくなるようなものだったんだなあ…。
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勉強だけが人生じゃない!いくら頭が良くて学歴優秀でもその人がどう生きるかが大切だ。
娘のことをいつも気にかけてくれます。勉強やってるか?高校受験!私の心配する顔を見て彼は娘にこう言ってやれってね。翌日娘に伝えると目を輝かせてうなずいていました。始めて心から頼れる人に出会いました。彼を敬愛しています。
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お前がすきだからだよッ…。
あたしは好きな人がいて、この言葉はその好きな人に言われた言葉です。あたしは一年間ぐらいその人が好きでした。でも、その人は女の子に凄くモテるひとで、何回も付き合ってるのに、すぐ別れてしまうんです。だから「なんで好きな人と付き合ってるのにすぐに別れちゃうの?」って聞いたら、「好きな人となんか付き合えてねぇよ…!」っていわれて、「え?なんで?」ってきいたらいきなり下を向いて、耳まで真っ赤にしてこの言葉を言ってくれたんです。あたしは嬉しすぎて彼の前で号泣してしまいました。彼は小刻みに震えた手で涙をそっと拭ってくれました。彼とはまだ付き合っています。今もう、4年になります。
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よく、戻って来た!さあ、来いよ!!一緒にやろうぜ!
この言葉は、中学生の時、休部していた部活に戻って行った時に先輩から言われた言葉で、スゴく嬉しかった言葉です。
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ゆうきがサッカーやってるとこも好きだし、はにかんでるトコもすきだし、にやにやしてるトコもすきだよ。
これは俺が付き合ってる人から言われた言葉です。これを言われてうれしくてなきました。いまもでも仲良く付き合っています。
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私らの仲は永久やで。
仲のいい、先輩がいます…年も少しばかり離れているのですが、同じスポーツをしていて意気投合になりました。その人は社会人になった今も実業団でプレイしてます。今年高校3年で進路を決めかねているとき…同じスポーツでつながっていた部分もあり、もし私が大学に進学してスポーツをしなくなったらもうあえなくなるかもしれない…遠くの大学に行くかもしれないし、迷いに迷ってる中思い切ってメールを打ちました。「もし、私がスポーツをやめることになっても今までどうりいてくれますか?」返事は「もおおおおお~~ちろおおん♪私らの仲は永久やで」涙が出ちゃいました。。私はスポーツを大学でもまたすることを決心した言葉でしたし、嬉しすぎました。
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幸せにする自信はないけど、僕が幸せになる自信はある…。
何か知らないけど心を魅かれた。
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親になんていわれようとふりきるだろうけどなあ。
私は彼と結婚を親に反対されたらどうする?っていう話をしてたんです。そしたらこういう言葉をいってくれました。何も考えずすぐにでた彼の言葉。すごくうれしかったです。彼をさらに好きになりました。
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痛かったでしょ。はやく治りますように…。
はじめてリスカしてると人に言いました。それはこの人を信用してるから…。そして彼はこの言葉を言って、傷にキスしてくれました。すごく嬉しかったです。
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「大丈夫ちゃんと伝わるから。
どうしようもなく気が滅入って、とても塞ぎ込んでいた時。いたたまれなくなって、考えてた事を全部メールに書き並べて友達に送ったんです。そのすぐ後に貰ったメールの、一番最初に書いてあった言葉がこれで…。「ちゃんと解ってくれる人が、わたしのことを思い考えてくれてる人がいるんだ」って思って、本当に久し振りに泣きました。今でもそれがいろんな意味での支えになっています。
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お父さんと結婚してよかった。
大学へ進学し親元をはなれた私にくれた母からの手紙に書いてありました。私が幼い頃夫婦喧嘩をしては愚痴っていた母だったのでその一言が嬉しくて涙がでてしまいました。私もお母さんお父さんの子供でよかったよ。
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もう空気というか空間。
私の去年の誕生日のことです。「前世で?!きっと何らかの関係があったのかなと思うほど、○○は私にとって当たり前の存在なんだよねぇ。もう空気というか空間!ものすごく大切なのよ!分かってる?!」そう言われたんです。20年の付き合いになりますが、本当に最高の親友です。本当に嬉しかったので「分かってるよ!誰よりも私のことを知ってるのは●●なんだから。前世からなら、来世もよろしくね」そう、言って笑いあいました。
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だから何?綺麗な人間なんているのかな?俺は自分が大事だし汚い部分が結構あるさ。でも自分のイヤな部分も過去もひっくるめて今の自分なんでこれから先も別に気にしない。☆ピンク☆も理想の綺麗な☆ピンク☆なんかじゃなくて今までの色んな経験した今の☆ピンク☆で行くようになるんだからそれでイイんじゃないのかねぇ…やんなきゃ良かった、やっときゃ良かったなんて事、考えるだけで意味ねぇよな。これからの人生の選択の参考資料が「経験」だったり「失敗」なんだからよお。
これはうちがかなり落ち込んでたときにうちの大好きな友達がうちに何気なくいってくれた言葉です。うちは自分がすごく汚れててきたない、うちなんてボロボロの人間だって思ってた。けどこれを聞いてすこし楽になりました。頑張ろうってきになりました!ほんとありがとうってなんかいもいいたいです。
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ぼくの猫になって?したら飼い主しか愛さないからぼくがやきもちやくこともない
可愛いからうんっていっちゃった
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人ってさ、失ってから初めてその大切さに気づくんだよな…俺、失う前に気づいて良かったよ。
私はその頃、彼と仲がうまくいってませんでした。私は彼を愛していましたが、彼の気持ちが解らない毎日でした。そして、私が事故に巻き込まれて怪我をした時でした。どうやら彼には、詳しく伝わっていなかったらしく大慌てで彼が病室に入ってきての一言でした。それからは順調です。
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ママ、わたしってママのなあに?」「たからもの。
あまりにもつらいことが起きて行き場が無くなっていた時、病院のベッドで病に苦しんでいる母に、聞きました。そしたら母が即座にこう返してくれました。
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はずかしいけど…俺はおまえのこと一番だって思ってるから…。
英語の自習の時間、隣にいた彼が私に言ってくれた言葉です。嬉しすぎて頭の中が混乱しちゃったけど。それぐらい嬉しかったんだ☆私もあなたのこと一番だって思ってるよ☆
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絶対出来るよ。だってお前は俺が選んだ女なんだから。
私が宿題が終わらなくて彼氏に愚痴を言って居た時に言ってくれた一言。この時は本当に本当に嬉しかった!けどこの後すぐに彼氏に彼女が出来て私が振られました…。
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最近、がんばってるね。
毎日学校いくのが遅くて、これじゃあだめだと思い、学校に行くのを早めにした。そんな時、毎日校門の前で全校生徒に挨拶をしている先生に「最近がんばってるやんか。」と言われた。全校生徒を見ているのにオレを評価してくれた。うれしかったこのとき、必ず誰か見てくれているんだなと思った。
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……うん。
地元の宮城から東京に一ヶ月間出張していた時、週末に東京に彼女を呼び、その日宿泊した部屋で次の日見てまわる場所の相談をしていました。その最中に彼女の左手をそっと握って「薬指、予約しとくからね。」と発した言葉に対して、目を潤ませながら彼女がしてくれた返事がこの言葉でした。(今更ながら【まわりくどいプロポーズだなあ】と反省しきりデス…(^^ゞ)大学時代の共通の友人の結婚式で久しぶりに再会してから僅か三ヶ月だったのですが、自分にとっては大切な女性であり、ずっと傍に居て欲しいと思える存在。その人に自分の気持ちを包み隠さず打ち明けて、取り敢えず良い結果は出ました。これから先どんな事が有るのか全く予測はつきませんが、愛する人と手を取り合って歩んで行こうと思います。
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言い訳はいつだって出来る。だけど、カッコイイ台詞は今しか言えないと思ったんだ。理論とか後から付ければ良いって思った。だけど、俺はこの気持ち、今しか言えないと思ったから…。
幼なじみから告白の時に言われた言葉です。普段どおりに遊んでいたのに、いきなり「将来結婚しよう。」と言われて…呆然としている私に、彼が話してくれました。顔を真っ赤にしながら、今という時のために私に素敵な言葉をくれて嬉しかったんです。私も、ああ、そうだな。って。彼なりに今の気持ちを伝えようと考えて、それで私に気持ちを伝えてくれたんだな。って。私もこの言葉をモットーに発言とかしています。
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俺、○○を悲しませるんは嫌やから!
好きだった人からはいってきたメールです。その人に想いは伝えたけど…ダメでした…。振られたあと言ってくれた言葉です。嬉しかったけど、今はあなたを想うだけで悲しいです。あなたがいってくれた言葉は嘘だったんですね…。
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Ineedyou.
今も携帯から消せない言葉。あなたが、いっぱい考えて私に伝えてくれた言葉だと想うと…あなたらしくて…微笑んでしまいます。もう聞く事はできないけれど、今でもそんなふうに想ってくれていたら嬉しいなあ…ありがとう^^
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ありがとう。
その日の日直は私と彼でした。日直は放課後、教室の鍵閉めをする。私が鍵を持ってたら…彼が「やってくれるん?」だって!私がいいよっていったら「ありがとう。」って笑顔で言ってくれました。ありきたりな言葉だったかもしれないけど…うれしかった…。
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○○は私の、友達に対する意識を変えた一人であると思うな。私はまだまだ自己中で、自分の忙しいときはやっぱりほかのことが二の次だったのに、○○はそうじゃなかった。そのときやるべきこと、そのときしかできへん事をきちんとしてた。なにより、それが当たり前のようにしてた○○をすごいと思ってるよ。
これは、学生の時、精神的にひどく落ち込んで、人に会うことがとてもしんどくなり、学校にも行かず、一週間程欠席が続いていた時に友達からかけてもらった言葉です。自分が、今まで友達と接してきたとき、とっていた行動が、間違ってなかったと、とてもうれしく感じた言葉でした。
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お前は仕事は出来ないけど人には好かれるなあ。
これは以前勤めていた勤務先の上司が言って下さった言葉です。飲み会の席では皆の笑いをとって明るく振る舞えるのですが仕事面ではいつも自身が無くミスの連発ばかりの私でした。上司はいつも厳しく叱って下さって当然私は上司から嫌われてたと思っていたのでまさかそういう風に思って下さってたと知り思わず涙が出そうでした。
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出逢った事は幸運やね。
今でも忘れられない人からもらった長い手紙の最後に、綴られていた言葉です。二人とも想い合っていたけれど、付き合うことが出来なかったんです。今でも手紙は大切に持っています。
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ガンバレ受験生。
この時私は入試会場で指示された場所に座っていました。初めての入試ですごく不安で張りつめていた時にふと前の椅子を見るとその椅子には小さくこの言葉が書いてありました。それを見てどれだけ不安や緊張が解消され、勇気が出てきた事か。直接お礼は言えなかったけれどこの席のこの学校の先輩に感謝しています。思いを伝える事ってどれだけ巧みな技術を使って書けるかというのが問題ではなくて、書く人と読む人が本当に伝えたい、解りたいと思って初めて伝わるものなのではないかなあと思います。
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幸せに出来るかどうかはわからないけど、俺のところに戻ってくるか?
また別れてしまったけど今思うと一番あたしを愛してくれていた気がします。人は馬鹿な生き物…失うまで気づかないなんて…。彼と別れてすぐに別の彼氏と付き合いましたが続かず…。今でもたぶん彼が大好きです。
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……勘
「好きな人がいるの…」というと彼が「告白すればうまくいくかもよ?」っていったんです。なんで?と聞き返すと上の言葉が返ってきました。彼らしいと微笑んでしまった言葉です。
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○○がおらへんくなってから、さみしくてさみしくて、ほんと何にも手につかへんかった。○○がいてくれたから頑張ってこれたって気付かされたわ…。さっきな、やけ酒してしまってて。でも、○○が戻って来た。ほんま夢みたいやわ…。
彼氏が自分の時間や、資格の勉強する時間にいっぱいいっぱいで、私に会ったりする時間がなくなってた時、彼から別れ話をされました。まだ大好きだったけど、大きい夢を目指してる彼を応援したかったから別れました。1週間後、私の部屋から彼の荷物が全部なくなると、途端にさびしくなり、すっごく苦しかった。泣きながら友達に電話すると、「まだ好きなら会いに行って気持ちぶつけたらいいと思うで?○○が後悔せんように」、そう言うわれ、ハッとしました。その夜すぐに会いに行き、「電話もメールもあんまりできんくてもいい、全然会えんくてもいいから、一緒におって」そう泣きながら彼に伝えた時、ぎゅっと抱きしめてくれて上の言葉を言われました。
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お前のことが好きだから、時間かけて言い争ってでもお前のこと解っていきたい
性格が真逆で毎日彼と喧嘩ばかり。そんなある日言われた言葉。面倒くさがらずに私とちゃんと向き合ってくれようとする彼に感謝の気持ちでいっぱいでした。
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突き抜けている、そんな青空がやっぱり美穂にはぴったし。
大好きだった人がいってくれた言葉です。言葉にならないぐらい嬉しく、涙が出てしまいました。泣いちゃってごめんね。大好きだったよ。ありがとう。
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そんなことで、ぐだぐだ悩んでないでさ。前を見て歩けよ。
僕があやまちをした時、すごく気になって悩んでいた時、友達が励ましてくれた。とってもうれしく、涙が出そうになった。
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お前なんか、忘れたくても忘れられん。
卒業式の、最後の学活の時僕はある友達に、「俺のこと、忘れんなよ。」って言った時に、返って来た言葉です。相手は、皮肉っぽく言ったんだと思うけど、僕は嬉しかった。人や思い出を忘れなければ、その人と一緒に生きているような気がするから…。本当に嬉しかった。友達に感謝したいです。これからは、自分の道を精一杯歩んでいきたいです。自分の為に、そして仲間の為に…。
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19歳の女の子に惚れると思わなかった…。
これは、大学の先輩に言われた言葉です。先輩とは2つしか年が違わないのですが、私が子供っぽくて(背も低いし…。)妹みたいだから出た言葉なのでしょう。その先輩はいろんな人にアプローチしている人だったので、付き合うことはありませんでしたが、素直にうれしかった言葉です。
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あけましておめでとう
最後の別れ、、、あなたとセフレになった私。今まで片想いの付き合いをしてきてありがとう、ごめん、おめでとうのメールもくれない人だった。だけど…セフレの私に最後のあなたとの12月31日あけましておめでとうって言ってくれた。嬉しかったょ。またね。
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世界中の男の人がみんな○○君だったらよかったのに…こんなに泣かずに済んだのに…
18歳の時に恋に悩んでいた女友達の相談にのってあげていて言われた言葉です。男として最高の誉め言葉だと思いました。そう言われてから不確かだった自分のアイデンティティや、男としての言動に自信がもてるようになった気がします。
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嫌いになるわけないじゃん。俺はずっと大好きだ。
お互いに違う高校進学して、なかなか会えなくなって、さらに向こうは部活で疲れてメールも返ってこない。すごくすごく不安になってしまいました。ある日、彼氏からメールが来て「○○にこくられた。面倒くさいから俺たちの事いっていい?」って言われました。そのとき「もう嫌いになられたかと思ってたよ。」って送ったら返って来たメールの内容です。♪彼氏とはまだ続いています☆
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なにがあっても私はあんたの味方やから。
めっちゃ好きな人がおって、その人のこととかで、いろいろ悩んでるとき友達が言ってくれました。
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「味方はここにも一人いるそれを忘れないで?」
生きる事が苦痛だった私。自傷行為を繰り返しては自己嫌悪に陥っていた私。そんな私に彼が言ってくれた言葉は今も私の心の支えです。
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あー…れんちゃんに会いたい…れんちゃんに…ぎゅってしたい…
久しぶりにメールをしていた友達にいわれた言葉友達は高校別になって、部活をやっていてゆっくりメールする機会がなかったからほんとに嬉しかった!
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うちあんたのこと好きやった。
これは、僕が転校する日いわれた言葉です。僕が、好きだった女の子だったので、とにかくうれしかったまた、会いたいなあ。
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練習以上のことなんか本番でできるわけないねんから、いつもどおりでええねん。練習どおりにやったらええねん。
クラブの最後の大会の前日の練習後にコーチの先生が言ってくれた言葉です。他の子はそうでもなかったみたいなんですけど、不安でガチガチになってた私にはとても嬉しい言葉でした。そのおかげでいつもどおりのプレーをすることができました。そして、念願の優勝をすることができました。引退してからはあの先生には会っていませんが、いつかお礼を言いたいと思います。
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誰が死んだって悲しいだろ。
リストカットをしている。とその人に告白した時に「やめろよ」っていっぱい言ってくれてたんです。私は長生きが出来ないとかくだらない事言ってて、「死んだら死んだでそのときはその時だから。」とか意味分からないこといってたら、この言葉を言われました。死にたいけど死ぬ勇気もないので、生きてますけど、かなり励みになった言葉です。
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生まれ変わっても、また平次君の彼氏になってもいいかなあ?
僕が彼女と一緒に帰ってるときの話題で生まれ変わったらなにになりたい?って聞いて、彼女が上の言葉を言ってくれました。正直うれしかった。ずっと自分のことを思ってくれる人がいる。とてもうれしい。
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パーティーは10時からだから、はやく来いよ。
私は、11~15歳まで親の都合でアメリカに住んでいた。そして、今年、久々に日本に帰ってきた私にアメリカに行くまで付き合っていた彼氏が言ってくれたのがこの言葉。でもその人には新しい彼女がいた。それを知ってかなり落ち込みモードだった私に、おどおどしながらも彼が言ってくれたのがコノ言葉。私の帰国記念パーティーで、行かないつもりだったけど、なんだか気分が明るくなって結局行って思う存分楽しみました。
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本当の息子のように思っていた。
小さい頃、父が死に、代わりに育ててくれた義理の父が最後の時に言ってくれた言葉。ケンカばっかで、俺のいう事を聞いてくれない頑固な親父だったけど…。俺もあんたのこと本当の父のように思ってたよ。
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はげてもいいよ。SはSだもん。そんな事で嫌いになったりしないよ。
「俺遺伝的に将来はげるよ。」って言ったときに当時の彼女に言われました。このコはほんとに俺のことが好きなんだなあって思いました。結局別れてしまったんだけれども…。ほんと今でも心に残ってます。
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男も女も関係なく、はとりが好きやねん!
高校生の頃、世間の目に負けてしまって愛してやまない彼女と一度別れてしまったのですが、1年以上たって再びボクとつきあうことになったのですが、その時に彼女が言ってくれた言葉です。姿形は関係なく、ボクを好きだと言ってくれたこの言葉がとてもうれしかったです。
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結婚がしたいんじゃない、お前が好きだから…ずっといっしょにいたいから結婚を選んだだけ。
結婚に不安になってるとき、彼がホントに結婚したいのかどうかわからず、ただ結婚したいだけなんじゃないか疑っていた時、彼と喧嘩してしまいました。その時言ってくれた言葉なんですが、その時はその気持ちが判らずにそれっきりになってしましましたが、今は、その気持ちが痛いほど判るけど、それっきりになっちゃいました。
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あなたの夢が私の夢やから絶対あきらめんとってや。
仲の良かった先生が卒業のときに涙を流しながら言ってくれました。私の夢は先生のように人の幸せを願うような人になることです。
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私が悪役になるぶんにはいいから。
なにかを相手に注意するのは誰でもしたくないもの、でも誰かがしなきゃという時、いつもしてくれている先輩がいます。最近注意してくれたので、そのお礼といつも嫌な役目をさせて申し訳ないといったら、この言葉が返ってきました。本当にありがたい言葉だとおもいました。
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○○(あたしの名前)は俺の心の鏡だよ。
大好きだった彼がくれたメールに書いてあった言葉。その後に「お前が疑心暗鬼になれば俺もなる。お前が俺を好きでいてくれるなら俺もお前を好きでいる」って書いてあったんです。この言葉を見た瞬間「ああ、この人なら信じられる」と思いました。彼とは別れてしまったのですが、今までで一番幸せな時間をくれた人でした…。
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女を泣かした野郎は俺がぶっ飛ばす。
恋人に振られて泣いていた時に、友達が言ってくれた言葉です。「あ~、やっぱり友達っていうのはいいな…。」そう思った瞬間でした。
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思いつめて自分を傷付けたりするのは俺がゆるさんぞ。確実にそれで傷つく人はここに居るから。
私の大好きな友達が言ってくれた言葉。私は近くに本当の自分をさらけ出せる友達がいなくて、いつも一人で悩んで一人で考えて、一人で泣いて…、その繰り返し。気づいたらリストカットをしようとしていた自分がいました。その時に友達からもらったメールです。私は一人じゃない。
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人は人を好きになると、優しくなれるんだね。
彼女に言われたんです。普通の言葉だけど、なんか感動しました。
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バイバイ
この言葉を聞くだけだと寂しい感じに取られると思いますが、私にとってとても嬉しかったある男子に言われた言葉です。今年の春は授業も一緒でよく話をしていてちょっかいとか出し合っていたのですが、なぜか私の方がなんとなく避けるようにしてしまって、それは周りの女の子からモテていたので私は邪魔だなと思って身を潜めるようにするようにしていました。本当は今まで通りにしたかったのですができなくて…。それからと言うもの向こうは気づいたのか会うことも勿論話すこともなくなりました。でもその後、彼を混ぜて飲み会があって飲んだのですが、私は疲れていたのもあって寝てしまったり、酔っ払って変な行動をとって皆に迷惑をかけてしまいました。久々に会ったのにこの有様、しかも初めてで…。もう私何やっているんだろうと思って、それからというもの会う機会はなぜか増えるようになったのですが、お互い挨拶はせずにいました。後から聞いた話ですが、友達が彼に「春は仲良かったのに今は話さなくなったね」って聞いたら「何その言い方、今だって仲良いし」って言ったらしいです。嬉しかった。けど、私を慰めようと思って友達がそう言ったのかもしれない。いや、それは素直に受けようと思っています。ですが、それ以降もすれ違っても、そしてお互いいると分ったらそこを敢えて通らないように遠回りして…。そしたら今日、私が一人でバス停の前で待っていたら横からトントンって方を叩かれて私の顔を見て一言「バイバイ」って言って彼は帰って行きました。なんかとっても嬉しかったです。彼は大人でした。
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ばんびに戻ってきてほしい。
友達とトラブルがあり保健室登校していた時のこと。保健室にクラスの子全員が迎えに来て言ってくれた言葉です。思わず涙が出てしまいました。その時私は人間不信気味だったのですがこの言葉のおかげで「友達っていいな」って思うことができました。
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○○(私の名前)と一緒にいると楽しい。
何気なく友達から言われた言葉だったんですけど、その頃私は「私の存在してる意味って何だろう?」とか自分の存在意義について、人知れず悩んでいた時だったんですごく嬉しかったです。目の前じゃ照れくさくて言えないけど、この場を借りて言いたいと思います。「友達になってくれてありがとう!」あの時の言葉、すごく嬉しかったよ!色々と迷惑かけるかもしれないけど、これからもよろしくね。
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月を残して帰れるわけないじゃん
私が先生に怒られて、時間が長引いてしまって、みんな帰っちゃったけど、一人の友達だけが怒られてる間一人で待っててくれていた。「なんで残ってるの!?」って聞いたら「月を残して帰れるわけないじゃん」って言ってくれた。こうゆうのが本当の友達なんだなあって思いました嬉しかったです!
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ちゃんと帰ってくるんだろう?待ってるからさ
以前勤めてた会社で部署が変わって間もない時に言われた言葉です。なかなかスムーズにこなせず、正社員になって間もない時に部署異動されました。そこでもなかなか思うように作業出来ず、モヤモヤしてた頃にある一人の先輩に言われました。その後も何人かに言われ、思わずその場で泣きそうになりました。出来が悪いこともトロいことも分かってたはずなのに、まさかそんな言葉をかけてもらえるとは思ってもみなかったので、すごく嬉しかったです。もしもう一度会えるなら…あの時声をかけて下さった方々に「あの時は声をかけて下さってありがとうございます!」と言いたいです。
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何にも変わらないよ。
遠い場所に離れる事になったあなたに、不安で苦しくなるくらいでいた私に言ってくれました。心配した自分が恥ずかしいくらい…。距離は人の心まで離してしまう気がしていたのに、あなたの言葉で、肩に入ってた力が軽くなりました。私はそれだけで、あなたを待てる気がします。元気で、笑顔で、あなたに会える時間まで…。ありがとう。
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お前のことを大切にする。もう、二度と泣かすような事はしない。待つよ。
逢いたい、逢いたいって…でも、不倫してしまいそうで、逢う勇気がなかった。黙り込んで泣いてしまうとごめんって。何度あったっけ、そんなこと…。で…3回目だったね、そう言ってくれたの。
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一人で戦ってるんぢゃない、みんなで戦ってるんだよ。だから自分を責めるなよ?失敗を恐れるな、仲間がついてるから。
試合のとき、ミスをして落ち込んでいるときに仲間に言われた言葉。自分のせいで…でも仲間が言ってくれたこの言葉が胸に響いて頑張る!って思った。結果は負けたけど仲間の大切さを知ることができた。
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お前らは、いつまでたっても可愛い生徒や。
私は吹奏楽部をしていて、九州大会にいけなくて凄く悲しんでいたときに先生が言ってくれた言葉です。私はこの言葉を忘れることがありません…。とても、先生が大好きです。
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先輩は俺がいないとだめだな。
彼は大学の1年下の後輩で、片思いの相手でもありました。仲は良かったです。ある日大学からの帰りに駅のホームへ続く階段を階段を駆け上っていたら、私は転んでしまい、そのときに彼が言った言葉です。片思いをしている相手から言われた言葉だったので嬉しかったのですが…でも、彼の本心がわからず苦しかったです。その後結局彼とは両想いになることはなく、お互いに別の人と結婚してしまいました。
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もっと前からお前と遊んどけば良かったし。
高校1年のときクラスは一緒だったんだけど、まったく喋った覚えもなく高校2年はクラスが違ったけど修学旅行で仲良くなり高校3年でクラスが一緒になって遊ぶようになった。それで、不意に「お前とおると楽しいから高校1年ときから遊んどけば良かったわ」と言ってくれた。あいつにとっては何気ない言葉かもしれなけど俺にとっては本当にうれしかった。
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切れるんじゃなくて、そっと置くだけだよ。
電話での話中、その繋がりが糸電話の細い糸のように思えて、糸電話のように思う話をした後、「電話を切ったら糸もプチンて切れる気がする…。」と言った私にかけてくれた言葉。「置くだけなんだから、また繋がるよ。」その何気ない一言が、ふわあっと私の中に広がって、とっても安らいだ気持ちになりました。
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みんながみんな、羅馬みたいな考えで生活してくれていたら良いのにな。
私がある事で熱血先生のY先生の所に相談しに行った時に、ふと言われた言葉。あの時は全身の力が抜けました。自分の事をこれだけ信頼してくれた先生は今まで一人たりともいなかった。あの時の事、絶対忘れない。そして、絶対純粋な気持ちでいてみせる。スカートの丈短くて、先生の話もろくに聞かない、勉強もしない…。そんな中学生になってたまるか。
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俺何でこんなにお前のこと好きなんだろう
相手がいくら好きだといってくれても、自分に自信のない私は素直に受け止めて返事をすることができませんでした。そんなときに電話で彼が私にいった言葉です。この言葉で、彼を信用するきっかけになりなした。まだ付き合ってはいないけど私も彼が大好きです。
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興味がないんじゃない。信用してるんだよ。
全く束縛してこない彼。「遊びに行ってくる」って言っても、誰と?ドコに?なんて聞かれない。帰りが遅くなっても電話もこない。付き合って3年も経つから、もう自分に興味がないのかなって思い、あてつけで浮気をしてしまった私。彼に、浮気したことを言ったときに、この言葉をいわれました。自分はなんて自己中で愚かなんだろう…。後悔と彼への申し訳なさで、死んでしまいそうでした。今でも彼とは付き合っています。彼の気持ちがちゃんとわかったから、もう二度と馬鹿なことはしません。
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おまえがテンション低いとやる気でぇへんねん。
いろいろあってすごく落ち込んでいたときにいってくれました。すごくうれしかったです。がんばろうと思ったしげんきもでました。
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お前は宇宙一大切な人だからな。生まれ変わっても親友だよ。嫌なもの全てからお前を守ってやる。世界中の人がお前の敵になってもうちはお前の味方だから。大好きだよ。
中学に入ってからの親友の言葉です。男っぽい口調だけど女ですよ。私にとっては大切と言う言葉だけでは足りないぐらいの存在です。他にも思わす号泣してしまうような言葉を言ってくれました。本当の私を見てくれて、真正面から私のことをいつも見てくれます。そんな友達は他にいないんです。辛いことがあっても乗り越えられたのは、この人がいてくれたからです。これからたくさんの人と出会っても、この人以上の存在になれる人は現れないと思います。ずーーっと親友だよ。
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絶対「なりたい」って思ってる。今は、ちょっと疲れてるから考え込んでるだけ。
小さい頃からの夢だった介護の仕事を始めて3ヶ月で、ストレスに負けて仕事を辞めた私は「介護」って言う夢を諦めかけていた。本当に介護の仕事をしていいのか?また挫折するんじゃないか?毎日、毎日1人で悩んで苦しんでいた。誰にも相談できなくて1人で泣く日も、たびたびあった。そんな時に男友達が言ってくれたのが、この言葉だった。もう無理だなあ~って思ってて「本当の夢」を諦める寸前でした。この言葉のおかげで、私の夢は変わらないままです。
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なんかあったらいつでも言いなよ?年中無休でうけつけるから♪
これはこの前、ある友達から言われた言葉です。好きな人と友達、両方のことで悩んでいました。この言葉を言われたときはすっごくいれしかったよ。それに心も晴れて、メッチャ元気になれました。本当に、本当にありがとうね!
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たまには泣いて弱さ見せてくれたっていいじゃん。泣くのって悪いことじゃないだろ?
これはクラブの試合に負けて、悔しかったけど必死で泣くのを我慢していたときに見にきていた友達が言ってくれた言葉です。それまで私は、人に弱さを見せられないことがありました。そんな私を助けてくれた言葉です。
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「気をつけて帰ってきてね」その言葉だけでまたあなたに依存してしまう。俺だけに言ってると思って…。
当時職場の上司と不倫中で、もう別れようと思っていて話をしていたら、以前私が彼に言った何気ない一言がこんなに彼の心に響いたんだ、と思った。
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痛かったやろ?頑張ったね。えりのは一人じゃないよ。みんなおるで。だからもう、こんなことせんといてな
上の言葉は、私がリストカットしていることをその友達に話した時に言ってくれた言葉です。話したらものすごい泣いてくれて、泣きながら上の言葉を言ってくれました。その言葉で、私は泣いてしまいました。それから傷跡が隠せるようにと、私の誕生日の1月に、リストバンドを買ってくれるそうです。やはり、話してよかったと、心からおもいました。
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向日葵は太陽のほうをずっとみている。キミも向日葵だね。んで太陽がおれ。
その通りです。私は彼氏をずっとみてました。それに気づいてくれる彼氏がいて、はずかしかったけど、でもどことなくうれしかった。
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辛い時いっぱい助けてもらったね、ありがとう。
高校の卒業式が終わった後の送別会で、6年間(私の高校は中・高一貫制なので)ずっと一緒だった友達から貰った言葉です。彼女はすごくしっかりした人で、私は世話をかけっぱなしですまなかったなあ…とばかり思っていたのにこんな事を言ってくれて…。すごく嬉しかったです。
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ずっと友達これ約束。
仲直りの言葉。
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うち、ちいちゃんの書く習字大好きなんだよね。
あたしの書いた習字を見て友達がいってくれた。すっごい嬉しくて泣きそうだった。
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沙織は俺にとって最後の女やけん、これからもずっと一緒にいような。
つきあい初めて間もない時に、雅規は真っ直ぐな目で「沙織は俺にとって最後の女やけん、ずっと一緒に居ような」って…。その言葉を聞いたときは涙が出てきて大変でした♪今でも彼とは仲良くやってます♪
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お前のことを俺が幸せにできなかったときは、あいつのところに行ってでも幸せになって欲しい。
これは前に付き合っていた彼にいわれた言葉です。彼と付き合って2日目に彼とすれ違いがおきました('・c_・`;)そのときに他の人に告白をされ、迷った末に彼と付き合っていくと決心したあと、彼が言ってくれました。お互いのすれ違いを「ごめんね」と謝り、これからのことをちゃんと話して、そしてあの言葉を.*(>ω・`)+こんなに想ってくれる人がいることを幸せに思いました。彼とは長くはつづかなかったし、あたしは傷付けて振り回してばかりだったけれど、今でもメールをしています(・∀・)ありえない位の気まずさも笑、今では元通り友だちのようになれました∮*゜(○'v`pq)゜*∮この場を借りて伝えたい…あたしはあなたと付き合って良かったと思っていること。本当は今も好きだということ。もう一度とは言わないけれど…「決してあたしを忘れたりしないでね」って。
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お前なら何でも出来る。
仕事が出来なくて、一生懸命頑張ったら上司が言葉をかけてくれた。
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お前なら大丈夫じゃい。一人が怖いなら、オレ頼れや。オレは信じとるけん。
好きじゃけど思いを伝えれなかった人に言われた言葉…この人は今現在忘れられない人になった。これから先この気持ちは変わらない。
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自分色に輝いてやれ。一度決めたら這いつくばってでもやってやろうぜ!夢を諦めたら輝きはそこで消えちまうからな。そうなったらもう死んだほうがマシだぜ。遠く離れた島国にも同じ気持ちを持ったバカがいる事を忘れんなよ。
将来について色々悩んでいたときに日本にいるお友達に相談に乗ってもらって言ってくれた言葉です。自分色に輝いてやれ…というのが一番心に響きました。この言葉を言われてからは自分をスキになり、自分らしく生きようと心に決めました。今は「なりたい自分」も見つけ、毎日夢に向かってがんばっています。人って言葉だけで変われるんですね。
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○○(私の名前)が男だったら絶対に○○に告白するよ★
うちの女友達がうちに言ってくれた言葉です。なんかマジで嬉しかったです。うちが色々あって落ち込んでる時に、ふと言ってくれた言葉。こんなに自分のことを想っててくれて嬉しかった。すっごく元気でたし。こんな友達大切にしたいと想った。
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君と逢えて良かった…。
夢のために僕は彼女を置いて、遠くに旅立ちました。この言葉は彼女が最後に僕に言ってくれた言葉です。今でも目を閉じるとこの彼女の言葉、そしていつも僕を支えてくれた笑顔がよみがえってきます。
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よく頑張ったねもう頑張らなくていいよ。ゆうはいっぱい頑張ったよね。もうこれ以上頑張らなくていい。
嬉しかったです…。すっごく…親友からもらった言葉が嬉しくて。すべて嬉しくて…頑張ったねって言われて、もうがんばらなくていいよって言ってもらって…勇気づけられました。
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イズもあまり無茶するなよ。私は気長に待ってるからな。
ワタシの元・好きな人から…。その人とは今は会っていませんけどね…。この言葉はワタシがその人に恋してしまったからこそ聞けた言葉だと思います。その人に告白したんですがダメでした…。それから2ヶ月程会えなかったのですがちょっとしたことがあり、会うことになりました。その時にある約束をしました。そして半月ほどしてメールをしたんです。その返事がこの言葉。約束のこととは関係にないこと、相手のことに気を使った言葉を送ったんです。返事の期待もしてなかったのに、即返ってきたし、なによりこの言葉がうれしかったです。逃げているであろうあなたに…。いつまでも逃げないで。ワタシはいろいろ前進しています。だからあなたも一歩でいい、前進してください。そしてなにかしらのヨイ知らせがお互いできることを祈ります。
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それがようちゃんのいいところ。ようちゃんの優しさはきっとみんなを幸せにするよ。優しくすればちゃんと返してくれる人もいる。優しさが返ってくればようちゃんはまた優しくできる人でしょ。そうしてようちゃんの周りは幸せな人がいっぱい出来てその人たちに囲まれてようちゃんはきっと幸せになれるよ。
優しさだけは誰にも負けない自信があった。でもその優しさを裏切られた。俺の優しさは誰も必要としていないんだと本当に沈んでいたときに友人が言ってくれた言葉です。ほんとうに嬉しくて涙が溢れた言葉です。その友人がいたからこれからも優しい自分でいられる気がします。
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あのな、なぜか今ふと思ってんけど。結婚しよか。
ある日、いきなりメールで送られてきた言葉。ずっと前から結婚しようとは言ってたけど、こんなにはっきり言ってくれたのは初めてで…。読んだとたん感激で涙が止まらんかった。「こんな大事なこと、メールじゃなくて直接言ってよ」って言ったら、「うん、そうやな。じゃあまたちゃんとプロポーズするわ」って言って、付き合い始めて6周年の記念日に「こんなびんぼったれのときに言うのもなんやけど、絶対結婚しよな」って言ってくれた。そのあと彼は彼のお父さんに、私にプロポーズしたことを報告したらしい。ずっといっしょにいられるんやって思ったら、すっごい嬉しかった。いまでも思い出すと涙が溢れてくる言葉です。
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あきらめたらダメだって。○○○なら大丈夫だって。だからあきらめんな!
これは、5年生の行事、「野外活動」のときの登山のときです。登山なんて初めてで、初め頃は先頭に立つくらいピンピンしてたのに、だんだん登り坂がはげしくなってきました。がけっぷちに来てしまいました…。恐くて恐くてたまらない私。もうリタイアしちゃおうかなとも思ったそのとき、クラス子に助けられました。「あきらめんな!」「せっかくここまで自分の力で登ってきたんだからここであきらめたらソンだよ」「頂上についたらいい空気すえるよ。達成感っていう。一緒に登ろう?」って言ってくれて、その言葉に応えないなんて私がソンしちゃうって思って、頑張って頂上まで行きました。おべんとうは、もう疲れすぎて食べれない…。どろんこになって、涙で顔がぐしゃぐしゃになったけど頂上まで登ったときの私の顔は輝いていたって友達がいってくれました。大人はよく、「頑張ればいいんだ。」ばっかり言うけど、ただ頑張ればいいってモンじゃない。頑張らせたり、それでいて自分が頑張るのはおまけ。みんなで頑張らないといけないっていうことを、野活、集団活動で思い知らされました。
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俺、たなの事好きだよ!友達としてもだけど、一女として大切な、好きな人だよ。でも今は彼女が好き!!
10年近く前に別れた元彼が送ってくれたメールです。別れてもぎくしゃくした関係にはならず、地元の友達として皆で集まっています。今では二人とも、一番大切にしたい人がいるのですが、そんな中で大切な「仲間」としてお互いを想い合えている事がすごく嬉しかったのです。なので最後の「でも今は彼女が好き!」という一言がなければ、私にとってこのメールはとても憤慨だったでしょう。私たちは二度と彼氏と彼女という関係には戻らないし、私は戻りたいとも思いません。でも、彼という「仲間」を失いたくないと今はそう思います。
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オレ、もうキューピットは必要無いわ。また、来世でヨロシクって感じだわ。
彼氏が、私にこう言ってくれた。もう恋のキューピットは、現世では必要無いらしい。キューピットさん、ありがとうって…。今日言われて、ホントに嬉しかった…。
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馬鹿な話ができるってすっごいいいことやねんよ。だって、それだけお互い気許してるってことっしょ??でないと、馬鹿話なんてできないじゃん。マジメな話も確かに大切やけど、馬鹿みたいにお互いにぎゃーぎゃー騒げるって、あたしからみたらめっちゃいいことやし、羨ましいよ。
友達に恋愛相談したときにいわれた言葉です。私がずっと友達やと思って人、好きになっちゃって、それでどうしようもなくて、相談したんです。その女の子も彼の事は知ってたんですけど、その子とは結構マジメな話ばっかりしてるみたいで、私は彼とは馬鹿みたいに騒ぐ事しかあまりしてなくって、私って信頼されてないのかなあ、とかあんたが羨ましいよ、とかっていってたら言われました。すっごくほんまに涙でるくらい嬉しかったです。
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お母さんね、ちゅみがいて本当に良かった
私が朝起きるときお母さんが起こしてくれました。起きた瞬間お母さんがこの言葉を言ってくれました。なんかよくわかんなかったケドすごくうれしかった!
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何時も一番に思っているんだよ。だからもう俺はだめだとかは聞きたくないよ。もうだめだっていうのは100歳のおじいさんが言う言葉。可能性に満ち満ちている○○の言葉ではないですよ。
前期期末テストが終わって、某科目で赤点をとった私。自分の進路に不信を感じたと母に伝えたらこういってくれました。おかげで後期中間はそこそこ上がりました。母は僕にプラス思考で生きることの大切さをおしえてくれたのです。
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そこじゃ、アヤコは泣けないだろうからとにかく頑張るんだぞ。こっちに帰ってきたら、思い切り泣いていいから。
これは大学時代に、父を亡くし間もなく母も亡くした時、付き合っていた同じ大学の彼が私宛に書いた手紙の最後の一節です。当時、地方から札幌の大学に進学していたので、父の看病の為帰省して母の葬儀まで約半年以上の間、彼とは会うことが出来ませんでした。もちろん、Telで話もする暇がありませんでした。同じ高校から一緒の大学に進学した友人が母の通夜に来た時に、彼からの手紙を手渡されました。付き合って2年。私のことを充分理解している励ましの手紙でした。私は彼の手紙に書かれていた通り、人前でも一人の時でも泣かずに(と言うか泣けずに)周りからは「しっかりしていてエライわね」などと言われるような振る舞いをしていたのです。読み始めは、“なぜこんな事が分かるのだろう…”と不思議に思いながらも安心感を覚えつつ読み進めましたが、最後の一節が私にとって一番嬉しい一言でした。心の拠り所を見つけられた気がしました。父、母を亡くしてから初めて涙を流す事が出来ました。めまぐるしく時間が過ぎていた私にやっと休息を与えてくれた言葉でした。勿論、その晩は何ヶ月ぶりかの熟睡ができたのは言うまでもありません。
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本当は誰も嫌いになんかなれないから。
小学校のとき、ずっと対立していた子がいました。その子とはクラスも違ったせいで話すことも会うこともなかったのですが、あるとき私の通う塾に彼女が入ってくることになったんです。私はそのことに悩み、いっそのこと違う塾に変えようかとまで考えたのですが、いざ会ってみると、彼女は少しも嫌そうな感じもさせず私に話しかけてくれたんです。私はもちろん嬉しかったのですが、不思議に思い、彼女に訊ねてみました。するとこの言葉が返ってきたのです。そのあと、彼女曰く、「春一が私のこと嫌ってると思ってたから」とのことでした。ああ、なんてことだろう。そう、単なるすれ違いだったわけです。私は何て無駄な時間を過ごしたのだろう。でもこうして彼女と分かり合えたことがとっても嬉しかったです。たった一言で世界が開けたように感じました。
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おまえなら絶対やれる。自分を信じろ。そして、運命をかえてやれ。
中学の時、僕は勉強や部活が上手くできずに悩んでました。「やっぱり、僕には何もかもが上手くいかない運命があるのかなあ。」と、落ち込んでいたときに親友がこの言葉をかけてくれました。かなりうれしかったです。自分が望んだ未来は、はじめから、ない…だからこそ努力して夢を掴み取るんだということを感じました。僕はこの言葉を胸に刻み込み、今日も夢を掴み取る為に、精一杯努力しています。
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私があんたの全部を引き受けるから。
仕事場の同僚との関係で悩んでいたときに、前の仕事場の先輩が言ってくれた一言でした。仕事を変えようか迷っているときに、その先輩から、もう一度戻ってこないかという誘いを何度か受けていました。それでも私の心の中に迷いがあって返答を渋っていたんです。そんな私の気持ちにケリをつけてくれたのが、この一言でした。その瞬間、ああこの人についていくしかないって……。涙が出るほど嬉しかった。
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寝るときはちゃんと布団かけて寝なさいよ。
大学受験で「受験」「合格」「勉強」以外の言葉が母から聞かれなくなったある晩、私の部屋に母が顔を出したときの言葉です。本当に何でもない言葉だけど、あの時はそんな言葉すら口に上らない母になっていたので、胸にきました。てっきり「勉強してるの」という言葉が来るものと思っていたものですから…。
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俺も本当に好きやった」「お互い、よりよくなるために別れるんや。
嬉しかった言葉でもあり、哀しかった言葉でした。6年間付き合った彼に別れ際にいわれた言葉。彼とは結婚を望んでいたけれど結婚できませんでした。私が「本当に好きだったのに」といったら、それまで私の前で泣いたこともなかった彼が電話口でこういってくれました。とても辛くて、今も耳に残っています。会えなくて彼にとって自分がどんな存在なのかとても不安に思っていたけれどその一言で彼が本当に私を愛してくれていたんだ、好きでいてくれたんだということが本当にわかった一言でもありました。…時間がたった今、彼に愛してもらえていたことがどれだけ私を支えているか…。別れてしまい、今はお互い別々の道を歩いているけれど、同じ地球上、同じ時代に生まれてきて、出会えたことをとても幸せに思っています。そして私が明日も元気に生活できるのは彼もきっと元気に私が好きだった彼のままで今も頑張っていると思えるから…彼にもまた新しく愛する人が現れ、新しい人生をスタートさせたようです。私にも新しく愛する人が現れて新しい生活がある…時々哀しくなるけれど、私たちが別れた理由は「お互い、よりよくなりたい」というため…彼はきっと新しい生活を大切にできる。私も彼との約束を守ってこれからの人生、よりよく生きたい。彼のことは一生涯、私は忘れません。本当に全身全霊で大好きだったから…出会えたことに感謝しています。
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俺ら友達やんな、これからも今までみたいに友達でおろな。
これは学校の男友達から言われた言葉です。そんなこと言うような奴じゃなかったからビックリした。でもなんとなく嬉しくて「うん、当たり前やん」って答えました。
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ソロ、良かったですよ。絶妙なテンポで上手かった。次も頑張れ、な?
中学2年のアンサンブルコンテストで、顧問の先生に言われた言葉です。金管八重奏でやった曲は、私の長いソロから始まるものでした。表現がない、とか、音が小さい、とかといつも先生に叱られて、出来ないのが本当に悔しくて必死で練習していました。本番終了、結果は地区落ちでした。元々無表情だった私は当然泣きもしなくて、周りで泣いている子達を慰める役でしたが、その時に背中を叩いてかけられたこの言葉を引き金にしてぼろぼろ泣いて先生を慌てさせた記憶がありますwww
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あなたがいつか告発してくれると思っていた。あなたを信じていた。
学校の終礼の時に私をいじめていた奴になぜいじめているのかをみんなの前で尋ねたとき、その当時の担任の先生が言った言葉。いじめが原因で人間不信に陥っていた私にとってはとっても嬉しかった言葉です。後で知ったことですが、私がいじめられているのを知ってて、私があの時言わなかったなら、先生が言おうと思っていたそうです。
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それでいいのか。
柔道の団体戦の試合で私だけがずっと勝てなくて、みんなの足を引っ張ってて、試合に出たくないなと思ってたときに、試合が始まる直前に知らない中学校の先生?が私に「それでいいのか!?」「お前がいるから試合になるんだ!!頑張れ!!」と勇気付けてくれました。私は、(私のことをこんなに応援してくれてるんだ。私はその期待にこたえたい。勝って強いって認めてもらわなきゃ…)試合が始まってないにもかかわらず、その場でうれしくて涙が出てきました。試合は惜しくも負けてしまったケド、その人は私によく頑張った。って言ってくれました。私は泣きながら「応援ありがとう御座いました。次は頑張ります」って言いました。私は来年に向けて頑張ってます。またその人に、今度こそは勝った姿を見てもらいたいです。
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私は絶対に否定はしないのだから。
面と向かって、自分の想いを言葉で伝えられなかった日の夜、メールでこの言葉をくれました。凄く嬉しくて、涙が出ました。
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結果が出ちゃったことはしょうがない。けどまいが頑張った事は合格だよ。
これはわたしが受験の時に言われた言葉!すごい落ち込んでたときこの一言に涙と感動。今は友達として仲良しです。
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お前は俺のライバル。夢追いかけていくなんてかっこいいよ。うらやましい。俺も夢に向って進んでいくから。まけないから。…だからさあ、さよならとか言わないでくんない?
私は今自分の夢を叶えるために留学しています。日本を離れる前日に付き合ってた恋人から言われた言葉です。お別れの言葉ではなくこんな言葉を言ってくれて本当にうれしかった!今は恋人ではなくお互い夢に向って頑張っているライバルみたいな存在です。
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振られても、振られなくても、あんたが幸せならそれでいいさ…。
この言葉は私に告白した男の子の言葉です。その子はとても私に優しくしてくれます。だけど、付き合うにはまだ早いと思って返事をなかなか返すことができません。そんな時に、その男の子からこのメールをもらいました。彼はとても私のことを思ってくれているんだな、と思いました。とってもやさしい男の子です
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愛してる。愛してる。愛してる。…
お揃いの携帯電話。メール制限文字いっぱいに…愛してる。愛してる。愛してる。…の連続。この言葉に変わる言葉があるのかな。もう、嬉しくて、嬉しくて振るえてしまった。
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ひとりじゃないからな。
私がストレスに押し潰されてOD(薬を必要以上に服用する事)をしてしまい、学校で気分が悪くなって早退する時に言った担任の言葉。あの時は、ただの気休めにしかならなかったけど、本当は泣きたい位嬉しかった。「ありがとう」って、言いたかった。でも、吐き気で言えなかった。もう、ODなんてしません。
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おまえ頑張ったよ、おつかれさん。
私の兄が最後の夏、甲子園予選でボロ負けしてしまい試合後に選手控え室で泣きじゃくっている時、私が兄に言った言葉です。私にも兄にもたぶんきっと一生忘れる事のできない短い夏でした。お兄ちゃん、9年間ずっと野球を続けてきてご苦労様でした。あの時の努力は無駄じゃなかったよ。
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いつでもおいで
私が不登校でいるとき、わざわざ担任の先生から電話をしてくださって……。それは「いつまでサボっている気?」だとか「ダメなヤツだ」とか、そういう内容ではありませんでした。「みんな待ってる」「いつでもおいで」という温かい言葉をおっしゃって……。あるとき、私は途中からでしたが、学校へ行きました。校門を抜けると、みんな窓をあけ、身を乗り出してまで私に手を振ってくれたり、私の名前を呼んだり、おかえり!と叫んだり……。私はとても嬉しかったです。
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よーし、お父さんひじきおかわりしちゃうぞ。
中学生の時、父の日に、自分一人でお父さんのために料理をした事があります。家庭科の授業でちょっと習ったぐらいだったので、できた料理を味見したけど、はっきり言ってまずかった…。それで、こりゃあ失敗だな…と思って、作り直そうとしたんですけど、お父さんに止められました。そして勝手に皿に盛り、食べて、一気に食べてこの言葉を言いました。目に涙浮かべてて…そうとうマズかったんだよね。…結局、お父さん全部は食べれなかったけど、うーん、娘のために必死になる姿はかっこよかったよ。
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俺、お前に会うまで帰れないから。
海外に留学し、体を壊し一年間日本に帰りました。途中、もう海外大学卒業を諦めて、日本で働こうかと思っていた時、電話越しで友達から言われた言葉です。待っていてくれている人がいる、支えてくれている人がいる。帰らなきゃ、もう一度頑張らなきゃと思わせてくれた言葉です。
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悩んじゃダメだよ??絶対に…。○○(名前)はただ単に、自分が思ってることを素直に俺に言えばいいだけなんだからね??
私が、彼氏と付き合っている時に、友達が私と彼氏の事でいろいろもめてたり、家で付き合うの反対されたりしてて、一人で悩んでた時に、くれたメールの一文。今はもう、自分の彼氏じゃないけど…。この言葉見るたびに別れてしまったことを後悔してます…。
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気配りの出来る人みたいだから…。
心から好きで、結婚まで考えていた恋人に突然振られて連絡も取れなくなり、ご飯も食べる事が出来ない程悩み苦しんでいたその時、ふとしたきっかけから入学したてでそんなに親しいわけでもなかった短大の人気者の男の先生に相談して、「ずっと友達にも誰にも言えなかったし、泣く事も出来なかった。」と言った時に言われた言葉。この時から私は彼に思いを寄せるようになり、何度か諦めようとも思ったが、未だに諦め切れない理由も胸の奥に絡み付くこの言葉にある。
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もしなんか言われたたら○○ちゃんがソイツんとこボコしにいってやるよ。
友達にいい顔ばかりしていた私はいつしかそれが癖になっていて自分でもそれが普通になっていた頃、姉に友達のことを話していたら姉に色々と言われ、自分が知らないうちに疲れていたことが分かって、その途端何でか分からないけど涙が溢れ出てきました。そのあと私が不満の言葉を言った時に姉が言ってくれた言葉です。[○○は姉の名]
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あなたの笑顔のためなら、俺は努力を惜しみません…。
後輩に言われた言葉です。その頃の私は、本当に弱くて、いつも不安でした。でも、その言葉のお陰で、前よりずっと明るくなれたんです。今ではその後輩が、私の大切な人となっています…。
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泣くぞ、すぐ泣くぞ、絶対泣くぞ、ほーら泣くぞ。
病気の父が死に際に泣きそうな僕に言った言葉です。父らしい言葉でした。涙がとまりませんでした。父は態度はでかいし、自信過剰だし、僕にもあまりやさしくしてくれませんでした。でも、今思えば、父は不器用ながらも僕を愛していてくれたのだと思います。
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「××、笑って」
私が精神的に不安定だった時、自分から大好きだった彼氏と別れを告げました。理由は、自分がパニックになってそんな私を彼がいつも落ち着かせてくれた。だけど、パニックになった時「殺して」とずっと連呼していた私を彼は悲しい顔をしていました。だから私の言葉で彼の心を傷つけたくなかったのです。そして、私は家に帰り、落ち着かなくて部屋の掃除を始めました。本棚から一枚のメモが出てきて、私はメモを見ました。そこには「××、笑って」彼の字でした。そして、私のアクセサリー入れの箱を開けるとそこにもメモが、「××の側にいつもいるよ」そう書いてあって。私はごめんなさい、とメモを握りながら泣きました。メモは未だに何枚か見つかります。私が落ち着いたら、彼にまた告白したいと思います
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外にでるのが辛いなら、俺らが無理矢理連れ出すよ。車で迎えに行くから。
大学をやめてから、自分は情けない、恥ずかしい人間なんだと、自信を失ってしまいました。それから、外出するのも苦痛で、心の病気のような感じになってしまっています。そんなときに、高校時代の友達数人と飲んだとき、泣きながら現状を話した私に、彼らがいってくれた言葉です。涙がとまりませんでした。一人じゃないんだって思えました。
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おめぇ、俺の方がドキドキしたっつーの…
酔っ払って家に帰ってきた時、仲の良い男友達にメールで冗談半分で「リズの事好き~??」って聞いちゃって、その返事が「好きだょ」でした。リズが「え、本気なの…??」と聞いたら、「ょくわかんねーけど、友達としても女としても好きだと思う。」という返事が。リズが「そっか。ちょっとドキドキしちゃった」とメールしたら、上の言葉を言われました。今でも友達のままだけど、素直に嬉しかったょ。
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いつも君が旅をしたり仕事で出かける国の地図を僕はまるで子供の様にはしゃいで見てるんだよそしてその瞬間を君と同じ様に過ごしたいんだ。
17歳年上の彼が言ってくれました。クールな人でいつも私は彼の気持ちがわかりませんでした…本当に私を思ってくれているのかと…ある日何気なく彼が言ってくれた言葉に涙が溢れました。私の亊を私のいない時でも考えてくれているんだ…と。そしていつも浅はかな考えをしていた自分も恥ずかしくなりました。彼の亊を素直に受け止める事ができました。
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「明るく楽しく元気よく」これ俺が好きな言葉。お前にぴったりだな。
これは運動会の打ち上げでキザゲームをしたときにちょっと気になってたクラスの男子から言われた言葉です。多分冗談まじりだったと思うけどすっごく嬉しかったし今でもその子の事が好きです。
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楽しければいっぱい笑って、辛ければ弱音ぶちまけていっぱい喧嘩しても仲良しこよしでワクワク生きようね。
大好きな彼女が言った言葉。当たり前のような事だけど、口に出して言われて涙が出るほどうれしく、余計彼女を愛おしく想いました。
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もっと自信もっていいんだよ。さーが後悔してたとしても俺はそうは思わない。さーだからこそあれだけの人たちが来てくれてるんだよ。俺としてはさーで良かったなって思う。さーだからこそ、ここまでやってこれたんだよ。さーが辞めたらあのHPは潰れるよ。
HPを開設して色んなアクシデントがおきて凄く自信を無くしててHPを閉鎖しようかと思ってたとき友達(一緒に管理人してる人)に話した時に言ってくれた。HPを作ったことに後悔したりしてたときにすごく励まされてそこまで言ってもらえたことが凄く嬉しかった。
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私を好きで居てくれてありがとう。つらいのに友達で居てくれるって言ってくれてありがとう。
心から愛していた人と別れた時に言われた言葉。本当に好きで愛して止まなかった人でした。私にとってはなくてはならない存在でした。でも、好きであるからこそ別れをしなければいけない時もありますよね。人は限界を悟った時に、心から本当に楽になります。辛くて悲しくてどうしようも無い思いが残るけど、それも一つの愛の形だと思います。彼女からは100の楽しさよりも1の辛さを教えてもらいました。かけがいの無い宝物です。今でも勿論、好きです。だからこそ、別の形で好きでありたいと望みます。友達以上、恋人未満。そんな関係を望みます。私は彼女以外、人を自ら好きになる事は無いでしょう。一生、彼女は私の中で、別の形で存在しています。
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一生一緒に生きようね。
既婚者男性である私も40歳半ばを迎え、年老いていく自分が怖くて、素の自分で話せる女性を探して、メル友サイトで投稿してました。一般には、こんな男からのメル友募集に対する女性の反応は、H目的、援助交際と思われる方が多く、「きれいごとを言わないでよ」「会ってやりたいんでしょ?」「オジサマなら2でいいよ」などといった返事がかえってきました。悔しかった。人からは、自分はそんなふうに思われてる年代なのかということも思い知らされました。諦め切れず、投稿を続けていたとき、同年代の女性からの返事が届きました。何度かメールのやりとりを繰り返すうちに、お互いに求めていることが似ていて、長文のメールで話が盛り上がっていることに気が付きました。今までの相手とは明らかに違うメールの内容。二人の約束として「会わない」「電話しない」「家庭を優先する」を決めて、正式にメル友夫婦になると誓い合いました。そして彼女からの一言。「一生一緒に生きようね。」嬉しくて涙が出ました。若かった頃の自分に戻れたようで、活き活きしてるのが、分かります。そんな二人で、なにか助け合いながら、かたちに残ることをしたくて、ふたりのホムペを始めました。毎日のメールでも、ホムペのカキコについての話題で盛り上がったりして、楽しんでいます。訪れる人の中には、既婚者メル友のキーワードから、不倫・浮気を期待してカキコする人も少なくないですが、気のいい友達も増え、始めてよかったと思っています。もちろん社会的に許される関係であるとは思いませんが、生きがいを見つけられたことは確かです。「一生一緒に生きようね。」二人の共通キーワードです。
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僕を嫌いにならないで…あこに嫌われるのが怖い…。
こんな狭いパソコンの世界…。彼は同じ30代で偶然にも近所。そんな彼は仕事の忙しさからか、女性との付き合いも少なく喋るのも苦手な様子でした。そんな彼がパソコンの中で言った言葉でした。今までそんな事なかったから、嬉しかったです…。お互い、なかなか会えないけど…りゅうに一歩近くなった様な気がしました…。
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人によって我慢できるレベルは違うから、我慢しろと言ったりはできないし、我慢できないというだけで、相手を非難はできないよ。
私自身出来る限り相手のことをよく見よう、悪口を言わないようにしようとしていますが、どうしても我慢できない女性(夫の大学時代の後輩の恋人、現在妻)がいました。彼女は私の友人たちにも不愉快な思いをさせたがあり、「彼女を連れてこないで」とか、「あなたの友達だと思うから我慢している」と言われました。何人かの関係のない人に相談すると「相手はあなたやあなたの友達より年下(7つ)だから大目に見たら?なんで我慢しないの?」と言われて、これ以上我慢するのかと不愉快でした。そのとき、上記言葉を言ってくれた友人がいて、少なくとも私の気持ちがわかってくれたのだと嬉しくなりました。
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かなりやがお姉ちゃんで良かった。
私の妹は中学生になった頃から荒れ始め、勉強しなくなり、登校拒否・万引き・夜間徘徊・シンナーと悪行は大抵してきた、いわば不良となっていました。小さい頃から周りに可愛がられ、要領の良い娘と育ってきたのに、なぜ…というのが周りの反応でした。姉妹から見ても本当に可愛いらしい妹だったので、あまりの変化に親も泣かす妹の変貌ぶりに憤りを覚えていました。どうして真面目に生活できないんだと…。私はそのころ中学3年生で、反抗期だったこともあり、顔を合わせる度に、ささいな事でも妹とケンカをしていました。そんなある日、妹から「お姉ちゃんがもっと恐かったら良かったのに」と言われました。私が真面目一直線で、地味で、物凄く大人しかったためです。そんな私を、嫌がっていたのでしょう。上級生や同年代にいじめられたり、いちゃもん言うわれても、私がお姉ちゃんだから、舐められてると…。私が大人しかったため、相手は何をしても仕返しする勇気などはないだろうということだと思います。私が高校に上がり、初めて、妹が容姿のことで上級生・同年代からいじめや・いちゃもんを付けられていたのを知りました。容姿端麗を羨んでの攻撃です。そのことが妹を非行に走らせた原因だと…。私は、しばらく自分の性格を恨みました。もし、私が強かくて積極的であれば、妹を守れたのにと後悔がめぐりました。その頃から妹に優しく接するようになり、わがままも大抵きいていました。それから、私は家を出て大学に入り1人暮らしをして3年が経った頃、妹から、私と一緒に住んで短期間だけど、働きたいと言ってきました。一緒に住み始めて、暇があれば温泉いったり、買い物につきあったり、ときにはダイエットのために歩いたりと一緒に楽しく過ごしていました。あるとき、一緒に外を散歩しながら歩いていると、妹が言ったのです。私が優しいお姉ちゃんで良かったと。びっくりしました。そして嬉しかった。恐いお姉ちゃんじゃなくて良かったって。もう涙がでそうでした。私は自分の性格が、妹を少しでも守ってやれなかった悔しさがあったのですが、妹はそれでも良かったと言ってくれたのです。そんな私が大好きだと…。この言葉はずっと心に残っています。
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これまでもこれからもあんなけ好きやったんはあいつだけやと思う。
私たちはお互いの為に別れました。その時、彼氏があたしの友達に言った言葉です。あたしもホントに同じ気持ちでこの先あの人以上に思える人はいないと思う。
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好きだよ。
付き合い始めて8ヶ月、恥ずかしがって1度も言ってくれなかったこの一言を2000年のクリスマスに海辺で言ってくれた…。思わず泣いてしまった一言でした。
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マンネリじゃなくて、軌道に乗ったって言うんだよ。
どちらかというと刺激的な恋愛を求める私にとって、彼は優しく見守るタイプの人で、時々もの足りなく感じる事があったんです。お互い気持ちが安定してきたのか、最近は前のように嫉妬したり愛してる、て言葉が少なくなってきた気がして、つい私が「マンネリ気味だね。」て言ったら返された言葉がこれです。なんだか嬉しかった…。妙に納得、というか。まだ高校生の分際で倦怠期?とか言ってる自分が、すごく子供に思えました。
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来てよかったんだよ。
最近、好きな人と別れました。好きだからゆえに離れなければいけませんでした。悩んでいるときに、友達に野球サークルを紹介してもらいました。気分が落ち込んでいたため、私は独り言をいっていました。「きてよかったのかなあ」そしたら、チームの男の子がいってくれました。「きてよかったんだよ」すごく嬉しく、安心しました。恋愛がうまくいってなかったけれど、もう大丈夫です。ありがとう。これからチームメイトとして、宜しくお願いします。
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無理すんなよっ。
その人とは学校で同じ仕事だったけど、ちゃんとその人が仕事をしてくれなくて、ムカムカ怒りながら重い荷物を運んでいる時に言われました。最悪ーとか思っていたのに、無理すんなよ、そんな事言われたら最悪なんて思えなくなっちゃうじゃん。そう思いましたがその人のぶっきらぼうな優しさが、とっても嬉しかったのを覚えています。
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何めそめそしてるんだ。そんなに悲しいんなら、俺がお前の太陽になったるわ。
私が失恋して泣いていた時、男友達がこの言葉をかけてくれた。とってもうれしかった。やっぱり友だちはとってもとっても大切な宝物だと改めて感じた。
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ちょっと遅れたけどハッピーバースデイ。
うちは彼氏と最近別れました。けどうちはまだやっぱり好きで…。それでこの前うちの誕生日で、そしたらこの言葉をメールで送ってきてくれて…。カナリ嬉しかったんです。なんか涙でちゃって…。
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他の男子がおまえと仲良く話してるのが、すごくうらやましかった。
告白されたときに彼氏に言われた言葉です。私も彼の事が一番スキだったのでそのときは夢じゃないかと思いました。その彼とは今でもラブラブです。
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ギリギリまで頑張る亜弥ちゃん、すっごいカッコイイと思う。けど、無理して笑ってる亜弥ちゃんは好きじゃない。亜弥ちゃんには自然な笑顔が一番似合うから。だからね、うち年下だけど今よりもっともっと強くなるから。強くなったら亜弥ちゃんが作り笑いしないようにいつも笑わせてあげる。うちにとって、亜弥ちゃんは大事な大事な人だから。
これは、自分の悩みを誰にも相談出来なくて一人で溜め込んでいた時に年下の友達に言われた言葉です。自分の仕事に対する気持ちとかも見失いそうになったとき、その子が雨の中私の家まで来て風邪引きそうなくらいずぶ濡れだったのにこう言ってくれました。私は嬉しくて今まで抱え込んでいた悩みが消えていくのを感じました。この子のおかげで私は今も仕事を続けられています。ホントにありがとうと心から感謝しています。
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オレはハミのことが好きだ。オレはハミのことが世界中のだれよりも大切だ。誰にも文句は言わせない!。
私の彼氏が言ってくれた言葉です。彼は資産家の息子で彼の両親は私のような普通の女とは付き合うなと言いました。でもその時彼がこの言葉を言ってくれたんです!両親も彼の気迫に押され今は彼といっしょに仲良く過ごしてます。
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寂しそうな指やな。
横に並んでお互いの手を見て話していた時に、私の何もつけていない指を見て発した言葉。後日、お揃いのリングを購入してくれました。
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えりは凄く魅力的に感じるよだからそんなに自分を蔑まないで
自暴自棄になって生きてる意味が見出だせなくなってたわたし。毎日が辛かった。寂しかった。ある日、少しの好奇心から踏み入れてはいけない世界に入ってしまった。その時たまたま出会ったお客様に言われた言葉だった。嬉しかったな。わたしにとってもあなたは凄く魅力的に感じたよ。きっと出会ったときから恋してたのかな、、歳も、距離も離れてる。でもこんなわたしと度々会ってくれた。色んな所に行ってたくさん思い出もできた。嬉しくて、楽しくて何より幸せだった。あなたもそう思ってくれてたかな…わたしを変えてくれたのはあなただった。あなたのおかげで自分を少し好きになれた、あなたのおかげで辞めることができた。わたしは一人でいる方が落ち着くし、一人だったら何でもできるって強がってた。でも今は違う。あなたがいなきゃ不安で仕方ない、あなたがいなきゃ生きれない…もうわたしのこと嫌いになりましたか?住んでる世界が違いすぎますか?こんなわたしじゃやっぱりだめですか…わたしはこれからもあなたしか愛せないと思うんだ。もしあなたと一緒になれなくても、わたしはあなたが幸せになるまで、結婚するまで、それまで見守っていたい。辛い思いするなら出会わなければ良かった。でも出会わなければ自分は変わらなかった…毎日毎日想ってる。誰よりも大好き。この言葉届きますように。
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今でもな、10時になるとおまえのこと思いだしちゃうんだよ…。
うれしかった。ずっと逢ってなかった先生に逢った時に言ってくれたんだ。先生と付き合っていつも10時になったら電話してた。今はそんなことさえできない。もっと強くなったらまた会おうな…そう言ってくれた。いまも大好きな私の先生…。
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ギブトゥミーベイビー!
好きだった人から言われた言葉です。もともとその人はかなりおもしろいひとだったんですけど、これを言われたときはおどろきました。でも、うれしかったです…。意味?それは「俺に赤ちゃんをくれ。」みたいな意味ですよ。
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親友ってうちらはもう親友以上だよ??
私が何気なく「私たちって親友だよね??」って聞いてみたら上の言葉が返って来ました。凄く嬉しくてたまりませんでした。今でも仲良くやってます
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会社で仕事してる時でも、腕切ってないかとか、帰ってきて寝てるのをみたら死んでるんじゃないかとか、凄く心配なんだよ。
「これ以上支えられない」と恋人から言われ別れることになり、自暴自棄になり腕を切り刻んでた時、偶々来た母親が、凄く心配してくれて。だけど私は凄く無心で。それでも消毒はして、包帯を巻いて。……暫くしてから母と話してた時に言われた言葉。以前から、会社から帰ってくると絶対私の状態を見てくれてて、その時は「何でこう毎日毎日…」とうざく思っていましたが、考えが変わった瞬間でした。何も言えない子で御免なさい。
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こんなこと教師として言うたらあかんけど、あんた一番ええ子やで。
高校3年のときに担任から言われた言葉です。僕は18才で先生は29。実はちょっと恋心があったんやけどね。笑みんなが先生をいじめてるクラスやったんやけど…。進路指導のことで二人で話した時僕が「全員しばいて学校辞める」て言うた時に言われた言葉です。先生のこと好きやゆうことなんかとっくにバレてたんやろなあ…。
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俺がおまえの運命の人ならば、おまえの運命の人も俺だよ。
ずっと好きな人に、冗談っぽく「あなたの運命の人は私です」みたいなことを言ったら、その好きな人は、真剣に「それなら、おまえの運命の人も俺なんだよ」って言ってくれた。いつか付き合いたい。
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この距離やと唇奪えそうや。
デートして時に彼氏が言った言葉です。その直後にファーストキッスを奪われちゃいました。もう、うれしくてハートがジンジンうずいて止まりませんでした。
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みんなと最後まで部活やってこれて良かった。本当にありがとう。いつも怒ってばっかりだったけど、みんなのこと大好きだったんだよ。
私が1年の時に、引退してしまう先輩が最後に言っていた言葉です。その先輩は後輩とあまり仲が良いというワケでもなく、私たち1年には怖いイメージがありました。でも、最後の日に泣きながら私たちにこの言葉を言ってくれて本当に嬉しかったです。
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こいつを出してやりてえんだよ。
私はアメリカンフットボールの選手時代にエリート選手であった親友が試合中に怒鳴るように吐いた言葉。弱小大学出身の私が、桧舞台にあこがれてなんとか入れてもらった社会人のトップチーム。しかしやはり私の能力は低く、なかなか試合には出してもらえませんでした。チームは初の日本一をかけて国内フットボールの最高峰、ライスボウルに到達しました。その試合の前の晩、私は親友に「オレが試合に出してやる」と言われていました。私は点差が開いたらチャンスはあるかも知れないと思っていました。しかし、やはり相手もかなりの強敵です。試合は拮抗し、前半を終わって小差ですが負けていました。後半に入る前のチームミテーィングにて、コーチがしゃべるよりも前に、汗だくではあはあ言いながら、私の背中をボンとたたき、「オレはこいつをこの試合に出してやりてえんだよ!この試合に出るために頑張ってきたんだよ!だからみんな頑張ってくれ!もっと点をとってくれ!もっとしっかり守ってくれ…!」とロッカールームから漏れるかと思うほど大きな声で言ったのです。後半われわれのチームは逆転し、調子付きました。しかし点差は開かないままでした。そして試合は終了。勝利はしました。とても嬉しかったです。でも結局私は試合に出ることは出来ませんでした。試合には出ることが出来ませんでしたが、私は彼の言葉を得ることが出来ました。掛け替えのないものとはこういうものなのだと知りました。この言葉を思い出すたび、東京ドームのフィールドの匂い、歓声…色々なものを思い出すことが出来ます。私が挑戦したアメリカンフットボールがとても美しい思い出にすることが出来たのもその言葉のおかげです。そして何よりも私は本当に大事な親友に出会えたことを嬉しく思いますし、彼のことを今でも誇りに思っています。
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いつでも帰っておいで。この部屋はあなたのために空けておくからね。
ホームステイをしていたときに、ホストファミリーが言ってくれた言葉です。半年近く一緒に過ごし、帰国の前日、涙が止まらなくなった私に言ってくれました。今でもバレンタインやクリスマスになると、カードをくれたり電話をかけてくれたりしています。逃げ場所じゃないけど、(家族以外の)誰かに大切に思われているという、安心感を与えてくれました。
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ゆうとあいつはロミオとジュリエットみたいだな。
中学校1年のスキー林間のとき私には好きな人がいました。私はずっと片思いかと思ってました。でも彼も私のことが気になっているとのことを男友達から聞きました。そのときこの言葉をいわれてとてもうれしかったです。でも付き合うことができませんでした。なんかうれしいようで悲しい話です。
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Youaresospecialtome.IcannotbelievehowcloseIfeeltoyou.IfeelasthoughIhaveknownyouallmylife.Itissohardformetoletyougo…
自分で決めた転学だったけど、その大好きな場所から、友だちから離れるのがすごくつらかった。そして最後の日に私が大好きな友達がくれた手紙にあった言葉。すごくつらかったけど、すごくうれしかった。そこで過ごすことのできたかけがえのない時間、そして彼女に出会えたこと、もし神がどこかにいるならば、神に感謝。
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今から町へくりだします。でも、お前がいないからつまんないと思う。あ~ずっと一緒にいられたらいいのに。そしたらオレ、何もいらないよ。
なんか、必要としてくれてるんだなってすっごいうれしかったです。いまはもうふられちゃったけど、忘れないで信じていようとおもいます。いつの、こういう嬉しいメールたくさん送ってくれてました。これは、遠くの予備校に彼氏が行っちゃってたときのメールです。
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お前は何も心配しなくていいんだって。俺がどんなことがあっても守ってやるからさ。
上の言葉は私が彼から告白されその返事を迷っているときでした。私はそのときまだ元彼に裏切られたのを引きずっていて…。それにちょっとしたいじめにもあっていました。それを言われて私のすべてが救われた気がしました。
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頑張って自分の答え見つけてな。それまで俺がついててやるから!
初めて真剣に愛した人に振られてすごい取り乱していた時に、その別れた彼氏がくれた言葉です。いつも欲しい言葉なんて全然くれないくせに。この言葉をもらって自分は一人じゃないって思いました。弱い私を最後の最後まで支えてくれた最高の彼氏でした。
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時間がかかるな、俺もお前も…。
中学生の時、大事な男友達に…。
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「それはいいねー。うさぎもおさるもぺんぎんも(お気に入りのぬいぐるみたち)みんな喜ぶよ。」
三歳の娘の言葉。つわりで寝たきり起き上がって娘を抱きしめることさえできない私のことを主人が娘に説明した時に「お母さんはね、今がんばったらかわいい赤ちゃんがうまれてくるんだよ。」と言った時の返事。ごめんね。今まで一度も離れたことなかったのに義父母のところに預けっきりで。つわりがきつい体質だってわかってたのにあなたのための兄弟がほしいって無理をした結果のほったらかし。ごめんね。みんなで喜んでくれるならお母さん辛くても苦しくてもがんばるよ。
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○○さん、俺を馬鹿にしてた面々が、俺を引き止めよるで。後悔しとるで。
僕のセクションで、作業上で人手が足りなくなりました。どうにか頼んで一人入れてもらいました。彼は違うセクションでアルバイトとして採用されてました。失業の身でアルバイトに来てたのですが、その職場での評判は芳しくなく、解雇かどうかの立場だったのです。そういう彼を宛がわれた僕としては憤慨を覚えました。ダメ元で僕は彼を使いました。やがて彼は、自ら積極的に動き始めました。そして、僕が人事異動になったとき、彼に全てが託されました。やがて、彼に再就職の吉報が届いて退職の折、彼に目線下げていた人々は、必死で引き止めにかかりました。こんなうれしい後景はなかったですね。彼は円満に去って行きました。人間、たった一つでも取り柄があり、それを育てる事が大事である事を、再認識した出来事でした。
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溢れ過ぎて抑えきれない思いを形にしたくて…。
付き合ってる彼にプロポーズされた時の気持ちです。彼の気持ちの強さが伝わってきて、嬉し涙を止められませんでした。
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不安なときはいつでも言って…私は聞くことぐらいしかできないから…
これはいろんな問題が一気におきたときに友達から言われた言葉です。精神的に自分もまいってしまってどうしようもないときに言ってくれました。ありがとう。
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お前は俺にとって一番の親友だからな。
中学2年生のとき、何でもできてカッコいい子が他のクラスに居て、すごく憧れていたんですよ。そのまま中3になったんですけど、嬉しいことに同じクラスになれたんですよ。その時は嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。それで絶対に仲良くなりたい、と思って結構話しかけたりしてたんですよ。そしたら結構気が合って、いつの間にかクラスで一番の友達になっていたんです。それでメールとかも毎日のようにやりとりしていて、私的にその人は親友になっていたんですね。でも私が一方的に憧れて友達になったわけだし、相手は私のことを、親友とは思っていないだろうと思っていたんですよ。しかし、ある日いつものように携帯電話を開けるとその人のメールが入っていて、早速見てみるとこの言葉があったんですよ。もう最高でした。人生で一番の友達ができたな、と思いました。その人とは高校も同じところに通い、今でも楽しい学校生活を送っています。本当に出会えて良かった。(※女なんですけどね。お互いに男っぽくて…。)
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若い頃出逢ってたら結婚してたかもしれませんねっ
私にとってとても大切な異性の友達…そんな彼が、私にメールでくれた言葉です。今でも忘れられないくらい嬉しかった言葉です。彼は憶えているでしょうか…。もう一度言ってほしいなあ…。
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おかえり。
以前、パソコン大好きで勉強を疎かにしていた時、これではいけないとしばらくパソコンから離れた時期がありました。そしてまたネットを始めた時に、妹(ネットで知り合った女の子)が、「おかえりぃぃぃ!!」ってメールをくれたんです。そしてその時に、とてもお世話になっているHPの管理人さんからも本当に暖かい嬉しいメールを頂きました。メールじゃなくても私は普段外出先から帰った時に、家族で言う「おかえり」…。そうやって自分の帰りを待ってくれている人がいると言う事はすごくすごく嬉しいことです。「おかえり。」ってたった一言なのにこんなに嬉しいんですよね♪
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信愛なる人よ。あなたの存在は大きく、深く、とてもあたたかい…。
10年以上の親友から送られてきた言葉…。当時、親友が仕事に恋愛にと悩んでいた時、私は仕事で忙しかったため、あまり相談にのることができないでいた。メールでしか相談にのれず、その中で私が送った言葉の返しにこの言葉が返ってきた。なかなか会えずにいた中で彼女がどんなに苦しんでいたかと思うと涙がとまらなかった…。
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君が俺の女で、俺が君の男っていうのはだめかな。
なんていうの。よく分からないけど…この言葉言われた時、うれしさっていうより感動に近かったかなあ。あ、この言葉は高校2年のときに好きな男から言われた言葉です。もうマジで感動でした。
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お前とけんかしてどれだけ春華が大切かってわかった。俺は春華じゃなきゃだめだ。こんな俺だけどこれからもよろしくね。
彼は元カノとけんかした事がないって言ってた彼と初めてした喧嘩の時に言われた言葉です。彼の言った言葉にあたしがカチンときちゃって、ずっと沈黙で、そしたら、「ごめん。ほんと、ごめん」って言ってくれたんです。ちょっとした言い合いでも彼は絶対謝らない。そう思ってたのに、すごくうれしかった。ひとりで怒ってる自分が情けなかった。これからもずっと一緒にいたいです。
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俺…一度でも嫌だって言ったか??
友達以上、でも恋人ではない大切な人から言われた言葉です。今の関係が壊れるのが怖くて「好き」と言う言葉が言えないけど会うと心が安らぎ癒されます。数日前に会った時に色々な事で悩み泣いてしまった時…そっと耳元で言ってくれたのがこの言葉でした。嬉しくて更に泣いてしまいました…。
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ず~~っと心の支えだった。
つき合って今年で15年。その間,別れもあり…また再会もありました。お互い必要としながらも若さもあり,他の人に目を移したりもしました。そしてお互い別のヒトと結婚。そして…お互い離婚。なにがそうさせたのか…わかりませんが…。そしてどちらからともなく連絡を取り,再会。そして…今に至ってます。遠回りした2人ですが、やっとお互い素直になれ,今まで頑張ってこれたのは、yukkoが心の支えだったから…と言ってくれました。この言葉、きっと生涯忘れられない、そして一番嬉しかった言葉だと思います。
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高校は別だけど、お互いがんばろうな。
公立高校合格の日、好きだった人に告白しました。結果は×だったけど、最後にこの言葉を言ってくれました。そして、握手までしてくれました。他のみんなは、ほとんどが公立で、私はひとりで新しい高校に行かなければならなくて、クラブのこととか、勉強のこととか、すっごく不安に思ってたときに、この言葉を大好きな人の口から聞けてとてもうれしかったです。この先、辛いことがあっても、この言葉を思い出してがんばっていこうと思います。
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来年は一緒にくま買いにいこっか。
男友達に彼氏からクリスマスにおっきいぬいぐるみをもらうのが昔の夢だったけど、なかなかいないもんだよね~と喋っていたら言ってくれた一言。すごくうれしかった。
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まったく…お前を見てると、なんか守りたくなっちゃうぜ。
あたしが恋人と一緒に帰ってるときに、いきなり私を見て、言ってくれた言葉です。なんかとっても嬉しかった。
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じゃあ、○○がぶっちゃけてくれたから、あたしもぶっちゃけてあげるヨ!!
誰にも理解してもらえなかった俺の秘密を、アイツなら分かってくれると信じて話した。分かってくれた。そして、この言葉を言った。アイツの秘密を教えてくれた。律儀なヤツだと思った。俺は、ずっと誰にも言えなかった秘密の悲しみを、初めて本当の意味で理解してもらえて、嬉しかった。俺は君をずっと見守る。ありがとう。
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いいな、お前は。うらやましいよ。
この言葉は、ちょっと気になっている人に1週間前、塾でいわれた言葉です。たまたま私がやっているページと違うページを開いていたら言われた言葉です。その言ってくれた人はなぜか優しくて、よく意見の合う人でした。なんでか凄く嬉しかったのを覚えています。
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おまえが落書きしたあの紙くれー!額縁に入れて大事にするわ!
私、実は世間で呼ばれるキャバ嬢をやっています。自分で言うのはあれなんだけど、常にNO.2、NO.3をキープしてる「売れっ子」です。毎日嫌になる程色んな男の人に口説かれて今まで色んなタイプの人に追いかけれて来ました。理想が高いっていうか、プライドが高いっていうか、20年間生きて来て自分から惚れた事なんて一度もなかったのに…。自分でも信じられない程、客で入って来た彼に一目惚れをしちゃいました。最初から分かってたけど、彼実はヤクザなんです。組織の中のえらいさんで組長の下位だと思います。彼に一目惚れした私は今までになかった積極的な態度で彼に接近して、はっきりと付き合ってはいないけど、「彼の女」になりました。お互い住む所は離れていて新幹線で一時間位の距離なので、私はこの前彼に会いに行きました。彼はずっとそばに居てくれたけど、電話かかってきて急用ができたので少し行って来るわ!って言って一晩帰って来なかった時があって、彼が出かけてた間に何回も何回も「大丈夫か?泣かんといてなー!…」って電話をかけてくれたりしてたけど、それでもすごく寂しくて彼に対する気持ちを…、詩って言えるのかなあ?!落書きみたいな感じで書いたんです。彼が帰って来てちょうど私がシャワーを浴びてた間にそれを読んだらしいです。「おまえが落書きしたあの紙くれー!額縁に入れて大事にするわ!」って言われて何で?って聞いたらその答もすごくすごく嬉しかったです。「ヤクザをやっとっても落ち込む時あんねん。そういう時にこの紙を見てこの子は俺の事を思ってくれてるんやーって思ったら元気出るやんか。ほんでごっついバカなやつがおってしばいたろうかってむかついたりすんねん。そういう時にこの紙を見てこの子は俺の事を待ってんねんって思ったらむかつく気持ちを抑えて人を殴らずで済むやんか。やから、この紙くれー!ほんまに大事にするから!」……私は彼にとってきっと大事に存在なんだねって思って本当に本当に嬉しかったです。
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オレが悲しむよ。だから生きてみろよ。
これは、あるアニメのキャラが言った台詞です。この時、俺は生きる意味が解らなくなり、俺なんか居なくなったってだれも悲しまない、って思ってました。その時、アニメで自殺をしようとしたあるキャラを助けたときに言っていた台詞が上のモノです。自殺しようとしていたキャラは、どことなく俺と似ていて、自分と被せてしまっていました。だから、その時「オレが悲しむよ。」って聞こえたときは心に錘が降ってきたようなカンジがしました。この時、どんなに辛くても、生きていなきゃイケナイんだ、誰か必ず一人は悲しんでくれる人が居るんだ、って思い、今でも辛いケド、毎日頑張って生きています。
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別れても、自分にとって○○は大切な友人だし、○○が魅力的であることには変わらないよ。
一年間半付き合っていた彼氏と別れた時にくれた言葉です。ふられてしまったけれど、本当に大事にしてくれて、最後まで大切にしてくれました。今はちょっと会えないけれど、彼が私のことを恋人とは違うけれど、大事に思っていてくれていることは信じています。外見的なコンプレックスが強い私を、最後まで気遣ってくれてありがとう、あなたのおかげで自信がつきました。という想いです。
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自己嫌悪になるな。そうゆうのよくないぞ。
委員会である女の子がずっと指揮をとっていて私が仲間はずれっぽくなって、これは私に力がないからいけないんだ…。とかマイナス思考になっていて気持ちが不安定だった時に委員長にスベテを吐き出したときに言われた言葉です。
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大丈夫。
何回も何回も言われました。私の周りでは常にイジメが起きていて、ときには私も対象となりました。そんな時はお母さんがいつも傍に来てこの言葉を繰り返し言ってくれました。今でも、辛くて泣いてしまうことがあります。そんな時、私は常にこの言葉に助けてもらっています。大好きな言葉です。
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今夜、一緒に花火大会をしよう。白い花火が一発か二発あがるんだ。
彼氏に言われ一瞬なんのことか分かりませんでした。でも、すぐ気づいて、顔がかーっと熱くなりました。ロマンスのつもりだったんでしょうけど、ただの下ネタです。まあ、なんだかんだで彼がついに誘ってくれたことがうれしかったのは確かです。
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俺が親友になるよ…?
友達とメールをしている時、私には親友が居ないってコトを言ったんです。「前は居たんだけど、わけあって居なくなっちゃった…。」って…。そしたら、「俺が親友になるよ…?(女の子です)」って言ってくれました。すごく大切な人だったし、信頼できてて…今までなんでも話してきたつもりでした。けれど、親友とは呼べなくて…。けれど、このコトを話したら、このように言ってくれて…。凄く嬉しかったです。私と親友になるってコトを認めてくれた人が今は、一人も居る。それが何より嬉しいです。
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お母さんに育てられて良かった。
校則違反で学校から呼び出される前に、子供が何をしたか正直に教えてくれた。他の御父兄は初めて先生から知らされショックを受けていましたが、私だけ内容を把握していたので逆に先生から「おまえのお母さんは良いなって」子供が誉められ、帰宅した時に言ってくてた言葉。
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バーカ!俺の彼女は「ナオでいい」じゃなくて「ナオがいい」の。
私の彼は学校内でも結構人気がある人で、友人からの信頼も厚く、本当にいい人なんです。それに比べ、私はこれといって目立つ所もなく、正直自分が彼と合っていないような気がして、(何回かいやがらせも受けました…)、彼から告白された時はとても嬉しかったのですが、しだいに不安になりました。そして、思い切って彼に「本当に○○の彼女はナオでいいの?」と聞いてみました。すると彼からこの言葉が返ってきました。彼のこの一言を聞いた瞬間、今までの不安は消えていきました。今でも彼とはラブラブです。もう誰にも文句は言わせません!
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おいしいチーズケーキも誕生日会も、私の楽しい想い出はいつだってkanaの味がする。
仲良しな友達といーっつもいろんなことして遊んでた。他愛のないことも素敵な遊び、集まりにして。でも、私はいつも突然で適当でその場の勢いだから、自分のしていることってただの我儘だったんじゃなかいって気がしてきた。みんなの迷惑になってるんじゃないかって気がしてきた。でも、怖くてみんなに聞けなくて、ただただ怯えて、落ち込んじゃった時があったの。そのときに友達がメールをくれたの。「こないだはありがと☆おいしいチーズケーキも誕生日会も、私の楽しい想い出はいつだってkanaの味がするよ。」ただの感謝メールだったのかもしれないけど、ずっとずっと楽しいことだらけだったよ。って言ってもらえた気がしてすごくうれしかったの…。何気ない言葉でいつも私を元気にしてくれる友達が大好きです。もっとみんあの笑顔を信じたいって思いました。とってもうれしい言葉をありがとう。
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なんで自分1人で背負おうとすんの?お前1人のせいじゃないやん…。
学校行事で遊園地に行きました。友達の前や先生の前で手をつなぐのが恥ずかしくてつい「イヤ」と言って彼の手を振り払ってしまい言い合いになりました。ケンカをすると彼氏さんは結構キツイ言葉を言って、私は言われていることで反省するんですけど…いつも彼氏さんは言い過ぎる人で私もかなり傷ついたんです…。後で言い過ぎたことを謝ってくれて「ケンカの原因は私のせいだから、謝らないで。」って言ったら優しく言ってくれた言葉です。少し涙が出ちゃって…安心して仲直りすることができました。
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悪いけど思ったことない。
あたしが、自分がだいっ嫌いで自分を気持ち悪いと思っているときに、「こんなんと一緒に居て、「うんざり」とか思ったことない?」って聞いたときに言ってくれた言葉。本当に心から、ずっと友達でいて欲しいと思った。